
こんにちはコウカワシンです。
今回は、枡野俊明(ますの・しゅんみょう)さんの著書『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』から学ばせていただきます。
『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』は、どんな本?
『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』は、ズバリ!「繊細さんがわがままに生きる方法」を教えてくれる本です。
本書は、このような本
ニューズウィーク日本版「世界が尊敬する日本人100人」に選出された禅僧、枡野俊明(ますの・しゅんみょう)さん。
大学教授、庭園デザイナーとしても活躍されています。
ベストセラーも多数で、以前取り上げた『心配事の9割は起こらない』の著者でもあります。


その枡野さんは、こう言います。
❝誤解を怖れずにいいましょう。
じつは禅僧はみな「図太い」のです。❞
禅僧の「図太さ」って、何なのでしょう。
そして、「図太さ」の極意とは、どういったものなのでしょう。
今回紹介する『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』では、それがよくわかります。
仕事においても、プライベートにおいても、傷つくもとになるのが「人間関係」です。
とくに「繊細な人」ほど、その影響を受けやすいのではないでしょうか。
本書のキーワードと言えるのが、「折れない」「めげない」「気にしない」です。
それと同時に、寝付きが悪い方のための「眠れる座禅」のやり方が付いています。
世の中の変化速度が速い現代において、図太くしなやかに生きていく考え方が学べる一冊です。
本書が、おすすめな人
『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』がおすすめな人
- ささいなことで、すぐあれこれと思い悩んでしまう人
- 自分の意思よりも、人のいうことに流されやすい人
- 何か心をふさぐことがあると、いつまでもそこから抜け出せない人
- いつも周囲にどう見られているか、気になって仕方がない人
- 傷つくのが怖くて、自分が思ったことをいえない人




『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』の要点は?
著者の枡野さんは、「生きていくうえで、心を強く持っていられる。そういった態度の❝源流❞になっているのが『真の図太さ』だ」と言います。
- 嫌なこと、つらいことに押しつぶされないたくましさ。
- 苦しい状況や困難な局面に置かれても、折れたり、へこんだりしないやわらかさ。
- その瞬間は落ち込んだりしても、すぐに立ち直れるしなやかさ。
- 自分に批判的な周囲の声に接しても、「まあいいか」と受けとめることができるおおらかさ。
言葉を換えれば、これらのことは「図太さ」という土壌の上に培われるものだというのが枡野さんの意見です。
枡野さんが、禅の修行のなかで、自然に図太さが身についていったとされています。
つまり、世の中の困難は、禅思考を持てば乗り切れるということです。



