
こんにちはコウカワシンです。
今回は、為末大(ためすえ・だい)さんの著書『諦める力』から学ばせていただきます。
『諦める力』は、どんな本?
『諦める力』は、ズバリ!「自分らしく生きるために、あえて自分を客観視する」ことの大切さを教えてくれる本です。
本書は、このような本
このようなことはありませんか?
「こんなに頑張っているのになかなか成果が出ない・・・。この分野は競争も激しくて自分らしさが発揮できるのは難しそうだ・・・」
「努力が足りないと言われるけど、いったいどうしたらいいのか・・・」
「この仕事、ハッキリ言って自分に向いていないと思う。だけど、あの人がすすめてくれたし今やめるのもなあ・・・」
まさに今目の前にある苦しさに耐えている状態です。
自分らしく生きれていないということでもあります。
そんなときは、しっかり自分を見つめ直し、より良い判断ができるように取捨選択をしてみましょう。
そういったことを教えてくれるのが、為末大(ためすえ・だい)さんの著書『諦める力』です。
「諦める」というと、なんだかネガティブなイメージがありますが、仏教では、真理や道理を明らかにして見極めるという意味で使われ、むしろポジティブなイメージを持つ言葉だといいます。
「耐える人生か、選ぶ人生か」
前向きに「諦める」ことから、自分らしい人生が開けてきます。
つまり、諦めることは、逃げることではありません。
与えられた現実を直視し、限られた人生を思い切り生きるために、よりよい選択を重ねていくことこそが「諦める」ことの本質であるということです。
オリンピックに3度出場したトップアスリート・為末大さんが、競技生活を通して辿り着いた境地がよくわかる一冊です。
本書がおすすめな人
『諦める力』が、おすすめな人
- 何ごとも自分を追い込んでしまう人
- 何ごとにも執着しやすい人
- 他人の評価を気にしやすい人
- がんばっても成果の出ないことにいつまでもこだわってしまう人
- 他人の言いなりになりやすく、自分らしさがわからない人




『諦める力』の要点は?
「成果の出ないこと」「苦手なこと」
そのようなことでもやらざるをえなく、ついダラダラと時間ばかりが経ち気持ちだけが焦るなんていうことはないですか。
そんなときは、「距離を置く」さらに言えば、「諦める」という判断をしてみてはいかがでしょうか。
「スポーツ選手になるのを諦めた」
「一流大学に行くのを諦めた」
「夢を諦めた」
このように書くと後ろ向きなイメージしかありません。
ですが、スポーツ選手や一流大学、そして夢・・・これは、自分が求めているもの、つまり目的でしょうか。
実は、それらはただ単に手段であって、本当の目的は、手段の先にあるもっと他のものではないでしょうか?
手段を諦めたからといって「終わり」とか「逃げた」には、なりません。
本当の目的のために手段を変えたらいいのです。
それが、「諦める」ということです。



それでは本書から、わたしの独断と偏見で、「諦めることの本当の意味」「諦めたことに後ろめたさを持たない」「自分らしい幸せの追求」など重点に取り上げてみたいと思います。
「諦める」は、さとること
為末さんは、8歳のときに陸上競技を始めました。
中学時代に100、200、400メートルと走り幅跳びなど複数の種目で全国の中学ランキング1位になりました。
ところが高校3年のとき、インターハイと国体で、200、400メートルの二種目に絞って出場し、花形競技の100メートルへの出場を断念します。
というのも、顧問の教師から、瞬発力と爆発的なスピードが必要な100メートルの試合で、肉離れを繰り返していた為末さんの身体を気づかってのアドバイスに同意したからです。
といっても、断念するには怒りと葛藤があり、素直には考えられませんでした。
しかし、さとったのです。
- 100メートルは、どの競技よりも競技人口が突出して多い
- ライバル選手の台頭
- 身体への負担
以上のことから、自分に100メートル競技は、向いていないと判断します。
顧問教師からは、以前から400メートルハードルに取り組むことをすすめられていたことから、インターハイのあとの大会でも100メートルに出場することを諦め、400メートルと400メートルハードルに絞ることにされたのです。
「諦める」とは逃げることではない
400メートルを走ると明らかに自分に向いているという感触があったそうです。
それでも自分の中には、まだ100メートルに対する未練が残っていたと言います。
そこで、自分を納得させるため、さまざまな分析をして、自分の判断が正しいことを数値で確かめました。
自分自身とライバル選手の肉体的な成長と100メートルの競技記録をグラフ化して比べてみると、そう遠くない時期にライバル選手が自分を超えていくのが明らかだとわかりました。
「努力しても100メートルでトップに立つのは無理かもしれない」
と、このように考えると、ただ自信を無くし、100メートル競技から逃げたというふうに見えます。
ですが、顧問教師にすすめられた400メートルハードルという種目を意識的に見て分析すると、世界トップクラスが集う国際大会だというのにハードルさばきが下手な選手が多いのに気づき、そんな選手が金メダルを取っているのです。
