
こんにちはコウカワシンです。
今回は石井希尚(いしい・まれひさ)さんの編訳『超訳聖書 生きる知恵』から学ばせていただきます。
『超訳聖書 生きる知恵』は、どんな本?
『超訳聖書 生きる知恵』は、ズバリ!「人生を強く賢く生き抜くための教えを超わかりやすくした本」です。
本書はこのような本
この地球上で一番たくさんの人に読まれている本は「聖書」だそうです。
「聖書」というと、西洋とかキリスト教を思い浮かべますが、もともとの聖書は古代ヘブライ民族のものでした。このヘブライ民族の間で大切にされてきた教えが、やがて歴史的返還を経て、後のユダヤ人と言われる人々の間に受け継がれます。
そして、ユダヤ民族の発展とともに、聖書は世界に普及されることになりました。
ユダヤ民族は、皆さまもご存知の通り、芸術や科学、金融など、さまざまな分野で活躍し、ノーベル賞受賞者の20%をしめるほど、優秀な人材を輩出していることで有名です。
ユダヤ人は、聖書から学び、今日の繁栄を誇るまでになりました。
本書は、この聖書の教えをわかりやすく訳しつつ、紐解き、現代を生きるわたしたちが学ぶべき知恵を160個ほど解説してくれる一冊です。
本書がおすすめな人
『超訳聖書 生きる知恵』がおすすめな人
- 聖書に興味のある人
- ユダヤ人にあこがれている人
- 将来に備えて最適解を出せる思考を手に入れたい人




『超訳聖書 生きる知恵』の要点は?
「聖書とは、より良く生きるための知恵である」
奇跡の民族・ユダヤ人の原動力としての聖書
現代でこそ、ユダヤ人の優秀さを称え、一目置かれる存在になっていますが、古代では優秀であるがゆえに煙たがられ、迫害を受けてきた歴史は、それを物語っているのかもしれません。
それほど、数奇な運命をたどり、幾度となく、ヒトラーのような為政者たちによって絶滅の危機に追いやられながらも、滅ぶことなく、厳然と世界に影響力を保持する民族は、ユダヤ民族の他にはないでしょう。
紀元前70年、ローマ軍に滅ぼされ、それ以降は、国を持たない流浪の民として世界中に離散したユダヤ人。
しかし、約1900年後の1948年に同じ場所に自分たちの祖国イスラエルを再興させました。
一度滅んだ国が、再び姿を現すなどユダヤ人の国以外にあったでしょうか?
しかも、1900年もの間、言語やアイデンティティーを保ち続けた民族が存在するなんて奇跡的であるとしかいえません。
そのようなユダヤ人の原動力、国を失っても失せることのなかった民族意識と団結心、現代社会に与える影響力が生まれた根源が独特の進行と思想にあり、それが聖書にあることなのです。
旧約聖書は「契約書」である
古代ユダヤ人は、モーセという指導者に導かれ神と契約を交わします。
この契約とは、「生き方」の契約であり、「あなたの戒めに従って生きていきます。もしそれを破ったら罰を受けてもかまいません」というペナルティー条項付きの契約なのです。
契約の目的は、契約書内に記されている戒めに則って生きるとき、彼らは大いに発展し、全世界へ祝福の基となるという崇高なビジョンを実現するためのものなのです。
「モーセの十戒」
神との契約とは、旧約聖書の出エジプト記20章3節から17節、申命記5章7節から21節に書かれていて、エジプトで奴隷となっていたユダヤ人がモーセに率いられエジプトを出たときにモーセがシナイ山にて、神より授かったとされています。
この契約が結ばれたときに、彼らが従うべき具体的な内容として成文化されたのが、「モーセの十戒」です。
「モーセの十戒」
- わたしの他に、他の神々があってはならない。
- 偶像をつくってはならない。
- 神の御名を、みだりに唱えてはいけない。
- 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
- あなたの父と母を敬え。
- 殺してはならない。
- 姦淫してはならない。
- 盗んではならない。
- あなたの隣人に対し偽りの証言をしてはならない。
- あなたの隣人のものを欲しがってはならない。
この「モーセの十戒」は、ユダヤ人の生き方の土台であり、憲法であり、ここから派生して、民法、商法、道徳法などが制定され、成文化されていったそうです。



「聖書」のあらましがわかったところで、本書からわたしの独断と偏見で「自分自身の身の置き方、考え方」という点にしぼって9つほどポイントを押さえていきたいと思います。
自分自身について
ありのままの自分を受け止めなさい
自分の過ちを正直に認めることのできない人は成功しない。
蔵言 28章13節
しかし、それを素直に認めて、変わろうとする人は、信頼と行為を得る。
だから結果的にことを成し遂げていくのだ。
もし成功したいなら、ありのままの自分の姿を直視し、決してごまかしてはいけない。
はりぼてのような人生は、いつか必ず崩壊してしまうものなのだ。
ありのままの自分をそのまま認め受け入れることは、とても大事です。
よく「嘘に塗り固められた人生」と言った感じの人物が、ドラマなどに出てきますが、うそを重ねれば重ねるほど、悪事を働くようになり、終いにはうそがばれ、人間としての信用を失ってしまいます。
現実社会でも「経歴詐称」や「粉飾決算」などで、身を崩した人を見るように、ありのままの自分の姿で勝負できない人は成功もしませんし、いづれ冷たい世間の目にさらされることにもなります。
ですので、ありのままの自分を受け止め、その自分を最大限に生かせる道を選びましょう。