それでは、本書からわたしの独断と偏見で、重要だと思うポイントを紹介したいと思います。
なお、今回記事で取り上げること以外にも有益な情報が満載ですし、寝付きが悪い方のための「眠れる座禅」のやり方は、ぜひ一見していただけたらと思います。
よろしければぜひ手に取って読んでみてください。
たくましく生きるために
図太い人は、人間関係もいい意味で「鈍感」
「あの人が言ったあの言葉が気になる・・・・・・」
「悪い人じゃないんだけど、あの人はたまにイヤなこと言うんだよね・・・・・・」
「あんな対応されるなんて、あの人は、わたしのことが嫌いなんだな、きっと・・・・・・」
人が傷ついたり、悩んだりする原因の大半は人間関係です。
人はたくさんの人とかかわりながら生きているのですが、そこで軋轢(あつれき)や気持ちのすれ違いが起こるのは当然のことです。
なかでも、「繊細さん」と呼ばれる、何ごとにも刺激を受け敏感に感情を揺さぶられやすい人は、傷つく度合いが大きいといえるかもしれません。
相手のなにげない言動にも鋭い感性がついつい働いてしまうのです。
一方、図太い人は相手の言動に対していい意味で鈍感、おおらかです。相手のチクリと胸に刺さるような言動も気にかけないという鈍感さは、繊細さんにしてみたら、とてもうらやましいと感じるはずです。
でも、そもそも人間関係を結んでいる相手に対して、はっきりした悪意をもって接することは、ふつうないはずです。意識して邪険な態度をとることも、そうそうないのではないでしょうか。
そうであるなら、先ほどの「心ない」と思う言葉は、❝うっかり❞口から出たり、たまたま虫の居所が悪くてとったものである可能性が高いといえます。
いずれにしても、含むところはないのです。
そこに悪意や悪感情を嗅ぎ取ってしまうのは過剰反応であり、そういうところから人間関係がギクシャクしてしまうといえるのです。
でも、そのことを理解し「気にするな」と言われても、性格的に気になってしまうのが人間です。
こういった場合の著者のアドバイスは、こうです。著者の尊敬する板橋興宗(いたばし・こうしゅう)禅師の怒りをためない方法ですが、とても参考になります。
禅僧といえども、相手の言動にカチンとくることはあります。
板橋禅師は、深い呼吸を数回して、「ありがとさん」を三度心のなかで唱えるのだそうです。
すると、怒りの感情はふーっと鎮まってしまうというのです。
「どんなつもりでこんな言葉を吐いたのだ」
と頭で考えたら、怒りは増幅します。
しかし、深い呼吸で間をとり、心で何かをつぶやくと、怒りは頭にまで上らず、しぼんで消えるのです。
唱える言葉は、「ありがとさん」でなくてもいいそうです。
たとえば、「平気、平気」とか「大丈夫、大丈夫」といったものなら、心の安心につながりそうですよね。
「後々まで尾を引きそうな言動に接したら、その場で深く呼吸をして、何かを唱える」
こういったことが、過剰反応を防いでくれ、傷ついたり、悩んだりする❝タネ❞を跳ね返す「盾」の役目をはたしてくれるのです。
そして、この流儀が身につくと、ちょっとのことでは堪(こた)えなくなるし、相手の言動をおおらかに受け止められるようになります。
そして著者が言うには、もともとの繊細さが備わっていることで、人間関係において相手をおおらかに受け止めるのと同時に、相手に対してはこまやかな気づかいをすることができるようになります。
おおらかさと繊細さは、いい人間関係を築き、深めていくうえでのいわば、両輪です。
繊細さゆえ、人とのつき合いがうまくできなかったところが、おおらかさ、つまり本書でいうところの図太さを身につけてことで輝いていきます。
人間関係は一気に良くなっていくのではないでしょうか。



「図太さ」は「繊細さ」さえも大いなる魅力に変えてしまうのですね。
そのためにも心を鎮める自分だけの言葉を持ちたいなあと思いました。
わたしなら「なんでもない、なんでもない」と唱えるかな。
禅は「比べる」ことをもっとも嫌う
「アイツにいつも営業成績で負けてしまう・・・・・・。いくらがんばっても、到底、自分はかないっこない」
彼女はきれいだから、どんなファッションでも似合うんだわ。おしゃれをしても、こんなわたしじゃ・・・・・・」
人はさまざまな思いをもって生きていて、そのなかの一つにあるのが「劣等感」です。
他人に比べて自分は劣っているという思いは、心を縮こませます。そして、悩みや悲しみにもつながっていきます。
そりゃ、どうしても優れた人や美しい人と自分を比べてしまうと、みじめな気持ちになるのはいたしかたないことです。でも、そのような人らを疎ましく思ったところで現状は変わりません。
つまり、他人と比べたところで、自分は何ひとつ変わらないのです。
禅はその「比較する」ということをもっとも嫌うそうです。
他人と比べる心を捨てると、いまよりずっと軽やかに、おおらかに生きていけると思いませんか?
それまでは比べる対象にじっと目を凝らし、その動向に一喜一憂していたなんてことがあったかもしれませんが、その負担がなくなって、心が安らかになります。
心がゆったりするといいことがいっぱい起きます。
外に目を向ける必要がなくなったぶん、自分の内面に目を向けられます。
自分を見つめる時間が増えるということはとても大事なことです。
たとえば、
「前の仕事で最終トラブったけど、今度の仕事はスムーズに最後まで完遂できた。少しはできる男になったってことかな」
「いままでは言われたことをするだけだったのに、自分なりに仕事を回せるようになってきた。これって、やる気が出てきたってことだよな?」
といった具合に自分を見つめ、以前の自分といまの自分を比較することで、変化を感じる。
つまり、できなかったことができるようになった自分を知るということですが、このことは、心にとって大きな喜びですし、もっと自分を飛躍させるための確実な原動力にもなるということです。