「これだったら、400メートルハードルでメダルを狙うほうが、100メートルで狙うよりよほど現実味がある」
つまり、さまざまな点を分析して、自分に向いた400メートルハードルという競技に転向し、100メートルを諦めたのです。
これは決して、逃げたのではなく、自分にとっての本質的な価値を大事にしたうえでの決断なのです。



こういう感覚って、アスリートだけのものではありませんよね。
わたしたちだって、職業を選んだりする際に、さまざまな分析をするでしょうし、自分にとっての向き不向きも勘案するはずです。
この感覚は、大事にするべきです。
手段を諦めることと目的を諦めることの違い
為末さんは、何かを「やめる」ことは「選ぶ」こと、「決める」ことと考えられています。
なぜなら、「やめる」ことを「「諦める」こと、「逃げる」ことという感覚を持っていたのでは、どうしても自分を責めてしまうからです。
もっとも、若い頃はそうだったと言います。
「諦めるのはまだ早い」という言葉がありますが、それでは諦めたことに対し、罪悪感や後ろめたさを抱いてしまいます。
そこで、「100メートルを諦めたのではなく、100メートルは自分に合わなかった」と考えると、自分の決断について、ポジティブな意味を見出すことができます。
たとえば、
「100メートルを諦めたのは、勝ちたかったからだ」
「勝つことに執着していたから、勝てないと思った100メートルを諦めた」
「勝つことを諦めたくないから、勝てる見込みのない100メートルを諦めて、400メートルハードルという勝てるフィールドに変えたんだ」
といったことです。
つまりは「勝つことを諦めたくない」という目的を明らかにし、自分の腹の奥底にある本心を素直に見つめ直せるということではないでしょうか。
そのように考えれば、「AがやりたいからBを諦める」という選択は正しいのであって、Bという手段にこだわっている限りAという目的は手に入らないのです。
多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っています。ですが、目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのです。
為末さんは、自身になぞらえ、「100メートルで決勝にも出られない人間と、400メートルハードルでメダルを取れる人間」と表現されています。
はたして、どちらに価値があるでしょうか。
問いを変えることで、答えも変わるということですね。



為末さんは、100メートル競技へのこだわりや未練がありました。
でも、「自分は競技を通してどうありたいか?」を考えました。
そうすることで目標と手段がはっきりします。
取捨選択しなければいけない場面は、誰にでもあります。
そのときに大事なのは、「目的」をはっきりさせることですね。
負け戦はしない、でも戦いはやめない
「勝ちたい」という目的がある人は、「自分の憧れが成功を阻害する」可能性をドライに認識するべきだと為末さんは言います。
しかし、そうした分析を始めると、「あの人は、自分の弱点を乗り越えて成功した」という成功例が引き合いに出され、それを真に受ければ「自分も頑張ればできる」という気になるかもしれません。
たしかにそういうこともあるかもせれません。
しかし、適性から判断すれば、他の競技でオリンピックに出場していたはずなのに、成功例に影響されてしまったために才能を開花させることができなかったということもあるし、スポーツとは違った分野で成功させる芽も摘んでしまうケースもあります。
人間には変えられないことのほうが多いです。
だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要です。
為末さんは、これを戦略だと言います。戦略とは、トレードオフです。
つまり、得るものがあれば失うものもあるということですが、「諦め」とセットで考えるべきものなのです。
自分の強い部分をどのように生かして勝つかということを見極めることが大事なことなのです。
そこで為末さんは、「勝ちたいから努力するよりも、さしたる努力をすることもなく勝ってしまうフィールドを探すほうが、間違いなく勝率は上がる」と、アドバイスします。
「最高の戦略は努力が娯楽化すること」とも言います。
そこには苦しみやつらさという感覚はなく、純粋な楽しさがあります。
苦しくないから成長できないなんてことはありません。人生は楽しんでいいのです。そして楽しみながら成長すること自体が成功への近道だとも言います。
ここで大事にしなければいけない意識は、「諦めていい」とは「何もしなくていい」ではないということです。
為末さんが、本書で言いたいのは、「手段は諦めていいけど、目的を諦めてはいけない」ということであり、踏ん張ったら勝てる領域を見つけることであるのです。
「どうせ私はだめだから」と、勝負をする前から努力をすることまで放棄するのは、単なる「逃げ」なのです。



他人から見れば、すごく努力していると見えるのに、当の本人は、努力している感覚がない、ただ楽しいからやっているというようなものが見つかったらそれが、自分の強みになってくれるものでしょうね。
手段は違えども、自分が戦えるフィールドを探してみましょう。
諦めたことに罪悪感は持たない
続けることはいいことか?
