
こんにちはコウカワシンです。
皆様、「能」をご覧になられたことはございますか?
「能」というと、ちょっと敷居が高い気がして、なかなか手が出せない分野であります。ですが、やはり惹きこまれる魅力を感じます。
それは、わたしが日本人だからでしょうか?
今回は能の魅力を世阿弥著『風姿花伝』から学ばせていただきました。昔の文章は難しいので「現代語訳版」にて世阿弥の心を教わります。
この「現代語訳版」は、「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」で、この『風姿花伝』の現代語訳を夏川賀央氏が担当されました。とてもわかりやすく訳されていて本当にありがたいです。
しかし、あまりにも現代的であるので「原文はどうなの?」と思い、もう一冊参考にさせていただきました。
こちらは、原文と訳詞が載っていて、この2冊の対比が面白いと感じました。




『風姿花伝』はどんな本?
本書の目次
『風姿花伝』
序 道を極めようとする人が心得ておくこと
第一 年来稽古条々・・・私たちは人生を通じ、どのように学んでいくべきか
第二 物学条々・・・学ぶべき対象を真剣に真似せよ!
第三 問答条々・・・世阿弥が自ら答える、能についての素朴な疑問
第四 神儀に云わく・・・日本人の精神、「能の歴史」を紐解いてみる
第五 奥義に賛喚して云わく・・・世阿弥が世にうったえる能の魅力
第六 花修に云わく・・・脳を成功に導く、作品づくりと演技の方法
第七 別紙口伝・・・人を魅惑し、運をも味方につける勝利法則
著者の紹介
訳者の紹介
夏川賀央(なつかわ・がお)
1968年 東京生まれ
早稲田大学第一文学部卒。大手出版社など数社を経て独立。会社経営のかたわら、ビジネス書を中心に幅広い分野で執筆活動を行う。
著書に『すごい会社のすごい考え方』(講談社)、『成功者に学ぶ心をつかむ言葉術』(成美堂出版)、『働く「しあわせ」の見つけ方』(かんき出版)、『奮い立たせてくれる科学者の言葉90』(ユナイテッド・ブックス)など多数。
本書の内容
日本の古典「風姿花伝」より「能の理論」から「能」の
- 修行法
- 心得
- 演技論
- 演出論
- 歴史
- 能の美学
といった芸道の視点をわかりやすく解説したものです。
『風姿花伝』は誰におすすめか?
本書がおすすめな人はこのような人です。
『風姿花伝』がおすすめな人
- 「能」が好きな人
- 向学心にあふれる人
- ビジネスパーソン



人は、「生まれてから死ぬまで学び続けないといけない」とされています。
つまり、「一生勉強」ということですね。
この現代語訳版は、たいへんやさしく小学生でも読める内容に仕上がっています。ですので、ぜひ若い人から年配の人まで手に取り、読んでみて損はないと思います。
『風姿花伝』の要点
古く、室町時代に書かれた『風姿花伝』ですが、いまもなぜ必要とされているのでしょうか?
そのことについて『風姿花伝』の概要から学びたいと思います。



もちろん、わたしの独断と偏見で
『風姿花伝』の概要
序(道を極めようとする人が心得ておくこと)
能についての解説です。
- 能の原型になったのは「猿楽」
- 「猿楽」は長寿への願いを込めて行われた演劇。
- 「猿楽」は聖徳太子が秦河勝(はたかわかつ)に命じ大衆娯楽のために創らせた。
- 能において古い伝統や新しい芸を鑑賞する際も「風流」を無視してはいけない。
能に携わる人が守った掟(おきて)として
- 色を好むこと、ギャンブルにはまること、大酒を飲むことは、最もやってはならない。
- 修業は何ごとも一所懸命にやること。自分勝手な慢心で、手を抜いてはいけない。



