
こんにちはコウカワシンです。
今回は岡田尊司(おかだ・たかし)さんの著書『マインド・コントロール』から学ばせていただきます。
『マインド・コントロール』は、どんな本?
『マインド・コントロール』は、ズバリ!「人間は本性的にだまされる生き物である」ことを学ぶ本です。
本書はこのような本
「なぜ、あなたは、だまされやすいのか?」
このような言葉を見ると、なんだか嫌な気持ちになりますが、実際に社会では多くの人が意図的にだまされているそうです。
たとえば、狂信的なテロリストによる「自爆テロ」は、使命のためなら自らの命さえも投げ出してしまう、カルト宗教では、信者が自分が貧困にあえいでも全財産を寄進してしまうなど、ふつうなら考えられない報道を見ることがあります。
「ふつうなら」というのは、何の影響も受けていない状態ということなのですが、何の影響も受けていないと思っているわたしたちでも何かの影響を受け行動していることがあるといいます。
たとえば、「土用の丑の日」だからうなぎを食べるというのも、ある意味、商業的な影響で扇動されていると思うのです。
気づかぬうちに操られているということですが、それを「マインド・コントロール」といいます。
ということはです、今の時代の「マインド・コントロール」というのは、テロリストやカルト宗教など、特殊団体の専売特許ではなく、商業的な目的で、この技術を援用しているといって間違いないでしょう。
それを事細かく指摘するのが、岡田尊司(おかだ・たかし)さんの著書『マインド・コントロール』です。
知の巨人・佐藤優(さとう・まさる)さんは、「本書は21世紀の必読書である。マインド・コントロールは、善用も悪用もできる。この現象の強さと弱さ、特に悪用された場合の危険について知ることが、21世紀を私たちが生き抜いていく上で不可欠だ」とコメントしています。
たしかに知らず知らずのうちにだまされてしまうことはあります。
ですが、早い段階で気づき「ああ、こういうことね」と理解できるだけの知識を身につけておくべきではないでしょうか。
そういった意味でおすすめの一冊です。
本書がおすすめな人
『マインド・コントロール』がおすすめな人
- 全人類




『マインド・コントロール』の要点は?
オウム真理教の起こした事件の数々に驚かされた人は、多いと思います。
とくにサリンを使った「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」など、凶悪な事件の数々は、今も記憶に新しいです。
そして驚きなのが、教祖の麻原彰晃(あさはら・しょうこう)を中心に、信者には高学歴で将来を有望視される人物が多く、その大部分が凶悪事件に手を染めているのです。
つまり、麻原に心を支配され、麻原の思うがままにコントロールされていたということなのです。
まあ、そこまでではなくても、カルト宗教は、いろいろと問題がクローズアップされ、ニュースなどの報道でわたしたちも知ることができます。
最近では、「統一教会」(世界平和統一家庭連合)の多額の献金を集めていたことがクローズアップされ、宗教団体が信者やその家族に苦痛をともなう状況にまで心を支配していることが明るみに出ました。
教団が要求したのはたしかですが、信者が自ら進んで寄進することもありますよね。でも実際は教団が信者の心を「支配」していたのではないでしょうか。
宗教だけではありません。
反社会的集団に身を置く人でも同じことがいえますし、DV男性に暴力をふるわれたり搾取されたりする女性だって心の「支配」という魔の手から逃げることができなかったのです。
心の支配は、特殊ではありません。
わたしたちだって、知らず知らずの間に何かしらの存在から心の「支配」を受けているのです。



それでは、この『マインド・コントロール』から、わたしの独断と偏見で、「わたしたちはなぜ、支配されるのか?」と「マインド・コントロールの原理と応用」の2点を取り上げてみたいと思います。
その他にも、収穫の多い本なので、もっと知りたい方は、実際にこの本を手に取って読んでみることをおすすめします。
わたしたちはなぜ、支配されるのか?
あなたは、あなたを操る何かに「依存」している
マインド・コントロールされた状態にある人の最大の特徴は「依存性」です。
「依存性」とは、特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態になることです。
自分で、主体的に考え、判断し、行動するという力を大幅に低下させてしまっていて、些細なことをするにも、自分を支配している人間の意向や顔色をうかがい、その意のままになってしまっている状態ということです。
カルトにはまった場合も、反社会的な仲間や男性にコントロールされている場合も、イジメや虐待や、ときには過保護な親によって支配されている場合も、そこに起きている状態は共通しています。
つまり、マインド・コントロールの基本とは、「主体的に考えることを許さず、絶対的な受動状態を作り出す」ことなのです。
もしも、カルトにはまったわけでもないのに、自分で判断して、行動ができないとしたら、それは何かしらにマインド・コントロールされながら生きている、あるいは、生きてきたということです。
その逆に、どういう人生を過ごし、どういう人格を作り上げたてきたかは、その人が、マインド・コントロールを受けやすいかどうかも左右するのです。



誰もが、マインド・コントロールにかかるわけではありません。
極めて過酷な状況で洗脳を受けても、それを跳ね返してしまう人だってわずかながらいるのですから。
では、マインド・コントロールを受けやすい人というのは、どのような人なのでしょうか?
