
こんにちはコウカワシンです。
今回は、清水研(しみず・けん)さんの著書『もしも一年後、この世にいないとしたら。』から学ばせていただきます。
『もしも一年後、この世にいないとしたら。』は、どんな本?
『もしも一年後、この世にいないとしたら。』は、ズバリ!「死を意識することで自分の人生に喝を入れる」ための本です。
本書は、このような本
この『もしも一年後、この世にいないとしたら。』の著者である清水研(しみず・けん)さんは、国立がん研究センターで、がん患者さん3500人以上の方の話を聞いてきた精神科医です。
がん患者ともなれば、リアルに「死」について真剣に考えます。
突然がん告知を受け、人生の期限を意識させられる体験はとても苦しいものです。その喪失と向き合いながら、自分に残された時間をどう生きるべきかと真剣に悩まれる人たちの語りは、著者に心よりの畏敬の念を抱かせたそうです。
そんな著者が、生きづらさを感じているすべての人に「人生の締切を意識すると、明日が変わる」ということを伝えたくて本書を書きました。
「もしも1年後、この世にいないとしたら――」
そう想像したとき、今やろうとしていることを変わらずに続けますか。
それとももっと別のやりたいことをやりますか。
このように考え、自分の人生について真剣になるきっかけになる一冊です。
本書がおすすめな人は?
『もしも一年後、この世にいないとしたら。』がおすすめな人
- 10年後、20年後の目標を持っている人
- 自分がいつか死ぬということを考えられない人、又は考えたくない人
- まったくの健康体で、病気なんてかからないと思っている人
- 「死」というものが、よくわからない人




『もしも一年後、この世にいないとしたら。』の要点は?
僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。
アンドレ・マルロー(フランスの作家)
生きるためなんだ。
本書の冒頭にある、フランスの作家アンドレ・マルロー氏の言葉です。
多くの人は、「死」はいつか自分に訪れるということは頭ではわかっているけど、実感はしていないのではないでしょうか。
「人生100年時代」や「アンチエイジング」という言葉がよく聞かれ、人が長生きするようになったのは、喜ばしいことですが、人々が日々を粗末にしてはいないかと著者は警鐘を鳴らします。
明日という日が当然のごとくふつうにやってきて、自分の人生は10年、20年、30年とまだまだ続いていくと思いながら、日々を過ごしていませんか?
そうすると、自分にとって「絶対にやりたいこと」があったとしても、「明日やればいいや」「そのうちやろう」「この仕事が一段落したらやろう」「定年後の楽しみにとっておこう」と先延ばしにしてしまいます。
でも「明日」「10年後」が、存在する保証はありませんし、それがわかる人なんていません。
つまり、毎日が大切な一日の連続ですし、日々をどう過ごすかが重要になってきます。