他人と比べても意味はありません。
自分の内にこそ、比べるものがあるのです。
思いどおりにいかないから、「どうにかなるさ」と考える
「このところ調子が出ない。何をやっても思いどおりにいかない・・・・・・」
こんなときって、誰にでもありますよね。むしろ思いどおりになることのほうが、あまりないように感じます。
仕事にいたっては、相手があることですから、こちらと同じように相手も❝思惑❞を持っています。そのすり合わせなり、せめぎ合いのなかで、すべてこちらの思いどおりになるなんてことはまずありえないことです。
おたがいがどこかで相手に譲って、はじめて着地点が見つかるということになっていきます。
恋愛にしたって、思いを寄せる人がいる、当然、相手にもこちらを振り向いてほしいと思いますよね。
しかし、どれほど情熱があっても、どんなに愛情を傾けても、相手の気持ちをこちらの思いどおりにすることはできません。
世の中に思いどおりにいくことや思いどおりになること、めったにないのに思いどおりにしようとするから心が窮屈になり、しんどいのです。
これを仏教では「苦」というそうです。
思いどおりにならないことを、思いどおりにしようとするところに、悩み、苦しみが生まれます。それがお釈迦さまの教えなのです。
しかし、思いどおりにならないからといって、絶望におおわれることはありません。「どうにかなる」と著者は言います。
というのもこのような禅語があるからです。
「柔軟心」(じゅうなんしん)
やわらかく、しなやかで、自由な心のことを指すのですが、力が抜けた心といってもいいですし、本当の意味で図太い心というのも柔軟心なのです。
窮屈な心はどんどんやわらかさ、しなやかさを失って、堅くこり固まってしまいます。それでは身動きができないですよね。
ですので、心の力を抜き、思いどおりにならなかったら、それをサラリと受け容れ、「どうにかなるさ」と気持ちを切り替えることが大事なのです。
そして、どうにかなった現実の中で精いっぱい生きていけばいいのです。
ということで、思いどおりにならなくて悶々とすることがあったら、「どうにかなるさ」と声に出して言ってみましょう。そして、心にやわらかさ、しなやかさを甦(よみがえ)らせるのです。



どうにもならないときって、たしかにしんどいです。
そんなときほど「なんとかなるさ」ですね。
柔軟心で考え、こり固まった心の力を抜きたいと思います。
人間関係はこうする
「先読み」しない
たとえば仕事の交渉で、
「こちらがこう提案したら、先方はどんな反応をするかなあ? こんな反応だったらこういくか。こっちの方向できたら、こうだな・・・・・・」
と、先読みして臨むことはないでしょうか?
真面目な人ほどきっちりと先、先、先を読んで、それぞれについての対応を考えるそうです。
でも、先読みすることにも弱点があるといいます。それは、読み間違った場合です。
「えっ、そんな対応は考えていなかった。まさか、そうくるなんて、まいったなあ。どうしよう、どうしよう・・・・・・」
真面目に、几帳面に、あまりに先まで読んだことが、かえって仇になったわけですが、「こんなはずではなかった」という状況ですから、当然焦ります。
結果、その後の対応もしどろもどろとなり、交渉の主導権はまちがいなく相手に奪われます。
ということは、いくら先まで読んでも、その通りにいくことは希(まれ)だということです。
著者のおすすめは、❝きっちり❞ではなく、❝ゆるく❞❝ざっくり❞です。
提案ということでいうなら、相手からどんな疑問点が出ても、それに答えられるような準備だけはしておき、そのうえで流れはその場の空気にまかせる。そうすることで対応の幅が広がると著者は言います。
「空気にまかせる」とは、相手の表情や口ぶりからその思いをくみ取り、気持ちを感じて、自在に対応していくということです。あらかじめ流れを決めてしまっては、これができません。
「準備は整った。あとは出たとこ勝負だ」と、それくらいの図太いスタンスでいいということです。
プライベートでもそうです。
デートで生真面目に「どこかで待ち合わせして、このレストランで食事、あのバーで飲んで・・・・・・」といった具合にきっちりしたプランを立てても相手から「今日は和食がいい」と言われることだってあるかもしれません。
「雲無心」(くもむしん)
この禅語は、とらわれのない自由な姿であることの大切さを言ったものですが、空にうかぶ雲は、風にまかせきって、形を変え、さまざまな方向に流れていきます。
流れる方向も変わっていく形にもこだわりがなく、とらわれることがないのに、本質を失うことはけっしてありません。
そこに真の自由な姿があると著者は言います。
どのようなことでも人づきあいは生き物ですから、いくらきっちり先読みしたとしても読み通りにならないこともあるというのは知っておかなくてはいけません。
そのためにも、ゆるく、ざっくり、とらわれない自由な心で臨むことが重要なのです。