マインド・コントロールされやすい要因
マインド・コントロールされやすい要因として、その人のパーソナリティ(個性・人柄)の特性、情動コントロールや意思決定にかかわる脳の機能、現在や過去に受けてきたストレス、心理的な支えといったものに左右されます。
著者の言う主な「マインド・コントロールされやすい要因」というのが次のとおりです。
- 依存性パーソナリティ
- 高い被暗示性
- バランスの悪い自己愛
- 現在及び過去のストレス、葛藤
- 支持環境の脆弱(ぜいじゃく)さ



これを一つ一つ取り上げてみます。
依存性パーソナリティ
依存性パーソナリティとは、主体性の乏しさと過度な周囲への気遣いを特徴とするパーソナリティです。
具体的には、相手に嫌われたり、ぶつかったりすることを避けようとするあまり、相手にノーと言うことができず、相手に合わせてしまうという日本人に多いタイプです。
優柔不断で、相手任せになりやすい傾向があるのです。
ある意味、協調性が高く、相手を尊重しているとも言えますが、自分にとって明らかに不利益なことや、自分の意志に反することでも受け入れてしまうという点が特徴です。
たとえば、こんなことありませんか?
- 押しの強いセールスマンの売り込みを断れずに、高額な商品を買ってしまった
- とくに好きでもないのに強引に言い寄られて関係を結んでしまった
- 自分も経済的に余裕がないのに泣き付かれて借金の保証人になった
まだまだあると思いますが、「依存性パーソナリティ」に多いタイプだそうです。
言い過ぎかもしれませんが、それだけの犠牲を払う相手でもないのに、言いなりになって尽くすという傾向がみられ、実際には、都合よく利用され搾取している相手のために、なけなしのものを差し出しているということです。
「なぜ?」
ふつうならそう思うでしょうね。
こうした行動の背景には、他人の支えがなければ自分は生きていけないという思い込みがあるのです。
とくにいったん依存すると、その相手なしではムリという思い込みに陥りやすいといえます。
依存性パーソナリティの多くは、自己評価が低く、実際に高い能力を備えていても、自分だけではやっていけないと思い込んでいます。
結果、強い意志をもった存在に頼らないと、安心できないのです。
それと、重要な決定を自分で下すことができず、頼っている人に委ねてしまいます。
場合にもよりますが、あなたは、困ったことが起きると、すぐに相談に駆け込み、その人の判断がないと動けない、または言われるままに行動する人ですか?
意思決定の何から何までを相手に任せ始めると、すべてその人に頼ってしまうことになります。
つまり、依存性パーソナリティは、「強い意志をもった人に支配されやすい」というより、自ら進んで、自分を強力に支配してくれる存在を求めようとするということです。
高い被暗示性(ひあんじせい)
マインド・コントロールを受けやすい特性としては、被暗示性(ひあんじせい)の高さが重要だそうです。
被暗示性とは、暗示にかかりやすい傾向のことを指します。
被暗示性が高ければ、入ってくる情報に対して信じていいか、信じるべきでないかを批判的に判断する能力が低下した状態だそうです。
つまり、入ってくるすべての情報を無批判に信じてしまいやすいといえ、その結果、自らの主体的な意志で行動するのではなく、与えられた指示のまま行動してしまうのです。
そして被暗示性が高いと催眠(さいみん)にもかかりやすいのです。
被暗示性の高い人の特徴として他にも
- 人の言葉を真に受けやすく影響されやすい
- 信心深く、迷信や超常現象のようなことも信じている
- 大げさな話をしたり、虚言の傾向がある
などが、あげられます。
催眠にかかりやすい人は、依存性も強い傾向があります。
つまり、相手の話を聞いて、それをいつも鵜呑みにするクセがついているのです。それでは、情報を選別して、自分で意思決定をするということができません。
それに対して、いつも情報や人の言葉を真に受けずに、批判的に判断評価を行うのが習慣の人では、被暗示性が低く、マインド・コントロールを受けにくいといえます。
逆に、依存性パーソナリティのように、相手の言葉に相槌をうつのが習慣になっているような人では、暗示にかかりやすく、マインド・コントロールに対しても脆弱だといえるのです。
バランスの悪い自己愛
マインド・コントロールの餌食になるのは、依存性パーソナリティタイプの人だけではないそうです。
一見すると逆に、非常に自己本位で、しっかりした自己主張をもつかに見えた人が、マインド・コントロールされてしまうケースが増えているそうです。
何が原因かと言うと「自己愛のバランスの悪いこと」だそうです。
具体的に言うと、一方では心のうちに誇大な願望をもち、偉大な成功を夢見ているが、同時に、他方では、自信のなさや劣等感を抱えていて、ありのままの自分を愛することができないのです。
そこで、誇大な理想をふくらませることで、どうにかバランスを取ろうとしているのです。