「私はこれを好きでやっている。たぶん成功しないこともわかっている。でも、好きでやっているのだからそれでいい」
割り切った人の考え方はこうです。
割り切ったうえでやめないことを自ら選択しているケースについては、他人がとやかく言う筋合いはありません。
ですが、割り切れていない人だとこのように考えるのではないでしょうか?
「私にはこれしかない。今以上に努力を続けていれば、いつか成功できるはずだ」
たしかにある程度、自分を客観視できているかもしれません。でも、努力すればどうにかなるという考え方だと、成果を出せないままズルズルと続けてしまいかねません。
それにも増して、
「今まで一生懸命やってきたし、続けていれば希望はある」
と考える人は、自分を客観視できていない恐れもあります。
一生懸命やったら見返りがあるという考え方は、犠牲の対価が成功という勘違いを生みます。
というのも、成功者はすべて努力したから成果を出せたわけではなく、運がよかったり要領がよかったりして成功したということが実際は多いからです。
ここで本書からひとつの例をあげてくれています。
2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥(やまなか・しんや)さんは、もともと整形外科医を志し神戸大学医学部を卒業後、国立大阪病院整形外科で研修医として勤務されていました。
ですが、他の研修医が20分で終わらせられるような簡単な手術に二時間もかかっていたそうで、指導医もあきれて手術の手伝いさえもさせてもらえなくなったといいます。
「自分は整形外科医に向いていない」と考えた山中さんは、ほかの理由も重なって、病院を退職。研究者になるべく大阪市立大学医学部研究科に入学されました。
山中さんのその後の輝かしい成果は、誰もが認めるところですね。
山中さんは、整形外科医になるのが目的ではなくて、病気に苦しんでいる患者さんを治したいという使命感がありました。
だから、自分が整形外科医に向いていないと感じ取った時点で、目的に到達するための別のアプローチを模索し研究者の道を選ばれたのです。
これを踏まえて、「そもそも、自分は何がしたいのか?」といったこと。つまり、自分の思いの原点にあるものを深く掘り下げていくと、目的に向かう道がほかにも見えてきます。
道は一つではないけど、一つしか選べません。
ですので、Aという道を行きたければ、Bという道は諦めるしかないことであり、何ひとつ諦めないということは立ち止まっていることに等しいと考えなければいけません。



「〇〇のために夢を捨てる」という人がいますが、その人の夢は、はたして何だったのでしょうか?