ポイントだけ押さえたら、あとはざっくり。
ものごとはこれくらいが丁度いいのかもしれませんね。
自分にも他人でも「完璧」を求めない
自分に甘く、他人に厳しいなんていう人はいませんか?
たとえば仕事の場面とかで、自分が得手とすることを他人が同じようにできていないと、イラだったりするのではないでしょうか。逆に不得手なことに少しくらい時間がかかったってしょうがないと身勝手に考えたりもします。
つまり、誰にでも得手不得手はあり、「完璧」な人間はいないということです。
たぶん多くの人は、きわめて当然のことで、わかっているつもりではいても、ときとしてそれを忘れ、他人に多くを求めたりするから、心が騒ぐのです。
こういったことで、人間関係のギクシャクは起こります。
それを防ぐには、「自分にも他人にも完璧を求めない」という意識が大事です。
とくに部下に仕事の指示をする立場の人は、その部分に注意を払う必要がありますよね。
部下の得手不得手は事前に把握しておき、適切な指示を出すことができれば、チームとしてもうまく回転し、部下のほうでも「わかってくれている上司」「頼もしい上司」と映るはずです。
それができず、何も考慮しないで仕事を振り分けたりすると、不得手分野を振られた部下は、苦労ばかりする割に仕事が進まずということになります。
上司としては、進捗具合にやきもきしたり、腹立たしさをおぼえたり、焦ったりとすることが予想できます。しかもそんな上司を部下がどう思うか・・・だいたいの予想はつきますよね。
まあ、仕事というのは得意なものばかりがあるわけではありません。ときには不得手なことも部下に任せなければいけないことだってあると思います。
しかし、不得手であることを織り込み済みで、仕事を指示していれば、ドンというかまえは揺るぎません。
「○○君にとって、苦手分野だから、ちょっと時間がかかっても仕方ないな。ここは、じっくり待つことにしよう」
と、落ち着いていられます。つまり、図太く、腰を据えて部下の仕事ぶりを見守ることができるということです。
人間関係でいえば、男女の関係も完璧を求めてはいけません。
たとえば、夫婦間でも、夫は妻にやさしさ、思いやり、こまやかな心遣いなどを求め、妻は夫にたくましさ、包容力、経済力、知性などを求めたりします。
もちろん二人で協力して生活していくのですから、それらを求めるのは自由です。ですけど、自分が求めるものを何から何まで備えている人など、いるわけがありません。
「求めすぎない」という意識は、良好な人間関係を築くうえで欠かせない極意ともいえるのです。
江戸時代の儒学者、貝原益軒(かいばら・えきけん)は、こう言いました。
「聖人をもって我が身を正すべし、聖人をもって人を正すべからず、凡人をもって人を許すべし、凡人をもって我が身を許すべからず」
「自分に厳しく、他人に寛容であれ」ということです。
益軒には、このようなエピソードもあります。
益軒が大切にしていた牡丹をうっかり折ってしまった若者を、
「牡丹を植えたのは楽しむためで、怒るためではない」
こう言って若者を許したのだそうです。
他人に寛容であることの根っこにあるのは、「求めすぎない」ということです。
これは、どのような場合においても良好な人間関係を保つための心得として留めおきたいですね。