それでは本書から、わたしの独断と偏見で、毎日を充実したものにするためにどうすればいいかということに焦点を当ててみたいと思います。
大切なことを先延ばしにしないために心得ること
がん患者の心模様
ある日突然、がん告知をされた人の気持ちを考えたことはありますか?
本書で紹介された27歳で進行性のスキルス胃がんになられた岡田さんという男性は、まずこれが現実に起きていることだとは信じられなかったそうです。
人間は想定をはるかに超える衝撃的なできごとに出会うと、心の機能がバラバラになり、目の前で起こっていることを認識できても、それが現実とは思えなかったり、記憶に定着しなかったりということがあるそうです。
これを専門的には「解離状態」(かいりじょうたい)と言います。
岡田さんは、家に帰ったあとも放心状態で、その日はほとんど眠れなかったそうですが、朝方少しだけ眠ったのちに目覚めたときに解離状態を抜けて事実を認識し、次に怒りや悲しみの感情が出てきたそうです。
「不公平だ」とか「理不尽だ」と感じる出来事があると起こる怒りの感情は、自分を守るために必要なものなのだそうです。
「何で自分がこんな目に合わなければならないんだ」と考えるようになると、激しい怒りを抑えきれずに叫んだり、ものにあたったり、両親に八つ当たりすることもありましたが、しばらくすると怒るにも疲れてきたといいます。
すると今度は悲しみの感情で気持ちがいっぱいになります。それまで描いてきた希望に満ちた未来を諦めなければならないことを考えると、涙がとまらなかったそうです。
でも、「自分にとって大切なものを失った」時に生じる悲しみの感情は、心を癒す働きもあるといいます。
岡田さんのように、大切なものを失った場合、喪失を受け入れるには時間とさまざまなプロセスが必要ということであります。
茫然自失(ぼうぜんじしつ)となり、起こったことがにわかに信じられない時期、取り乱して泣き叫んだり理不尽な現実に怒りがこみ上げる時期、失ったものに目を向けて涙が止まらない時期、というように感情が流れていきます。
そして、人生とはそもそも平等ではないだという現実を理解してしみじみ泣く時期など、さまざまな様相を表しながら少しずつ向き合うようになるといわれているそうです。
こうしたプロセスを経て、人はがんになる前に描いてきた人生と徐々に別れを告げ、新たな現実に向けて歩みをはじめると考えられています。



人が「死」を予感させる出来事などに出合ってしまうと、さまざまな葛藤や感情の動きがあることがよくわかりました。
たぶん、わたしたちだって、ある日突然「余命宣告」されたら、このような心の動きがあると思います。
にわかには信じがたいでしょうけど、心に留めておく必要があると感じました。
「10年後」がないとしたら、何のために「今」を生きるか
10年後、20年後と、すでに人生プランを持たれている人は少なくないと思います。
目標があることで、自分を奮い立たせられるものです。
しかし著者は、ストイックに目標をもって生きる人ほど、「描いていた将来」がないかもしれないとわかったときに迷うといいます。
先ほどのがん患者岡田さんは、病気になるまでの生き方がストイックだったそうです。
金融機関に勤め、責任感が強く、与えられた役割を果たすために努力をいとわなかったといいます。
周囲はその能力を認め、近い将来は、海外勤務を視野に入れていて、プライベートな時間は外国語の勉強にあてたり、体力づくりにジムに通うような生活をされていました。
友人も多くいましたが、交流の目的はやすらぎとかではなく、自分を高めるために刺激をくれるような友人との時間を大切にしていたということです。
岡田さんにとって、「5年先、10年先、そしてさらに先にある未来の夢を実現すること」が人生の目的であり、そのためにあるあらゆる努力をいとわなかったのです。
しかし、スキルス胃がんになったことで、自分にまもなく「死」が訪れることを知りました。「描いていた未来の夢」は決してやってこないということを悟り、日々の努力の先に目標に据えていたものが見えなくなったのです。
もちろん岡田さんは大混乱に陥り、生きる意味がわからくなりました。そして岡田さんの中に新たな問いが生まれたといいます。
「10年先がないとしたら、人は何のために今を生きるのだろうか」
そんな頃、カウンセリングを受けるために岡田さんは著者と出会ったそうです。
著者は岡田さんから今までのいきさつを聴き、著者なりの理解を岡田さんに伝えたのです。



「岡田さんは将来のために『今』を生きていたんですね。
別の言葉でいうと、将来のために『今』を犠牲にしてきた。
だから『今』の生き方がわからない」
すると岡田さんは、



「その通りだと思う。自分はどうしたらよいか。一緒に考えてほしい」
と言いました。



つまり、希望をもってはしごを着実に上っていたところを、いきなりはしごを外されたということなのですが、この現実とどう向き合っていくかというのは、わたしたちにだってありうることです。
では、どう向き合っていけばいいのでしょうね。
人生で大切なことは何か考えると、行動が変わる
著者のカウンセリングを受け始めた岡田さんは、まずこのような事を言いました。