手段を夢と考えるなら成果を求めない割り切りが必要です。
目的を夢とするならアプローチする手段が無数にあるかもしれません。
そう考えるほうが人生が楽しいと思うのはわたしだけではないでしょう。
「せっかくここまでやったんだから」という呪縛
日本人は「せっかくここまでやったんだから」という考え方にしばられる傾向が強いと為末さんは言います。
過去の蓄積を大事にするという意味にも取れますが、実態は過去を引きずっているに過ぎないのではないでしょうか。
何かをやめるかやめないかを決めるうえで大事なロジックが「希望」であるか、それともただの「願望」なのかであるといいます。
「成功する確率が低いのは薄々気づいているけれども、もしかしたら成功するかもしれないから諦めずにがんばろう。今までこれだけがんばってきたんだし」
「もしかしたら成功するかもしれない」という点において「願望」と言わざるをえないのではないでしょうか。
もしこれが、
「もう少しで成功するから、諦めずにがんばろう」
ならば、未来にひもづけられた「希望」といえます。
願望と希望を錯覚してズルズル続けている人は、やめ時を見失いがちです。というのも願望は確立をねじ曲げるからです。
人は、成功の確率が1パーセントしかないのに、願望に基づいたいろいろな理屈をつけることで、10パーセントに水増しすることをやってしまいがちです。
踏ん切りをつけるタイミングについては、この瞬間という明確なものがないのも事実です。
ですが、あえて言うなら、それはやはり「体感値」でしかないと為末さんは言います。
何かを始めたばかりのころは、成功の確率は100パーセントあります。ですがやがてそれは99パーセント、98パーセントと徐々に下がっていきます。
そのとき、何パーセントになったら踏ん切りをつけるべきかというのを、感覚的に決めておくといいですし、日ごろから希望と願望の違いを客観的に見るクセをつけておかなければいけません。
為末さんは、小学校などでかけっこの授業をするとき、子どもたちにハードルを跳んでもらうそうです。
それはかけっこに必要な技術的なことと自分の跳べる高さはどれくらいかということを体感で知ってもらうことです。
ハードルを全力で飛ぶと、自分で思っているよりももっと高く飛べることがわかるし、いまの自分では飛べない高さがあることもわかります。
飛べるかどうかわからない高さだから引っかけて転ぶことだってあります。そこで自分の範囲を知ることができます。
「これは飛べる高さ」、「これは飛べる幅」といったことを体感してわかっていることが大切なのです。
これはかけっこやハードルの話ですが、それだけでなく他のことでも応用できます。
「この目標は達成できる」とか「この仕事はこれだけの時間があれば十分」といったことなど、人間はいつも自分の範囲と外的環境を見比べて「できるかどうか」をほとんど無意識で決めています。
全力で試した経験が少ない人は、「自分のできる範囲」について体感値がありません。
ありえない目標を掲げて自信を失ったり、低すぎる目標ばかりを立てて成長できなかったりしがちです。
転ぶことや失敗を恐れて全力で挑むことを避けてきた人は、この自分の範囲に対してのセンスを欠きがちで、それが一番のリスクだと為末さんは警鐘を鳴らしています。



「せっかくここまでやったんだから」ということのロジックを願望で終わらせてはいけないということですね。
それには、やめ時のポイントを自分の範囲と外的環境を見比べて決めるべきです。
そして自分の範囲を知るには「体験値」が必要で、体験して得られたデータです。
これがないと、やめるかやめないかを決めるときの判断ができないということですね。
迷ったら環境を変えてみる
この日を境にして、何かそういう体(てい)にしてしまうと、本当にそうなっていくということがあります。
昔の武士が、強制的に元服させられたように、この日から大人だと決められ、無理をしてでも大人として振る舞っていくと、本当に大人っぽくなっていくといわれています。
現代では、成人式がそれに当たりますよね。
そして、社会に出ても、会社で昇進してその役職に就くのも「この日を境にして」というシチュエーションに合わせて、ふさわしくなっていくということが人間にはあります。
まず、前提として人はシチュエーションと関係性によって、いろいろな自分を演じているということが言え、実は本来の自分などないというのが為末さんの意見です。
あるシチュエーションのなかだけで考えているかぎり、固まった思考から抜け出すことができないけれど、シチュエーションを変えるだけで考え方が変わってしまう、しかも価値観もろとも変わってしまうのはよくあることだとも言います。
ですが、置かれた環境にあまりにも順応してしまうと、何かをやめたり諦めたりする選択がしにくくなる、今ある状況にあまりにもいろいろな人が絡みすぎていると、諦めるという決断力が鈍ります。
そういうときには、そこから一度離れてみるといいと為末さんは言います。
別の環境を求めて移動し、新しい関係性のなかに身を置いてみると考えが変わるかもしれないのです。