現実生活の中で、ある程度の成功をおさめ、輝いていられるうちは、そうしたバランスの悪さはあまり、表に現れてきませんが、現実の暮らしがうまくいかなくなるにつれ、両者のギャップが目立ち始めるのです。
二つの価値観のギャップといえるのですが、もっとも強烈な形で味わうことになったのは、両方の社会のはざまに身を置いた人たちです。
たとえば、田舎から大都会に出てきた若者が、伝統的な価値観を背負いながら都会的な個人主義的な価値観と接触することで、痛みを伴った自己の目覚めを味わうことになります。
もはやその若者は、伝統的な価値観に、ただ忍従するだけでは、心のバランスをとれなくなり、もっと自己の価値を追求し、華々しく活躍し、輝くことを願望せずにはいられなくなります。
そんな彼らに、自分たちを取り巻く現実はさらに冷たく不当に感じられ、自分がないがしろにされている状況を、これまで以上に強く意識するようになります。
そして、そうした現実を真っ向から否定する、もっと偉大な目的に身をささげることで、自己の存在価値を取り戻そうとするのです。
そこに、自分が理想とする神とも思えるリーダーが現れたとしたら、、、。
自らが神になることはできないが、神のような偉大な存在を崇拝し、その存在に自らの偉大な存在でありたいという願望を投影することで、間接的に満たされる自己愛の形が見て取れます。
ですので、優れた知力や批判能力を備えていても、自己愛にバランスの悪さを抱えていたら、知らず知らず理想化された存在を求めようとし、いかがわしいリーダーでさえも、理想の存在に祭り上げてしまうのです。
現在及び過去のストレス、葛藤
パーソナリティの特性や被暗示性の高さは、マインド・コントロールの受けやすさを左右するのは間違いないのですが、同じ人であっても、マインド・コントロールを受けやすいときとそうでないときがあるそうです。
いつもなら、餌食になることはないのに、どういうわけかそのときは、マインド・コントロールのワナに陥ってしまったというケースが少なくないといいます。
具体的には、元々しっかりしていると見られた人でも、挫折や病気、離別や経済的苦境といったことによって心が弱っているときに、マインド・コントロールを受けやすくなるのです。
これは、現時点でのストレスだけではなく、過去にうけたストレスも影響し、子ども時代に安心できない環境で育った人は、不安が強い性格になりやすいだけでなく、人の顔色を気にする傾向や他人に依存する傾向も強まり、人から支配されやすくなります。
ストレスや不遇な環境にさらされている人は、不満や葛藤、怒りといったネガティブな感情を抱えやすくなります。それはしばしば抑圧され、表面的には目立たない場合もあります。
ところが、洗脳というマインド・コントロールでは、葛藤を拡大させ、感情という火に油を注ぎ、火だるまにしてしまい、その怒りの炎を「敵」に向けさせます。
「敵」を作り出すためには、当人の心のひそむ不遇感や憎しみが好都合なのです
支持環境の脆弱(ぜいじゃく)さ
周囲からの支えがあるときには、不当な支配や搾取をかわすことができる人でも、孤立し、安定した支え手が身近にいないと、相手を見極めずに助けを求めたり頼ったりしがちで、マインド・コントロールの餌食になりやすいそうです。
たとえば、地方から都会へ出てきて一人暮らしを始めたばかりの若者は、ターゲットになりやすいといいます。
田舎では秀才ともてはやされても、都会の大学に出てくれば、ただの田舎出の凡才に過ぎず、彼らのプライドは傷つき、自分の存在価値を見失い、アイデンティティの危機を味わうからです。
そんなところへ親しげに接近してきて、人生や社会についての真面目な議論をふっかけ、彼らをハッとさせたとします。
実際、その若者はそうした話を誰かとしたかったとすると、最初は警戒しながらも、そのうちにつられて話し始めるのではないでしょうか。
話し込み、相手に対する親しみを感じ始めた頃、われわれの活動に参加することこそ、自分の存在価値を見いだすチャンスだと言われ、その通りかもしれないと思い始めるのです。
社会が近代化の荒波にさらされ、崩壊へと向かう今日の時代状況は、家族や既成の価値観に支えを見出せない人たちを大量に生み出しています。
身近に自分の家族、友人といった「安全地帯」という支持環境をもたない人は、自ら進んでマインド・コントロールの餌食になろうとすることさえも珍しくありません。



日本でも、オウム真理教などのカルト宗教に入信する多くの若者がいたり、世界に目を向ければ、テロ集団に加担してしまう人の多くは、支持環境の脆弱さゆえの心の不安が原因だったりするのです。
まさに心のバランスが崩れたところを狙われたと言えるのですが、こういったことを防ぐ対策というのを家族や仲間間で取り組みたいものですね。
マインド・コントロールの原理と応用
それでは、どのようにして人が「マインド・コントロール」されていくかの原理を、5つの原理に集約して見ていくことにします。
マインド・コントロールとは、どういう意味をもつか?