「病気になったことが悔しい。自分は病気になるまでは運がいい人間だと思っていたが、そうではない、最悪のくじをひいてしまったんだ」
著者は、「なるほど『最悪のくじ』、そういう例えもあるのか」と思って聴かれたそうです。
そこで著者は岡田さんにこう聴いてみました。



「あくまでも仮定の話ですが、くじを引かなかったほうがよかったですか」
つまり、「生まれてこなければよかったですか?」という問いなのですが、これに対し岡田さんは、しばらく考えてこう言ったのです。



「いや、くじを引かなかったほうが良いとは思いませんね、最悪のくじだとしても、引けほうが良いかな」
さらに、「ふつうだったらもっと生きられるはずだった」と考えると悔しくてしょうがない。しかし、自分が世の中に生まれてきたというのも偶然が重なって起きたことと思い直されたのです。
そして出た結論がこれです。



「正直悔しい、しかし、今生きられることに感謝して、精いっぱい生きたい」



たしかに、がんの告知を受けた人の心の葛藤は、わたしたちには、なかなかわからないと思います。
しかし、このように「今を懸命に生きる」という覚悟をもって、日々を過ごされています。
わたしを含めて、「希望のある明日が必ずある」と信じて疑わない人が大半だと思います。
しかし、岡田さんのように突然がんの宣告を受けるかもしれませんし、あるいは事故や天災に遭うことも絶対ないとは言えません。
そのことに対する恐れで頭がいっぱいになってしまってもいけませんが、「健康はいつ失われるかわからないもの」という意識を心の片隅に持っておくべきですね。
死を見つめることは、どう生きるかを見つめること
自分の「want」に向き合う
「今に感謝し、精いっぱい生きる」ということは、さまざまなことを気づかせてくれます。
「今日という日はいつ失われるかわからないものである」ということを心のどこかに留めておきながら、ともすれば日常生活の中で埋没してしまう毎日のさまざまな出会いや機会を、大切にしようと思われるそうです。
そして、今日を大切に過ごすということは、今の自分にとって心地良いことをするということでもあり、自分が何をしたいのか、ずっと押し込めていた自分の「want」(ウォント)と向き合うきっかけにもなります。
「want」というのは、「欲しい」とか「したい」という自分が希望する欲求です。
世の中must(マスト)、つまり、しなければいけないことにしばられている人が多くいます。ですので、自分は何を欲しているのか、「want」の声を聴こうとしても、最初はなかなか聴くことができません。
100人の患者さんがいれば100通りの向き合い方があるわけですが、基本的な「want」は、おおむね共通します。
それは、
- 他人からの評価にしばられていてもあまり幸せにはなれないこと
- 自分の気持ちに素直に従って生きること
- 自分にとって大切だと思う人との時間を優先すること
- いまここにある時間を十二分に味わうこと
です。
著者自身の経験でも、「しなければいけない」ことに追われ精神的に追い詰められたときに、自分の「want」の声を聴き、自分らしく生きることの大切さを知ったとあります。
もちろん「しなければいけない」ことすべてをやめることは簡単ではないですが、やりたくないことを引き受けることが積み重なれば人生を虚しくさせ、いきいきと生きるエネルギーを根こそぎ奪い、その結果としてうつ病にさえなるリスクさえあります。
そんな犠牲を払ってでも行く価値がある会合なのか?
引き受けなければならない仕事なのか?
ということを、「しなければいけない」という声に盲目的に従う前に、きちんと吟味するべきだ著者は言います。