このままいくか、やめるか、変えるかといった転機において、いったん環境を変えてできるだけ白紙状態の自分と向き合ってみるのがベターといえます。
ところがやっかいなことがあります。
「こんなことをしたらあの人に迷惑がかかる・・・・・・」
「みんなからこんなふうに思われるのではないか・・・・・・」
と、このように考えてしまうことです。
そんな気持ちを断ち切るために、情報を遮断する必要があります。そしてそれが環境を変えることの必要性の一つでもあります。
よく周囲との関係を断ち切れないと言いながら、自分がいないと日常が回らないと思うことで安心している人がいるといいます。
本当は、自分がいなくても社会は回り続けるのに、それを思い知らされるのが怖いのです。
為末さんは、決断を引き延ばすことと、周囲との関係を断ち切れないことは関係していると言います。ある意味で、諦めることは周囲との関係性をいったん断ち切ることにほかならないということです。
たしかに関係性を断ち切れば、それまで周囲から受けていたポジティブな評価もすべて切り捨てることになります。
これはけっこうつらいことですが、やめてまた新たに何かを始めれば、そこで新たな人とつながることもできます。
諦めることは周囲から気にかけてもらえない状態に平気になるということです。人にかまってもらえないのは寂しいけど、「どこか気持ちいいところがある」と、そのくらいの覚悟は持ちましょう。



わたしも、うまくいかないことがあるとよく環境を変えていました。
そのたび、人間関係も疎遠になり、寂しい思いをしたことは数知れません。
ですが、「これが人生」と思えば、案外乗り切れるものですね。
自分の幸せを追求する
選ばれるのを待つ人生か、自分で選ぶ人生か
世の中、いろんなランキングがあります。
たとえば、タレントなどの「好感度ランキング」とか国とか地域の「幸福度ランキング」、「魅力度ランキング」などです。
イギリスの心理学者が幸福度ランキングというものをつくり、2006年に発表された内容を見ると、1位はデンマーク、2位スイス、3位オーストリアで、ちなみにアメリカが23位、日本は90位で、フィリピン、中国、ガーナ、ウルグアイといった国より低いとされています。
GDPと幸福度が必ずしもリンクしていない点が興味深いですよね。
企業にしても、売り上げやブランド力といった観点とはまた別の指標で評価すると、ランキングの順位もがらりと変わってきます。
たとえば、「企業内幸福度」や「社員幸福度」が、売り上げ規模に連動してはいませんよね。
就活の学生には、大企業や有名企業と中小企業には動かしがたい社会階層があるように見えていて、それは誰が作り、どういう基準に基づくものなのかをわかる人は、まずいないはずです。
しかし、その社会階層を誰が作ったのか、どういう基準に基づくものなのかを自分の頭で考えてみると、それに縛られていることで自分の選択肢が狭まっていることに気づくのではないでしょうか。
そこで為末さんは、誰もが知っている「いい会社」から内定をもらえなくて意気消沈している学生に向けてこう言います。
「あなたが就職した先に描いている大きな目標は何だろう。それはランキング上位の会社に入らないと実現できないことなのか」
つまり、誰かが設定したランキングに振り回されるのではなく、自分なりにランキングを持とうということです。
そうすれば、他者評価を客観的に見ることができ、本当の意味で自分にとっての幸福度を認識することができ、自分の人生においての目標を見つめ直せることにつながります。



日本人は金メダルとかノーベル賞といった既存のランキングを非常に好みます。
わたしも実はそうだったりしますが、そういった意識が承認欲求を欲し、人からの評価に一喜一憂する原因になります。
これでは、自己肯定感が高くなりません。
それよりも自分の人生においての目標をしっかりとらえて、それに向けて前進していきましょう。
アドバイスはどこまでいってもアドバイス
ネット上では、顔の見えない人がいろいろなことを言いますよね。
たしかにすべてが、親身になってアドバイスをしてくれていないわけではないでしょうけど、それを残らず受け止めていたら身が持ちませんよね。
中には、批判的な意見もあり、それを受け入れるのは、かなりつらい作業です。
自分に都合のいいところだけ受け入れて、マイナス面だけをシャットアウトするのは、やはり無理があります。
そんなときは、あえて「聞き流す」ことが身を守ると為末さんは言います。
自分が聞く範囲はここまで、と明確なラインを引く。大事なのは「聞かない」ことではなく「無視する」ことでもないのです。
聞いたうえで流すのです。
為末さんの感覚では、何かを決断するために必要なアドバイスは、多くても5、6人からもらえば十分だと思われています。
身近で信用している人のアドバイスだとしても、間違っている可能性はあります。
アドバイスはどこまでいってもアドバイスの域を出ません。
ソーシャルメディアが社会的インフラとして定着していく時代には、人間関係を立体的に見るということが重要になってきます。