世阿弥が生きた1300年代を想像すらできませんが、世阿弥が説く「心得」「美意識」は、今もなお人々の心に染みわたる気がします。そして、現代の社会人としての自覚を目覚めさせてくれますね。
第一 年来稽古条々(私たちは人生を通じ、どのように学んでいくべきか)
能楽師にとって「能」は人生です。
わずか七歳から「能」の世界に入るのですが、最初からいろいろとできるはずがありません。成長を見ながら稽古の質も上がっていきます。
成長し一人前の役者になってからも心がける点などは移り変わっていきます。
どのような区切りで、どのような稽古、または注意点があるかですが、指導する立場からの目線、一人前の役者になってから晩年を迎えるまでの心構えなどを表にしてみますと、
七歳 | 叱らず、強いず、モチベーションを上げる |
---|---|
十二、三歳 | 長所を生かして「花」を生かして「花」を輝かせる |
十七、八歳 | 誰もが遭遇する壁をムリなく乗り越える |
二十四、五歳 | 若くして開花した花が、かりそめのものであることを知れ |
三十四、五歳 | 絶頂期、「天下に認められている人」になれているか? |
四十四、五歳 | ムリをせず、「主役」は人に譲ってしまえ |
五十歳以上 | 花は散らずに残るものと知る |
各年代によって持つべき目標が移り変わっています。
これでわかるのは、現代とあまり変わらないということです。
現代においても
- 見習いさんの指導
- 「花」開く前の停滞する時期
- 「花」開いてからなお一層の努力を促す指標
- 「絶頂期」からの自身の見つめ直し方
- 後進の指導
- 最後の散り際
それぞれの年代で課題があるものです。
世阿弥の示すこの表と変わらないと感じました。



「人生とは?」・・・常に問い続けることで、その年代にふさわしい人生を歩めそうな気がします
第二 物学条々(学ぶべき対象を真剣に真似よ!)
「能」において「物まね」は最も重要な演目です。
役柄を演じるについて、どんな些細なことも省略せず完璧に似せることが本質です。
真似る演技の基本は「観客側の視点を常にわきまえておくこと」です。
演じる役柄についての注意点は
女 | 扮装を完璧に、約束事を研究する |
---|---|
老人 | 花はあるけど「老人」に見えるを工夫する |
直面 | 素顔のまま役になりきる |
物狂い | まさに狂う場面を演技の花とする |
法師 | 高僧か、修行僧かによって、まったく違う人物となる |
修羅 | 戦いに狂った武士の苦しみの根源を忘れない |
神 | 相応しい衣裳で気高く演じる |
鬼 | 恐ろしい鬼を、面白く演じる |
唐事 | 異国の人の異様なところばかりを押し出さない |
役柄によって演じ方や決まりごとが違います。
すべての役をこなすとなるとものすごい稽古の積み重ねが必要ですね。
完璧に似せるというのが能の本質と申しましたが、似せすぎて見苦しい部分まで真似てしまうと身分の高い方の鑑賞には見るに耐えないものになってしまうそうです。



常に観客側の視点に立った柔軟性を演者は心得ておくべきだということですね。
第三 問答条々(世阿弥が自ら答える、能についての素朴な疑問)
世阿弥の問いに対する応答を観阿弥がしたというふうに考えられてきた章ですが、その根拠はないとのことです。それゆえに世阿弥の考え方として訳されていました。
演出的な視点や、能の美学について書かれています。
1. どうすれば「今回の舞台が上手くいくか」を前もって予測できるか?
【答え】 まず能が始まる前の会場の雰囲気を見よ
2. 「序」「破」「急」の三部構成を、どのようにつくりあげるか?
【答え】「二日目の中盤」に山場を持ってくる
3. 能の勝負に勝つ方法
【答え】「オリジナルの作品」を効果的に使う
4. なぜ名人と言われる役者が、若い役者に負けてしまうのか?
【答え】ベテランの役者でも、花が失せれば勝負に負ける
5. 自分の長所と短所をどのように知るか?
【答え】上手は短所に、下手は長所に気づかない
6. その人の実力を、何をもって推し量るか?
【答え】生まれ持った才能だけでは、大成する人物になりえない
7. どうしたら身ぶりだけで、唄のメッセージを表現できるか?
【答え】すべては稽古によって表現法を身につける
8. 「花のある演技」より上の、「しおれたる演技」とは?
【答え】花が咲き、それがしおれるからこそ風情がある、面白い
9. 能における「花」とは、一体何なのか?
【答え】「誠の花」は散ることのないものである
能の世界についての問いかけではありますが、なんだか現代においても生かせるヒントになると感じますね。
1の「どうすれば「今回の舞台が上手くいくか」を前もって予測できるか?」については、なかなか難しいといいます。神事や高貴な方々の前では、ざわざわしていてもすみやかに始めないといけないからです。
一つの手は観客が能の始まりを待ちかね静まっていくのを待ってからタイミングよく登場し、ひと声、唄いだせば、やがて客席はその声の調子に惹き付けられ会場内のすべての人の心が役者と一体化するのを狙う。
もう一つは、いつもより立ち振る舞いを際立って目立つようにして、豪快に演じてみるという方法です。やはり、ざわざわした雰囲気ではうまく演じることは難しいでしょうね。そこで、能の成功のため観客を演者が支配するのも必要ということです。