主体性を奪い、人生を搾取する方法としてでなく、これらの原理を善用する可能性や、そこのひそむ危険についても著者は説明してくれました。
- 第一の原理 情報入力を制限する、または過剰にする
- 第二の原理 脳を慢性疲労状態におき、考える余力を奪う
- 第三の原理 確信をもって救済や不朽の意味を約束する/救済を❝約束❞する存在としての救世主/普遍的な価値への飢餓/信じる力を活用する
- 第四の原理 人は愛されることを望み、裏切られることを恐れる
- 第五の原理 自己判断を許さず、依存状態に置き続ける
この5つの原理から、わかることを一つひとつ、じっくり精査し、対策を考えることが大事でしょうね。
第一の原理 情報入力を制限する、または過剰にする
「洗脳」するためにカルト教団や秘密警察がやってること
まず、「マインド・コントロール」するためには、「洗脳」が必要です。
そのために外界から隔離し、外部の人と話のできない孤絶した状態に置きます。
こうして、「トンネル」状態を作り出し、精神的な視野狭窄(しやきょうさく)状態にします。
目的とする一点にだけ集中させ、それ以外のことを考えなくさせ、その一点に向かって進んでいくしかないように仕向けていくのです。
このようにして情報入力が極度に制限されることで、洗脳が起きやすくなるのです。
たとえば、カルト教団が入信候補者を誘い込み、信仰を植えつける場合も、独裁国家の秘密警察が政治犯やスパイを「改宗」させ、自分たちの手先に仕立て直す場合も、この原理が用いられます。
情報入力を制限することは悪いことばかりではない
では、善用するパターンを。
教育や啓発を効果的に行おうとする場合にも、同じ原理が当てはまります。
劇的な変化を生じさせようと思えば、情報や刺激の入力を減らして、脳が単調さに退屈した状態を作ることが一つのポイントになります。
その単調さを一定期間続けて、刺激や情報に対する飢餓状態を作った上で、少しだけ教えると、乾き切った砂が水を吸い込むように、知識を吸収していくということが起こります。
たとえば、昔から学問や技芸を学ばせる場合、寄宿舎や合宿という形が用いられたのは、集団生活を学ばせるとか競争をさせるという意味の他に、外界と接触を減らし、情報を制限することにより「トンネル」状態を作るのです。
これにより、一点だけを見つめて進んでいく状態が生み出されることになるのです。
情報制限は主体性を持つきっかけになる
情報があまり入ってこないと、人は少ない情報から考えるようになります。
空白の部分を、考えたり想像することで補おうとするのです。適度に情報入力を減らすことは、むしろ自分でじっくり考え、物事を振り返るという作業をするのには大事なことなのです。
子どもを教育する場合でも、才能を育てる場合でも、この情報入力の原理は非常に重要であると著者は言います。
成果を焦り、多すぎる情報を与えてしまうと、受け手の方は、興味の意欲も失ってしまいます。そしてもっと悪いことに、自分で主体的に考えることをしなくなるのです。
情報過剰の影響
逆に言えば、本人の主体性を奪い、操り人形やロボットに仕上げようと思えば、常に情報過剰な状態に置き、脳がそれらの情報処理でいっぱいになり、何も自分で考えられない状態にしてしまえばいいということになります。
どういうことかといえば、絶えず音楽や録音テープがかかった部屋で、早朝から夜遅くまで絶えず話を聞かせる。しかも苦痛や不安を高め、絶えず気がかりな状態に置くことで、脳を疲れさせ、集中力を奪うのです。
疲労困憊して処理能力が低下しているところへ容赦なく大量の情報を注ぎ込み続ければ、脳はオーバーフローの状態になり、主体的に情報を取捨選択することができなくなります。
結果、考える力も抵抗する力も失っていくことになります。



この状況・・・まるで、膨大な情報に日々さらされながら、疲れ切って過ごしている現代人そのものです。
テレビ、ネット、ゲーム、マンガ、ケータイ・・・・・・。
とくに子どもたちは、洪水のような情報に取り巻かれ、それにおぼれた状態で成長していきます。
子どもたちの主体性や創造性や考える力が低下しているとしたら、そうした環境の影響も否定できません。
第二の原理 脳を慢性疲労状態におき、考える余力を奪う
第一の原理をさらに強化する目的で、合わせて用いられるのが、脳のキャパシティ自体を低下させることです。
とくに過剰な情報を負荷して、処理能力をオーバーした状態を作り出す場合、同時に脳の処理能力を低下させて、主体的な判断能力を奪うのです。
営業マンの機関銃トークは考える余力を奪うため
たとえば、押しの強い営業マンが、機関銃のように話し続けるのも、断り文句を言わせないという意味があります。