たとえばリアルな世界では、身近な人の言葉とあまり関係の濃くない人の言葉を比較した場合、同じことを言っているとしても受け取り方はぜんぜん違いますよね。
一方でソーシャルメディアではどのような人の言葉も並列に見え、本来なら聞かなくてもいいようなノイズさえもふつうの言葉として聞こえてしまうということはないでしょうか。
そして、多くの人が聞かなくてもいいノイズに振り回されているのです。
適当な感覚で言っている一言と、ものすごく切実な気持ちで言っている一言が、図らずも同じ表現になることがあります。
適当な感覚で言った人の声は聞き流してもいいのです。
本当なら、ソーシャルメディア上でつながっている人が増えても、自分にとって本当に大事な人が発した言葉が、顔の見えないその他大勢の言葉に埋もれないような仕組みができればいいと為末さんは思われています。



わたし自身、ソーシャルメディアが苦手で、自分個人の悩みとか、それについて思うことを投稿することはありません。
でも、なかには親身になって相談に乗ってくれる人も少なからずいるとは思います。
そういう信頼の築ける仕組みができるといいですね。
手に入れていくことの幸福、手放していくことの幸福
人間は「欲」を持つ動物です。
「欲望」という言葉があるように、今の自分に不足を感じてこれを満たそうと強く望む気持ちがあるのです。
為末さんもそうだったと語ります。
メダルを取ることがすべてで、メダルさえ取れれば自分は満足、幸せを手に入れられると思っていたのです。
しかし、メダルを取ってみたら違っていたと言います。人間は慣れるもので、「いつまでちやほやしてくれるのか」ということを考え始めると、今の状態がそれほどいいとは思えなくなってくるのだと言います。
するといろんなものが見えてきます。
自分が取ったのは銅メダルで、金メダルを取ったらもっと幸せになれるのかとも考えてみたそうです。
でもたぶん違う、金メダルを取ったら取ったで、また同じようなループに入っていくのだということは容易に想像できたそうです。
この状態は、誰かにほめられ続けないと自分が成し遂げたことが確認できない「依存性」のようなものだとも語りました。
では、どのような状態が幸せなのでしょう。何でもかんでも手当たりしだいに手に入れることで、幸福が得られるわけではありません。
むしろ、ある段階がきたら、「もうこれはいらない」と手放していくことで、幸福が近づいてくるのではないかと最近では思うようになったと言います。
「何も諦めたくない」という姿勢で生きている人たちは、どこか悲愴(ひそう)に見えるそうです。
「仕事も諦めない、家庭も諦めない、自分らしさも諦めない。なぜなら、幸せになりたいから」。
でもこういうスタンスだとけって幸せを遠ざける原因にも見えてしまい、むしろ、何か一つだけ諦めないことをしっかり決めて、残りのことはどっちでもいいやと割り切ったほうが、幸福感が実感できるのではないかと言います。
極端な話で賛否両論ありますが、突き詰めていけば仕事と家庭はトレードオフです。一日の時間は限られているのに、仕事と家庭に同じ時間を割くということは無理です。
遅くまで残業したり、休日も返上して出勤していたとしたら、イクメンパパになることはできないでしょうし、仕事をどこかで割り切らないと、責任を持ったかたちで子育てにかかわることができないのです。
何もどちらかを完全に諦めろと言っているわけではなく、ただ、「今日はどちらを優先したいと思っているのか」ということを自覚していないと、自分に対する不満ばかりがたまっていくということです。
「仕事もしたいのにできていない」
「子育てにもきちんと取り組みたいのにできていない」
あれも、これも手に入れたいという発想の行き着く先は、つねに「できていない」「足りていない」という不満になります
現代は生き方、働き方に多くの選択肢がある時代です。多くの選択肢があることは確かにメリットがありますが、一方で選択肢がありすぎて選べないデメリットもあるということです。
ですので、メリットばかりを強調せず、自分の優先すべきことをしっかり定めないと、自分軸を見誤らせる危険性があるので注意しないといけません。



老子の教えで「足るを知る」があります。
「足るを知る」とは、現在の自分の状況に満足する、今目の前にあるものに対して感謝する、という意味です。
選択肢の多い現代では、この考え方をしっかり持たないと決して自己肯定感は高まりません。
確かに「欲」というものから逃れることはできませんが、「足るを知る」ということを中心に置き、自分らしい日常が送れるようにしなければ、幸福というものにいつまで経っても気づかないかもしれないですね。
『諦める力』の感想・まとめ
金メダルは何の種目で取っても金メダル
どのような分野でもしゃかりきにやれば、努力さえ惜しまなければ、競争に勝てると思う人が大半で、「なんであなたは競争を勝ち抜いていく覚悟を持たないのか」という人がいたりもします。
ですがどうでしょうか?