まるで宗教的ながら、その他の問いかけについても具体的な説明をされていて、これは現代でも言えることばかりだと感じました。
第四 神儀に云わく(日本人の精神、「能の歴史」を紐解いてみる)
能楽の歴史、発生、伝説について書かれています。
内容としては次の通りです。
- 能の起源は、アマテラスの時代にさかのぼる
- もう一つの起源、能の始祖はお釈迦様である
- 秦河勝(はたのかわかつ)が、日本における「能」を創始した
- 平安時代に国家事業となった能と『式三番』の誕生
- なぜ、奈良の興福寺で、新年の能を演じているか?



特にですね・・・3の秦河勝の話に興味を持ちました。
天から落ちてきた子供、秦河勝の伝説
欽明天皇のころ、大和国の泊瀬川で洪水がありました。そのとき川上から、一つの壺が流れてきたのです。
三輪山の大神神社の杉の鳥居のところで、雲客(殿上人)が、この壺を拾いました。すると、この壺のなかには、小さな赤ちゃんが入っていたのです。その容貌は柔和で、玉のように美しい赤ちゃんでした。
「これは天から落ちてきた子供に違いない!」
そう思って雲客は、朝廷に届け出をします。
その夜、欽明天皇の夢に、この赤ちゃんが現れました。そして言うのです。
「私は中国を治めた始皇帝の生まれ変わりです。日本の国に縁があって、いま現在、ここに降りてきたのです」
天皇は驚きになられ、その子を殿上に召し上げました。そして彼は成人になるにつれ、あらゆる人を超えた才知を発揮し、十五歳にして大臣の位に昇りつめるのです。
やがて彼は「秦」という名字を天皇から下されます。「秦」という字が「はた」と読むからでしたが、ここに「秦河勝」という人物が誕生しました。



今からみると・・・・なんだか嘘っぽい話ですが、昔はこのような伝説があったんですね(笑)
第五 奥義に賛喚して云わく(世阿弥が世にうったえる能の魅力)
ここで書かれている内容は、
- 世阿弥が後世に残したかったこと
- 世阿弥の属した大和申楽(やまとさるがく)と近江(おうみ)申楽、田楽(でんがく)との流儀の違い
です。
今のような情報が行きかう時代ではなかったため、世阿弥のような第一人者が後々の世に「能」という芸術を残していくのは大事なことですよね。
能の魅力は、心から心へと伝わってきた花。それを伝えるために筆を取り『風姿花伝』なるバイブルを書き上げた世阿弥には本当に頭が下がります。
能という芸は、古くからの伝統を継承するといっても自分の力で工夫を重ねることができます。ですので、他の流儀からも学ぼうとする姿勢も大事なわけですね。
近江と大和の違いを一つとってみても、理解する気持ちが必要ですし、上手な役者は、どちらの流儀でも不足することなく演じられると言います。



これを見ても世阿弥の説く「学びは一生続く」という姿勢を持つことが大事ですね。
第六 花修に云わく(能を成功に導く、作品づくりと演技の方法)
この章で言うところの世阿弥は「放送作家」的な視点で、実際の演技の方法について論じています。
1. 能の脚本をどのようにつくればよいか?
- 優れた言葉は、主役の役者に語らせよ
- 評判の悪い作品も、やり方によっていくらでも変わる
- たまたま作品がうまくいかなくても、嘆いてはいけない
2. 謡と動作を一つのテーマに統合する
- 音楽と演技をどのように一致させるか?
- 正しい順序で一つの作品をつくる
3. 観客が求める「幽玄さ」を表現するにはどうすればいいか?
- 対象に忠実に真似ることの大切さ
- 「強さ」と「幽玄」は物事の本質である
- 「幽玄」を演じるにはどうすればいいか?
- 大ざっぱに演じていい能もある!
4. いかなる状況でも舞台を成功させるための条件
- 能が成功するための条件とは?
- 「技術を高めること」と「能を理解すること」、どちらが先か?
- まず自分を、それからお客さんを知る
素晴らしい!
頭の中に「マインドマップ」が、描かれていることがよくわかります。
マインドマップイメージ図