「求めすぎない」
この意識を持てば、他人に対しても寛容でいられるし、自分の心の安定にも関与しますね。
意識して心得たいと思います。
「一人の時間」を持とう
先ほどの「自分にも他人でも「完璧」を求めない」と重なりますが、他人にを見る目が厳しいということはないでしょうか?
たとえば、
「彼女、確かにおしゃれよね。でもちょっと子どもっぽい気がするなあ。それなりの歳なんだから、そこを考えた方がいいわ」
といった鋭い観察眼で、友人知人などのファッションをチェックし辛口コメントをするわけです。
それからこういうのもあります。
「彼はどの上司にも気に入られているけど、ちょっとすり寄り過ぎだよね。ぼくには同じことはできないし、誰もマネするのは無理だよなあ。あれじゃ自分がつらくならないのかなあ。ああいう生き方・・・どうなんだろう?」
などと、人格や人生そのものにも及んだりします。
つまり、他人のことはよく見えているということです。
でも、自分のことに関してはいかがでしょう?
著者は「案外、自分自身のことはよく見えていないのではないか」と言います。
そして、自分自身を見つめるための必須条件が、「一人で静かな時間を持つこと」であるとも言います。
確かに、現代人は時間がない人が多いです。仕事にプライベート、SNSなどで、いつも誰かとつながっている状態が一人になれる時間を奪っています。
そういうつきあいの中で、人生の悩みを相談できる人は、何人くらい、いらっしゃいますか?
もちろん群れることもあっていいけど、ときにはそこから離れ、一人になる時間を持つことは、群れることよりはるかに人生にとって大きな意義があると著者は言います。
「七走一坐」(しちそういちざ)
この禅語は、「七回走ったら、一回は止まってじっとすわり、自分自身を見つめなさい」ということを言ったものだそうです。
時間に追われ、走り続けている現代人に、警鐘を鳴らす言葉といってもいいそうです。
止まって見つめ直してみなければ、自分がどんな走り方をしていたのか、どこに向かって走っているのか、よく見えません。その結果、自分を見失うことにもなります。
ですので、少し走ったら一度止まってみることが大事です。
一度止まると書いて「正」という字になります。
止まって見直せば、自らが来た道が正しかったかがわかるのです。
ドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンバウアーの言葉に、こういうのがあります。
「人間は孤独でいるかぎり、かれ自身であり得るのだ。だから孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならぬ。けだし孤独でいるときのみ人間は自由なのだから」
この言葉から、一人になって自由に思いっきり自分を見つめ直してみましょう。



「七走一坐」
とても心にグサッときましたね。
自分を見つめ直す時間をしっかり取りたいと思います。
怒りをため込まない
いちばんの「仕返し」は堂々と生きること
「信じていた友人に裏切られた・・・・・・」
尽くしていた恋人から手ひどい仕打ちを受けた・・・・・・」
「仕事でつきあいのある人にだまされた・・・・・・」
といったような、腹に据えかねるようなことを経験された人は、少なくないのではありませんか。
「いつかあいつを同じ目に遭わせてやる!」と、仕返ししたくなる気持ち、これを「報復心」といいます。
たしかにこのようなケースでは「報復心」を抑えることは難しいかもしれません。ですが、みごと仕返しに成功したとして、心から喜ぶことができるでしょうか。
どのような相手であっても、人を陥れたり、傷つけたりするのは、決して心地よいものではありません。溜飲(りゅういん)が下がるのは一瞬で、後味の悪さが残り続けると著者は言います。
しかも、相手がやられたまんまとはかぎりません。さらに報復に出てくる可能性だってあります。
つまり、仕返しは自分に戻ってくるということです。
しかし、裏切られた悔しさ、手ひどい仕打ちを受けたつらさ、だまされた悲しさを、忘れることは、簡単にできるものではありません。
そこでこの禅語を参考にしましょう。
「前後際断」(ぜんごさいだん)
これは、道元(どうげん)禅師の言葉です。
薪は燃えて灰になります。薪は灰の前の姿、灰は薪の後の姿という見方もできますが、そういう見方をしてはいけないと道元禅師は言っているのです。
薪は薪、灰は灰で、それぞれの絶対の形であり、つながっているわけではない。前(薪)後(灰)は際断、つまり、断ち切られているというのが、道元禅師の説明です。
このことからわかるのは、大切なのは「いま」というその瞬間のみであり、それは過去を引きずってもいないし、未来につながってもいないのです。
そこで、「仕返し」をしないということに立ち戻り考えてみます。
裏切られた、手ひどい仕打ちを受けた、騙された、ということがあったのは過去です。そして生きているのはその過去と切り離されたいま(現在)です。
ですから、そのいまを胸を張って、堂々と生きればいいというのが、著者の意見です。
仕返しを考えるということは、すでにその過去から切り離されている現在を、相も変わらず裏切られた(手ひどい仕打ちを受けた、騙された)自分として生きることです。
そんな生き方より、胸を張って堂々と、毅然(きぜん)と生きる姿を裏切った相手に見せつけてやりましょう。
その堂々と生きる姿に、裏切った相手は、自分がそんな振る舞いをしたことを恥じ、みじめになるのです。