著者が「しなければいけない」の声に反抗した実験は、行きたくもないが断ってもダメージにならないような会合を断り、ささやかなやりたいことをして心がとても癒されたそうです。
たぶん、そのようなことはわたしたちだってあります。
一度、立ち止まって自分の「want」の声を聴いてみて、「しなければならない」ことの取捨選択をやってみるべきですね。
死をないものとしてしまう世界はいつか破綻する
「人生には期限があり、いつ自分も病気になるかわからない」という考え方は、等身大の人間への認識だと著者は言います。
「私ね、病気で死んでしまうかもしれない、って言われたのだけれど、ちょっと話を聴いてくれない」
もし、家族や友人からこんなふうに相談されたら、皆さまなら何と答えますか?
たぶん、「死ぬなんて、そんな縁起でもないことを言ってはだめ! 弱気にならないで。きっと大丈夫だから」と慰めとも取れるあいまいな返事をするのではないでしょうか。
「死」については考えないようにしよう、という風潮が現代にはあるからなのですが、「死」は、人生100年時代と言われる今でも逃れることはできません。
「人間には限界があり、いずれ死を迎える」と知っていることが、非常に重要な意味をもちます。
死を意識しない世界はどこかで破綻してしまうのです。
その人が若々しく生き続け、突然ぽっくり死ぬことができれば、老いや死に関する問題を意識せずに済むかもしれませんが、ほとんどの人がどこかの時点で問題に直面します。
それまで、「アンチエイジング」のモードで生きてきた人は、病気になったとき、健康の喪失と向き合う術を知らないので当惑し、心構えについてイロハから始めなければなりません。
「人生には期限があり、いつ自分も病気になるかもわからない」という考え方は、等身大の人間への認識です。
この言葉に最初は暗く感じるかもしれませんが、向き合ううちにこの言葉の光の部分が見えてくるのだと著者は言います。
「死を見つめることは、どう生きるかを見つめることだと気づきました」というのは多くの患者さんの言葉ですが、有限を意識することは「大切な今を無駄にしないで生きよう」という心構えにつながり、人生を豊かにします。
しかし、現代は無意識ながら不老不死を求め、そのような必要な覚悟をすることを避けて生きている人のほうが多い気がすると著者は警鐘を鳴らしています。



「誰でもいつかは死ぬ」。
そんな当たり前のことを、ふつうに考えることが実は大事なことなんですよね。
「死」を意識することは、なかなか想像することはできないかもしれませんが、「大切な今を無駄にしないで生きよう」という心構えを持つために覚悟をもって心得たいですね。
「ふつうの日の連続」が幸せ
もしも、一年後の自分が病床に伏していると仮定したら、一年後の自分が今の自分に振り返る際に、今の生き方を後悔しないでしょうか?
日々進化している医療のおかげで、がんで死ぬという感覚が薄らいできた空気感があります。
ですが、「治った」と思われたがんが再発したという経験をする患者さんは、今でも多いそうです。
岸田徹(きしだ・とおる)さんという25歳の男性は、胚細胞腫瘍(はいさいぼうしゅよう)と診断され、しかも全身にがんがあることがわかりました。
全身移転となると、さすがに無事ではないと思われましたが、医師から「五分五分」と言われたので、これだけ移転して50%なら、まだなんとかなると思い直されたそうです。
そんな楽観的な岸田さんも、いったん治ったがんが再発したことがわかったときは、自分でもコントロールできない感情になったそうです。
そんなときに、自分を支えてくれたのは、先輩が教えてくれた『THINK BIG』(大きく考えろ)だったそうです。
「徹の10年後にはメッセージがあふれてる。頑張れ。人生で起こることすべてに意味がある」という意味が込められています。
現在の岸田さんは、幸いその後の治療がうまくいき、今生き延びた自分はやりたいことをやる人生を大事にしたいと思うようになられたそうです。
そしてこう言います。