頭の中で、いろいろと交錯し迷いが生じることを、このように文章にして注意点などを記されていれば、後世の人たちは最小の苦労で舞台を作り上げることができます。



自分の仕事においても頭の中にマインドマップを作り、たえずデザインしていくことが大事ですね。
第七 別紙口伝(人を魅惑し、運を味方につける勝利法則)
この章では、世阿弥の考える「花」について語られています。どの章でも「花」を中心に記されてますが、その「花とは?」を哲学的な視点でも語られているところが世阿弥の美学だと思います。
1. 私、世阿弥が「花」にこだわる理由
- 花は、季節ごとに咲き、そのつど新鮮な感動を呼ぶから
- 花は心、種は技
- 観客にはつねに「新鮮さ」を届ける
2. どうすればいつまでも新鮮味を提供できるか?
いつも演技に工夫をほどこす
- 謡や舞
- 動作
- 身ぶり
- 演技
3. 「なりきる力」をどう発揮するか?
- そのものになりきれば、「似せよう」などと考えなくなる
- 「老木に花を咲かせる」ためのひと工夫
4. 「毎年毎年、咲いては散る花」となる
- すべての演目を繰り返すことが大事
- 「毎年、咲いては散る花」のレベルを目指す
- 世阿弥流の「初心を忘れさせない」コーチング
5. 怒れるときに、やわらかな心を忘れてはならない
- 怒る姿もやわらかく(荒々しい演技にならないように)
- 幽玄なさまを真似るときにも強い心を忘れずに
- 体を強く動かすときもやさしく繊細な心遣いで
6. 「秘すれば花」とはどういうことか
- 「何が花であるか」を明かしてはいけない
- 秘密にするからこそ、つねに「最強の武器」となる
7. 「勝利の神様」を自分に引きよせる
- 重要な場面に「いい因果」を持ってくる方法
- 「勝利の神様」が味方する瞬間を見極める
8. ただ、そのときに求められるものこそ花である
そもそも因果とは、「よいときもあれば、悪いときもある」、能の結果を考えてみれば、
- 新鮮さを感じさせられたか
- 新鮮さを感じさせられなかったか
のどちらかなのである。
このことから「善悪は別のものではなく、正と邪は一体のものだ」と考え、能を演じる際の様々な工夫も、いまの世の大勢の観客や、様々な能を演じる舞台に応じ、そのときに皆が好むものを取り出して演じられれば、それが「必要とされる花」になるということです。
9. 別紙口伝のあとがき
「家督が続くのが家ではない。芸を継ぐことをもって家とする。その人の生まれをもって、後継者とするのではない。何を知ったかをもって、家門の後継者とする」



自分自身の哲学といつも「問い」を持つことはとても重要ですね
『風姿花伝』の感想・まとめ
本書は、「いかにお客に喜ばれる能を提供するか?」という面から追及された本格的な「ビジネス論」でもあります。
夏川賀央
心理戦術、交渉、プレゼン、マーケティングなど、ビジネスにおける戦略として、重要なことが、すでに本書にはふくまれているのです。
訳者の夏川氏の思いが、現代にも通じる「風姿花伝」を照らしてくれますね。
『風姿花伝』は人生の教科書
世阿弥の「花鏡」ある言葉で「初心忘るべからず」があります。現在では「初めの志を忘れてはいけない」という意味で使われていますよね。
でも、世阿弥が意図とするところとは、少し違うと言います。
世阿弥が説く「初心」とは、新しい事態に直面した時の対処すべき心構え、つまり、試練に対峙してもそれを乗り越えていくための思考を指すそうです。
「初心忘るべからず」とは、「人生の試練にどうやって乗り越えていったのか」、という経験こそ忘れるなと言いたいのです。
初めての経験に対し、自分の未熟さをも受け入れ、その事態に挑戦していく心構えは、若くても、老いても必要であり、失敗などの経験が後々の大成に導いてくれるのです。
この『風姿花伝』には、その時その時の対処法や心構え、「人間はなんと弱いものだろう」という気づきを教えてくれる人生の教科書と思えるのです。
能を通じ、日々の生活への戒め、芸に通じるビジネスへの心構え・・・どれをとっても今の時代においても大事なことばかりですね。
『風姿花伝』は原文や現代語訳の書籍がたくさんあります。どれでもいいからぜひ手に取って一読してみてください。
おすすめはさらっと読みやすい夏川賀央氏訳のこの本
そして、対比させながら読むのに最適なこの本
そして以前ブログにも書いた『ビジネス版「風姿花伝」の教え』






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