それと同時に、言葉という情報を流し込み続けることによって、相手が主体的に考える能力を奪い、受動的な状態に置くことで、コントロールしやすくできるのです。
睡眠を奪い脳を疲れさせる
そして睡眠を奪うという方法もあります。
騒音や光、安眠できないベッド、横にならせない、揺り起こすといった物理的な方法と一晩中騒音を立て、また叫び声や威嚇する声によって勾留した人物がよく眠れないようにするといった方法です。
朝から深夜まで交代で訊問(じんもん)したり、夜中に突然起こされて訊問したりする方法、窓のない真っ暗な部屋や一日中こうこうと明かりがともった部屋で寝起きさせ生活のリズムを狂わせることで疲労とストレスを感じさせる方法もあります。
戦略的に相手の興奮を呼び込む
学習や自己啓発を目的として、早朝から深夜まで取り組みをさせて、話をしたり、講義を聞いたり、集会をしたりといったことをえんえんと続ける方法です。
一見、役に立ち、楽しくさえある活動ということで、本人の興奮を湧き起こさせますが、結果的に睡眠を奪い、疲れさせます。
この方法の怖いところが、自分のためになるとか、楽しい内容にしているところです。
睡眠不足が重なり、疲れ切って思考力や心理的な抵抗力が低下したところで、しだいに核心的な内容を持ち出してきて説得にかかるのです。
睡眠不足と疲労、強い不安が何日も続くと、どんなに強い意志をもった人でも、だんだん心理的抵抗力をうしなっていくということです。
予測できないことに対して人間はもろい
その他、糖質やビタミン、たんぱく質、脂肪、ミネラルなどの栄養を不足させる方法も用いられたり、過重労働や単調な作業を長時間行わせて、疲労を蓄積させたり、無意味なことをやらせていっそうストレスを強めさせたりもします。
そうした境遇に長期間置かれると、主体的に行動するということは一切見られなくなり、相手の顔色だけをうかがい、それに合わせて行動するということしかしなくなります。
人は、予測できることに対しては、ある程度心構えをもつことで対処することができますが、予測不能な状態に置かれると、もろさを見せ、精神を蝕まれ始める人も少なくないそうです。



健全な生活というのは、脳の疲労感や心の不安も取り除いてくれます。
睡眠を阻害するもの、キャパオーバーの情報、自分の距離感よりも近く高圧的な存在などは、シャットアウトできる意志をもち、必要な栄養と休養をしっかり摂るようにしたいものですね。
第三の原理 確信をもって救済や不朽の意味を約束する/救済を❝約束❞する存在としての救世主/普遍的な価値への飢餓/信じる力を活用する
確信をもって救済や不朽の意味を約束する
第一と第二の原理は、主体性や判断力を低下させ、不安を高め、喜びや楽しみを奪われた状態を作り出すことで、欠乏と不安の極限状態に置かれました。
つまり、「洗脳」への下準備ができた状態です。
精神的な抵抗力や批判的に考える力を奪ったうえで、いよいよ核心に踏み込んでいくのです。
何をやるのかというと、、、「あなたにも救われる道がある」と語りかけるのです。
「我々と仲間になって信念を同じくすれば、素晴らしい意味をもつ人生が始まる」と、希望を約束するのです。
隔離と情報遮断によって、欠乏状態におかれたうえで、希望や愛が与えられると、それはいっそう光り輝くものとして体験されます。
それを与える存在が、強い確信と信念に満ちていればいるほど、その人の目には、救済者として映るのです。
それが、止むにやまれぬ緊急避難の結果だとは思わず、むしろ、本当の救いに出会ったと感じるわけです。
カルト教団などで、しばしば行われる自己批判や批判合戦は、愛着不安を掻き立て、自己愛を徹底的に傷つけ、自己否定を強めさせます。
そしてこのプロセスが植えつけようとする根本的な認識の枠組みとは、「この自分には何の価値もないが、偉大な指導者やその理念に従うことによって、素晴らしい意味を与えられる」ということにほかなりません。
それによって、財産も肉体も生命も喜んで差し出す完全なマインド・コントロールが成立するのです。
テロリストやスパイを寝返らせ、協力者に手なずける場合にも、同じ原理がしばしば用いられるといいます。
救済を❝約束❞する存在としての救世主
救世主は、人々を現実的に救うというよりも、救いを約束するという構造をもっているそうです。
つまり、救いには条件があるということですが、最大の前提として、「私を信じれば、救われるだろう」と、人々が信じることを要求するのです。
それでも、多くの人がその❝約束❞にすがろうとするのは、この世にあまりに希望がないからだともいえるのです。