「仕返しは過去に葬り、いまをただ、生きる」
たぶんこちらのほうが自分自身にとって立ち直りが早いはずです。
たった一度の人生を「仕返し」に費やすって、もったいないですからね。
反省はピンポイントでいい
「誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。
松下幸之助(松下電器産業株式会社創業者)
本当に正しく反省する。
そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんか、ということがきちんとわかるからな。
それで成長していくわけや、人間として・・・・・・」
さすがに経営の神様と言われた松下幸之助(まつした・こうのすけ)氏の言葉は至言ですね。
仕事の成功、人間としての成長に反省は不可欠です。
著者は、この言葉のポイントになるのが「正しく反省する」という部分だと言います。
繊細さんは、仕事がうまくいかなかったときに、「何がいけなくて失敗したか」を反省するより、「失敗してしまい申し訳ない。ああ、自分はダメな人間だ」と過剰に反省してしまいます。
どんな仕事にもプロセスがあります。それにそって仕事を進めていくわけですが、それぞれの段階での自分の対応、自分が打った手が、すべてまちがっていた、ダメだったということはないはずです。
ですので、必要なのは、すべてについて反省するのではなく、どの段階のどんな部分に問題があったか、どこが足りなかったか、を検証し、問題があった、不足していた、という点を見つけて、そこについて反省するということです。
つまり、反省は問題箇所、不足部分にピンポイントで焦点を当てたものでなければ、意味がないということです。
松下幸之助氏のいう「正しく反省する」ということは、こういうことなのだと著者は解釈されているのです。問題がなかった対応については、反省する必要などないということです。



何か仕事がうまくいかなかったら、ついつい失敗した自分を責めがちですが、それでは「正しく反省する」ということに名ならないですね。
大事なのは「やみくもな反省ではなく、❝検証❞する意識」です。
親切なおせっかいは「ありがとう」で封じる
「おせっかい」にもいろいろありますが、共通するのが「小さな親切、大きなお世話」になりがちなところです。
このようなことはありませんか?
仕事のある部分だけを先輩にアドバイスして欲しいだけなのに、延々と長話になってしまうケース。
「先輩にはまいっちゃうなあ。こちらが聞きたいのはワンポイントだけなのに、それじゃおさまらなくて、決まって持論の展開になるんだから・・・・・・」
こんな場合、「先輩、聞きたかったのはそのことだけですから、もう・・・・・・」と幕引きするのは難しいですよね。
そこで、話を打ち切るとっておきの言葉、「ありがとうございます」を使うことが有効だと著者は言います。
相手に嫌な思いをさせずに、その場の会話を終結させるには、この「ありがとう」ほど、ふさわしい言葉はないということです。
プライベートでも、有効です。
たとえば、広島県の観光スポット「宮島」のことをよく知る友人に聞いたとします。たぶんその友人は、自分が知りたい情報以外にもいろいろと教えてくれるのではないでしょうか。
「ああ宮島はいいよ!○○は絶対観た方がいい。ランチのおすすめは△△というお店。あそこの✕✕は最高でさあ!でも、この時間外しちゃダメなのさ。土産買うなら~~」
など、現地の観光案内所さながらに、世話を焼いてくれるかもしれません。
確かにそれが知りたい情報ならかまわないのですが、そうではない場合にはやっかいですよね。
そこで、、早い段階で頃合いを見計らって、「ありがとう」を繰り出すのです。
勘のいい人なら、「ああ、そうだよね、あんまり話しちゃうと、つまんなくなるものね」と察してくれます。
それでも止まらなかったら・・・。
「ありがとう。でも、あまりいろいろ聞いてしまうと、ねっ、ほら・・・・・・」であきらめるしかないでしょうね(笑)