陸上競技で言えば、100メートルのような短距離走競技では、日本人はなかなか世界の頂点に立つことはできません。
だけど、他の競技なら頂点に立てる可能性があるとすれば、自分の特徴を生かした選択肢があり、それを選ぶのも自分自身です。
それが、為末さんにとって400メートルハードル競技だったのです。
これは、ビジネスなどの世界でも言えることで、わざわざ競争が激しい「レッドオーシャン」な業界で四苦八苦するよりも、競争の少ない業界、すなわち「ブルーオーシャン」を見つけ、そこで勝負したほうが有利なはずです。
他人の「あいつは逃げた」なんて声は無視しましょう。
どの分野でも成功すれば、それが自分の生きる道だからです。
つまり、「金メダルは何の種目で取っても金メダル」なのです。
本書では、為末大(ためすえ・だい)というアスリートの考え方に触れ、自分が取るべき取捨選択の判断、トレードオフの重要性、自分の幸福度を上げるために心得ておくことを学びました。
為末さんの厳しいながらも愛情を持った部分がたくさん注入された一冊です。
ぜひ手に取ってご一読ください。
『諦める力』は、現在(2022年8月21日時点)amazonの本読み放題サービス「キンドルアンリミテッド」の対象になっています。
キンドルアンリミテッドは、ビジネス書からマンガまで幅広いジャンルの本が読み放題です。ぜひこの機会にご検討ください。
『諦める力』の概要
本書の目次
『諦める力』
勝てないのは努力が足りないからじゃない
はじめに
第1章 諦めたくないから諦めた
第2章 やめることについて考えてみよう
第3章 現役引退した僕が見たオリンピック
第4章 他人が決めたランキングに惑わされない
第5章 人は万能ではなく、世の中は平等ではない
第6章 自分にとっての幸福とは何か
おわりに
著者の紹介
為末大(ためすえ・だい)
1978年、広島県生まれ。
法政大学卒。
Deportare Partners代表。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。Youtube為末大学(Tamesue Academy)を運営。
国連ユニタール親善大使。
スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。
男子400メートルハードルの日本記録保持者(2021年7月現在)。
現在は執筆活動、会社経営を行う。
著書
『ウィニング・アローン』プレジデント社; 第1版 (2020/5/12)
『「遊ぶ」が勝ち』中央公論新社 (2020/3/25)
『走りながら考える』ダイヤモンド社; 第1版 (2012/11/22)
『負けを生かす技術』朝日新聞出版 (2016/7/7)
『限界の正体』SBクリエイティブ (2016/7/26)
『為末大の未来対談』プレジデント社; 第1版 (2015/12/23)
『逃げる自由 』プレジデント社; 第1版 (2016/5/31)
『日本人の足を速くする』新潮社 (2007/4/30)
『為末メソッド 自分をコントロールする100の技術』日本図書センター (2021/3/18)
『生き抜くチカラ』日本図書センター (2019/10/5)
『DVD付き 為末式かけっこメソッド 子どもの足を速くする!』 扶桑社 (2013/4/12)
共著
『自分を超える心とからだの使い方』朝日新聞出版 (2021/6/11)




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