かつて、ドイツ国民を扇動したナチズムは、強い確信をもって希望を約束する救い主(ヒトラー)が放つ魅力に、若者から知識人さえも容易に欺かれ、自分から進んでマインド・コントロールされてしまったわけですが、それも希望のない時代がもたらした幻だったということです。
これは決して他人事ではなく、日本やイタリアでも、ファシズムに熱狂的な支持を与えたのは、知識人を含む普通の市民でした。つまりどのような人でも多くが、強い確信をもって希望を約束されると、その言葉を信じてしまうということです。
人に愛されたい、認められたいと思い、有意義なことを成し遂げたい、自分の人生に意味を見出したいという願い、、、それは現実社会では踏みにじられることのほうが多いです。
カルト宗教が、大学生や若い人々に広まってきたのも、人生の意味や普遍の愛というものを、それが与えてくれると確信をもって語りかけてきたからなのです
普遍的な価値への飢餓
著者が言うには、「わたしたちは、普遍的な価値や使命を人生に求めようとする願望を秘めている」そうです。
「普遍的な価値」とは、国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した文化的な意義、自然的な価値を意味します。
そしてそれは、「利益や快適さや瞬間的な快楽ばかりを求めようとする社会のあり方では満たされるものではない」そうです。
多くの人は、「今の生き方に本当に納得しているか」、「この社会の在り方でいいのか」と正面から問いを投げかけられると、信じていた❝常識❞が、嘘八百の欺瞞(ぎまん)で固めたもので、自分自身もそれを心から信じているわけではないことを思い知るといいます。
この問いかけから、これまでの価値観の矛盾や欺瞞を暴かれ、空中分解を起こしかけたところで、普遍的な価値を説く教義を持ち出して、それに従えば、普遍的な価値につながる生き方や社会を作り出せるのだと説くのです。
わたしたち現代人の多くは、普遍的な価値への飢餓(きが)という欠乏を抱えているので、そこを攻めてこられると、グラっとなりやすいのです。
たとえばそれは、愛情に飢えた人が、愛をささやく言葉に、めまいを起こしたように吸い込まれていくのと同じなのです。
信じる力を活用する
それでは、ここまでの「信じこませ、いいように操る」という、危険をはらんだ原理を善用する方向で見ていきます。
これは、人が前向きに生きるうえで、大きな支えともなる原理でもあるのです。
信仰をもつ人が、心穏やかに毎日を過ごすことができるのは、どんなときにも、希望が約束されていると感じているからです。
暗示療法の効果の多くが、治療者に対するある種の❝信仰❞に由来していたように、やはり信じることは、強力な暗示効果によって❝奇跡❞を引き起こすことがあります。
客観的にどうかというより、「きみは勉強が得意になるよ」「きみは良くなる気がするな」「もう病気が治りかけているかもしれない」といった言葉が、強力な効果を発揮することだってあるのです。
そして、優れた医師や教育者ほど、このことをしばしば経験し、この原理をうまく使いこなすのです。
どういうことかと言うと、「希望を約束する」ことで、実際にそれを現実にしてしまうということです。



本当は、このようになる前に手を打ちたいものですけどね。
いいことに作用するならいいのですが、それがいいことか悪いことかの判断がつかないとしたら・・・。
恐ろしいことですね。
第四の原理 人は愛されることを望み、裏切られることを恐れる
人間は社会的動物です。
群れで生活するのが基本である人間は、いったん仲間だと認めたものに対して、忠誠を尽くすという本性をもっています。
マインド・コントロールとは、その特徴を逆手に取ったものなのです。
マインド・コントロールしようとする者は、仲間であることを強調したり、親しみを演出しようとします。
つまり、愛情や共感のポーズを積極的に示そうとするのです。よほど嫌いでもなければ、「好きだ」と言われてイヤな人はいませんよね。それをあえてするのです。
不快なだけの体験なら、いくら説得されても、そこに留まろうとはしないでしょうけど、そこには、外部の世界では得られない快感の要素があるといいます。
「愛情爆弾」と呼ばれる手法があるのです。
ある教団では信者が入信候補者に対して「愛しています」と言い続けます。たしかに口先だけの言葉なのですが、「愛している」と言われてイヤな気がしないのと、その中には魅力的な異性がいたりもします。
照れくさいような気持ちとともに、「自分が受け入れられている」「大切にされている」という感情に満たされるようになり、それは通常の生活では味わうことのない快感であり、喜びなのです。
では、この快感にひたった人が恐れるのは何でしょうか?