「一日一生。
一日一日を大切に過ごしたい。今を生きなければ意味ないなと強く思います。
病気になるまでは、いろんな人に気を遣っていた人生だったなと。
死ぬときはひとりだと知っていると、周りを気にしていた自分って何だったんだって心底思うんです。
今起きていることはただの『ふつう』ではない。
『ふつう』の連続が『幸せ』なんです」
たしかに岸田さんが経験されたことは可能性は高くないにしても、自分にも起きうるという感覚を、あえて頭の片隅に持っておくことは大事なことです。
もし一年後に自分が病床に伏していると仮定したら、一年後の自分が今の自分を振り返る際に、今の自分をうらやみ、あれもしておけばよかった、これもしておけばよかったと後悔するかもしれません。
これを踏まえれば、「今日一日をこのように過ごせることは当たり前ではない」という意識が生まれ、「今ここにある自分」を大切に生きることにつながると著者は言います。



わたしは、もうすでに亡くなった両親のことを思い出しました。
「親孝行、したいときには親はなし」
これは自分自身に対しても言えることだと思います。
健康だからと、自分自身を痛めつけたり、無理をしたりしないで、「今」の自分を労わる毎日を過ごしていきたいものですね。
『もしも一年後、この世にいないとしたら。』の感想・まとめ
「死」を意識してこそ初めて生きることの「光」に気づく
本書の題名『もしも一年後、この世にいないとしたら。』にまず、ドキッとしました。
まるで夢も希望もない本なのかなあと、思いながら心拍が高まるのを感じ読み進めました。
けど内容は、どれももっともで、どの人も真摯に受け止めるべきことが書いてありました。
しかし、だからといって重苦しく考える必要なく、「人生は一回きりの旅である」と考えれば、人は与えられた環境の中で楽しむことを思うのではないでしょうか。
いずれ死ぬということは、誰もが認識しています。
ですが、「must」のことにばかりにかまけて、「want」をなおざりにしてはいないでしょうか?
ぜひ本書から自分の「want」に向き合う意識を持っていただきたいものです。
生きたくても生きれない人がたくさんいます。
「だからなんだ?」と思わずに、自分はどう生きるかということを真剣に考えてみる必要があるということです。
そういった意味で、たくさんの人に読んでいただきたい本であると感じました。
『もしも一年後、この世にいないとしたら。』は、現在(2022年8月28日時点)amazonの本読み放題サービス「キンドルアンリミテッド」の対象になっています。
キンドルアンリミテッドは、ビジネス書からマンガまで幅広いジャンルの本が読み放題です。ぜひこの機会にご検討ください。
『もしも一年後、この世にいないとしたら。』の概要
本書の目次
『もしも一年後、この世にいないとしたら。』
はじめに
序章 がんは体だけでなく心も苦しめる
第1章 苦しみを癒すのに必要なのは、悲しむこと
第2章 誰もが持っているレジスタンスの力
第3章 人は死の直前になって、心のままに生きていないことに気づく
第4章 今日を大切にするために、自分の「want」に向き合う
第5章 死を見つめることは、どう生きるかを見つめること
おわりに
著者の紹介
清水研(しみず・けん)
1971年石川県金沢市生まれ。金沢大学卒業。
がん研有明病院 腫瘍精神科部長
精神科医・医学博士
4000人以上のがん患者およびその家族との対話経験を持つ。
金沢大学卒業後、都立荏原病院での内科研修、国立精神・神経センター武蔵病院、都立豊島病院での一般精神科研修を経て、2003年、国立がんセンター東病院精神腫瘍科レジデント。
以降、一貫してがん患者およびその家族の診療を担当する。2006年より国立がんセンター(現国立がん研究センター)中央病院精神腫瘍科に勤務。2012年より同病院精神腫瘍科長。2020年4月より現職
日本総合病院精神医学会専門医・指導医。日本精神神経学会専門医・指導医
著書
『他人の期待に応えない ありのままで生きるレッスン』SBクリエイティブ (2020/9/4)
『絶望をどう生きるか』幻冬舎 (2022/8/24)
『がんで不安なあなたに読んでほしい。』ビジネス社 (2020/4/18)
共著
『国立がん研究センターのこころと苦痛の本』小学館 (2018/2/26)




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