やはり、良好な人間関係を保つには「相手に嫌な思いをさせずに会話を終結させる」と考えなくてはいけません。
頃合いを見て、「ありがとう」「ありがとうございます」を繰り出す図太さが必要な場面もあるでしょうね。
『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』の感想・まとめ
年を取っても図太く生きる
「繊細さん」じゃなくても、人は「人間関係」に悩みます。
他人の言動に左右され、自分を見失ってしまうことだけは、絶対にしてはいけません。
そのために本書の「禅思考」をぜひ取り入れるべきだなあと思いました。
自分らしく生きるためには、「正しく自分の心の声を聞く」ことが重要です。
そのために何をすればいいか?
それを本書は、答えとしてではなく、ヒントとして教えてくれます。
人生は、長い長い修行です。
つまずいたら、一人の時間をつくり、見つめ直してみるということが大事です。
よろしければぜひご一読ください。
『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』は、現在(2022年8月4日時点)amazonの本読み放題サービス「キンドルアンリミテッド」の対象になっています。
キンドルアンリミテッドは、ビジネス書からマンガまで幅広いジャンルの本が読み放題です。ぜひこの機会にご検討ください。
『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』の概要
本書の目次
『傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考』
はじめに
第一章 ちょっと図太くなって、たくましく生きる
第二章 図太い人は、人間関係にも強い
第三章 図太い人は、気持ちの切り替えがうまい
第四章 怒りをため込まないで、図太く解消する
第五章 図太さを貫いたその先に
著者の紹介
枡野俊明(ますの・しゅんみょう)
1953年、神奈川県に生まれ。
曹洞宗徳雄山建功寺住職。多摩美術大学環境デザイン学科教授。庭園デザイナー。
玉川大学農学部卒業後、大本山總持寺で修行。
禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。
芸術選奨文部大臣新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。
ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章。
また、2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。
庭園デザイナーとしての主な作品に、カナダ大使館、セルリアンタワー東急ホテル庭園、ベルリン日本庭園など。
著書
『仕事も人間関係もうまくいく放っておく力』三笠書房 (2021/5/17)
『心配事の9割は起こらない』三笠書房 (2013/8/20)
『小さな悟り』三笠書房 (2018/6/20)
『「幸福の種」はどこにある? 禅が教える 人生の答え』PHP研究所 (2022/8/1)
『禅、シンプル生活のすすめ』三笠書房 (2013/11/11)
『比べず、とらわれず、生きる』PHP研究所 (2018/9/3)
『禅が教えてくれる 美しい人をつくる「所作」の基本』幻冬舎 (2015/4/10)
『禅「心の大そうじ」』三笠書房 (2013/11/11)
『禅と食 「生きる」を整える』小学館 (2016/8/10)
『禅ごよみ365日:毎日に感謝したくなる』誠文堂新光社 (2019/12/5)
『上手な心の守り方』三笠書房 (2019/3/20)
『片づける 禅の作法 怒らない禅の作法』河出書房新社 (2015/10/6)
『ゆる~い禅』ワニブックス (2019/3/15)
『限りなくシンプルに、豊かに暮らす』PHP研究所 (2020/9/1)
『無心のすすめ 無駄なものを削ぎ落とす』 中央公論新社 (2020/12/10)
『考える前に動く習慣』三笠書房 (2016/2/17)
『50歳からは、好きに生きられる』PHP研究所 (2022/4/4)
『怒らない禅の作法』河出書房新社 (2016/4/6)
『日めくり 一日一禅』小学館 (2016/12/19)




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