それは「裏切り」です。
「やさしくされると裏切れない」。これは、裏を返すと、人は裏切られることを恐れる生き物であるということです。
つまり、組織や仲間から認められていると信じ、自ら進んで犠牲になろうとしてきたとしても、万一その思いに疑念が生じると、マインド・コントロールが解けるということです。
場合によっては、そうした疑念を刺激し、ふくらませることによって、脱洗脳だけでなく、逆マインド・コントロールを行うことも可能なのです。
つまり、本人はこれまでうまく利用されていただけで、相手は理想化しているような存在ではないということを示す事実を、これでもかこれでもかと突きつけるのです。
すると、その時点では目を背けたとしても、やがて疑念を生み、マインド・コントロールを破るきっかけとなります。



マインド・コントロールの真骨頂ともいえますね。
「依存」してしまっている状態です。
このようになると、もうなかなか抜けられなくなるのかなあ・・・。
第五の原理 自己判断を許さず、依存状態に置き続ける
第三と第四の原理では、「希望を約束し、その人の価値を認める」とし、それ自体は悪いことではないし、人を力づける場合の基本ともいえます。
マインド・コントロールをする意味として、「主体的な行動や自立へと結びつける原理」と、「自分で考えたり決定したりすることを極力排除し、支配する者だけが意思決定を行い、本人はただそれに従う原理」があります。
危険なカルト教団や不健全な組織と、健全に機能している団体との決定的な違いは、この点にあります。
支配的なカルトの場合、メンバーの上には、メンター(相談役)となる先輩信者がいて、些細なこともすべて相談することが求められ、人生の意思決定のすべてが、自分以外の存在の手に委ねられます。
自分で自分の人生の決定ができないという状況なのですが、こうした状況は、家庭においても母親が子どもに代わってのすべての意思決定を行うということを、子どもが成人になってからも続けているケースだってあります。
その日着る服や受験校を選んだりするのも母親。交際相手を選んだり、プロポーズの返事をどうするかまで母親に頼るとなると、主体性のない、まさに他者依存するしかない人間ということで、カルト信者と変わらないのではないでしょうか。
このようにマインド・コントロールの原理を改めて見ていくと、マインド・コントロールの技法がどうのこうのというより、人間が抱える本性的な弱点や課題がかかわっていることに気づく必要があります。
社会や人と人との絆が崩壊したとき、いっそう深刻で、身近な問題となりやすいかもしれません。
ストレスや傷ついた心を抱え、普遍的な価値や愛情に飢えた孤独な現代人が、自らを守るには、こうしたワナや危険を認識し、❝免疫❞をつけること以外にないのかもしれませんね。



「操り人形」
この言葉が、ピタッときます。
現代社会の抱える問題がすべて「支配」という言葉でくくられそうですが、せめて主体性を持ち、「自分で考え、行動する」という部分は、しっかり持ちたいなと改めて思いました。
『マインド・コントロール』の感想・まとめ
先日(2022年7月8日)、安倍元首相が暗殺されました。
この事件に関係があるとされるのが、統一教会(世界平和統一家庭連合)です。
といっても、安倍元首相を暗殺した犯人の母親が、全財産ともいえるほどの寄進をし、一家の生活がままならないほど困窮し、人生をだいなしにされたという犯人の自供を鵜呑みにしたのなら統一教会は悪者といえるわけです。
しかし、これはどう見ても犯人の身勝手な逆恨みとするのが、大半の見方だと思います。
この犯人が、安倍元首相を暗殺したことは許されることではありませんが、結果的にこのような宗教団体の裏の顔をあぶり出したことに違いはありません。


ですが、犯人の母親は、なぜそこまでして教団に寄進したのでしょうか?
たしかに教団には「天国に行きたいなら、お金と財産をすべて手放しなさい」という教義があるそうです。
それは貧しい人へ施すことが目的だからなのでしょうけど、自らが貧しくなり生活が成り立たなくなるというのは、やり過ぎではないのかと思ってしまいます。
「この母親は、何らかの影響を受けマインド・コントロールされていたのではないか?」というのが、本書に興味をもったきっかけなのですが、興味深い話の数々で面白く読ませていただきました。
そして、わたしたちだって、気づかぬ間にマインド・コントロールされ、なんらかのプロパガンダを植えつけられているかもしれません。
そこで、普遍的な価値というものを、いま一度見直してみるべきではないかと感じました。
そして、主体性を持ち、しっかり自分で考え行動するという、本来なら当たり前のことをきちんと再確認するべきです。
ですので、ぜひ本書を手に取って読んでみて、お子さんがいらっしゃる方なら、お子さんにもわかりやすく説明してあげて話し合い、一家で「普遍的価値」の共有をするべきではないかなと思います。
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『マインド・コントロール』の概要
本書の目次
『マインド・コントロール』
はじめに
第1章 なぜ彼らはテロリストになったのか
第2章 マインド・コントロールは、なぜ可能なのか
第3章 なぜ、あなたは騙されやすいのか
第4章 無意識を操作する技術
第5章 マインド・コントロールと行動心理学
第6章 マインド・コントロールの原理と応用
第7章 マインド・コントロールを解く技術
おわりに
著者の紹介
岡田尊司(おかだ・たかし)
1960年、香川県生まれ。
精神科医。医学博士。
東京大学哲学科中退。京都大学医学部卒。同大学院高次脳科学講座神経生物学教室、脳病態生理学講座精神医 学教室にて研究に従事。
現在、京都医療少年院勤務、山形大学客員教授。
パーソナリティ障害治療の最前線に立ち、臨床医として若者の心の危機に向かい合う。
小説家・小笠原慧としても活動し、横溝正史賞を受賞した『DZ』などがある。
著書
『発達障害「グレーゾーン」 その正しい理解と克服法』SBクリエイティブ (2022/2/4)
『愛着障害の克服~「愛着アプローチ」で、人は変われる~』光文社 (2016/11/20)
『愛着障害~子ども時代を引きずる人々~』光文社 (2011/10/28)
『回避性愛着障害~絆が稀薄な人たち~』光文社 (2013/12/20)
『境界性パーソナリティ障害』幻冬舎 (2013/5/31)
『死に至る病~あなたを蝕む愛着障害の脅威~』光文社 (2019/9/30)
『カサンドラ症候群 身近な人がアスペルガーだったら』KADOKAWA (2018/10/6)
『生きるのが面倒くさい人』朝日新聞出版 (2016/6/13)
『ストレスと適応障害 つらい時期を乗り越える技術』幻冬舎 (2013/5/30)
『パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか』PHP研究所 (2004/5/31)
『愛着アプローチ』KADOKAWA (2018/3/22)
『自閉スペクトラム症』幻冬舎 (2020/7/29)
『過敏で傷つきやすい人たち』幻冬舎 (2017/7/27)
『人を動かす対話術』PHP研究所 (2011/10/15)
『社交不安障害』幻冬舎 (2019/1/29)
『母という病』 ポプラ社 (2014/1/7)
『父という病』ポプラ社 (2015/1/5)
『アスペルガー症候群』幻冬舎 (2013/5/31)
『生きるための哲学』河出書房新社 (2016/11/8)
『ADHDの正体』新潮社 (2020/4/15)
『あなたの中の異常心理』幻冬舎 (2012/1/28)
『うつと気分障害』幻冬舎 (2013/5/31)
『統合失調症』PHP研究所 (2010/10/16)
『夫婦という病』河出書房新社 (2018/3/6)
『インターネット・ゲーム依存症』文藝春秋 (2014/12/20)
『母親を失うということ』光文社 (2021/2/23)
『人間アレルギー』新潮社 (2018/1/1)
『発達障害と呼ばないで』幻冬舎 (2012/7/28)
『きょうだいコンプレックス』 幻冬舎 (2015/9/30)
『子どもが自立できる教育』 小学館 (2013/3/11)
『なぜいつも“似たような人”を好きになるのか』青春出版社 (2017/9/1)
『子どものための発達トレーニング』PHP研究所 (2017/4/14)
『子どもの「心の病」を知る 児童期・青年期とどう向き合うか』PHP研究所 (2005/9/15)




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