「うそつきはどろぼうの始まり」と言いますが、人にうそをつくだけでなく、自分自身にまで、うそをつくことにもなります。
そのような人生は苦しいだけですよね。
「自分に正直に生きる」
これが、本当に信用ある人になる第一歩だと思います。
自分の信じる道を生きよ
人は、何かをする前に、何者かでいなければならない。
イザヤ書 32章8節
なぜなら、人は自分で信じたとおりにしか生きられないからだ。
自分を価値ある存在であると信じる者は、価値あることを計画し、その計画もそれにふさわしいものになる。
人の人生は内面を映す鏡なのだ。
成功者と呼ばれる人は、常に目標を持っています。
1年後、5年後、10年後の未来を見据えて行動しているのです。
「自分にはできる」と信じ、その目標に向かって行動することで達成していきます。
「自分にはできる」・・・それは、まだ成功体験のない根拠のない自信かもしれません。ですが、そのポジティブさがないと人は頑張れません。
自分に自信を持つということは、自分を奮い立たせる原動力を保つためにも必要なことなのです。



「根拠のない自信」が旺盛だったのは、いつのことでしょう?
たぶん、子どものときって、そのような無邪気ともいえる自信がみなぎっていたと思います。
少年時代に戻って、「根拠のない自信」を自分の将来のために使いたいものですねr。
平和な環境をつくりだす努力をしよう
平和で幸せな日々を過ごしたいと願っている人は誰だろう?
詩篇 34章12~14節
だとしたら、まずは決して人の悪口を言わず、自分の舌に嘘や偽りを言わせないようにさせよ。
人生は人間関係だと言ってもいい。
人とのかかわりが良好でなければ幸せな人生はない。
だから、人との間に不和があり、否定的な思いで満ちていれば、平和はやってこない。
また、嘘はあなたの信頼をそこね、偽りは人との間に不和を生じさせる。
嘘や偽りで身を固める人生に平和はない。
さらには、良心の呵責を覚えることには手を出さず、不正に荷担しないで、他者にとってよいと思われることだけをすると決めるのだ。
結局のところ、すべては自分の行動にかかっている。
そのために努力する人となれ。
「天は自ら平和をつくりだそうとする者を助く」のだ。
人との関りは、どうしても避けることはできません。
そして大事なのが、関わりのある人との良好な関係です。
良好な人間関係こそが、充実した人生を送るうえで欠かせないということです。
誰も好き好んで、人と争うことはないと思います。
ならばどうすればいいか?
それは「自ら、良好な人間関係を築く行動を取るべき」ということです。
ムダな争いをせず、相手を思いやり、もし相手に落ち度があるのなら許すという行動を取ることで、大部分の人間関係が良好になります。



完璧な人間は、まずいません。
誰でも、自分勝手だし、過ちを起こすものです。
日本では「人に迷惑をかけないようにしなさい」と教育を受けますが、インドでは、「あなたも人に迷惑をかけることがあります。だからもし人に迷惑をかけられたならその人を許しなさい」と教育されるそうです。
確かにそうです。
「許す」ということが普通にできれば、世の中の争いごとは、ほとんどなくなるのではないでしょうか。
聖書のこの言葉もそういうことを言っていると感じます。
生きる姿勢について
逆境でこそ真価がわかる
どんなに強そうに見えても、苦難や試練に直面したときに、気持ちが落ち込み、腰砕けになっているようでは、あなたは弱い。
蔵言 24章10節
本当の強さは、逆境の中でこそ輝き出るものだ。
「ピンチはチャンス」という言葉がありますが、実際のところ、逆境になると生身の人間は、気持ちが落ち込み、腰砕けになるものです。
ですが、経験値が多い人は、立ち直るのも早いです。
つまり、逆境とか失敗というものは、経験すればするほど、耐性がついていくということなのです。
一つ、名言を紹介します。
「壁というのは、できる人にしかやってこない。超えられる可能性がある人にしかやってこない。だから、壁がある時はチャンスだと思っている」byイチロー
さすがは、イチローさんですね。
この聖書の言葉の言っていることと同じと思うのはわたしだけではないはずです。



逆境を乗り越えるごとに強くなっていく。
誰でもそのような経験はないでしょうか?
たとえば、「自転車に乗れるようになるための練習」とかは、わたしにとっては試練でした(笑)
その他にも「たて笛の特訓」で、うまく吹けるようになり、音楽そのものが好きになったことも実体験としてあります。
それからは、経験こそ宝と思い、いろんなことにチャレンジするようになりました。
これからも頑張っていこうと思います。
心のおもむくままにではなく知恵によって生きよ
自分の心のおもむくまま、心の命じるままに生きることが正しいのだと信じることほど愚かなことはない。なぜなら心は常に移ろい、一定であることはないからだ。
蔵言 28章26節
それなのに、心が命じるままに、そのときの気分や直感をたよりに生きるなら、あなたの生き方は安定に欠き、常に変わりゆく気分に翻弄されることになる。
人生を台無しにするような致命的な過ちから身をさけ、どんなときも安定した歩みを望むなら、心の命じるままに生きてはいけない。
そうではなくて知恵を身につけろ。分別をわきまえた者となるために学び、よりよい人生のための賢い選択とは何かを理解している者となるのだ。
人生には心の命じることをやるべきではないとき、逆のことをしたほうがよいときがある。
賢い選択ができるものは、心によらず、知恵によって生きるものなのだ。
「直感で生きる」
もちろんそれがすべて間違っているわけではないと思います。ですが、直感だけに頼り、心のおもむくままに生きるというのはある意味危険です。
というのも、心とか気持ちというのは、その時その時で変わるものだからです。とくに初めて経験することをその時の気分で乗り切るにはリスクが大きいのではないでしょうか。
リスクを避けるためには、知恵を使わなくてはいけません。
もちろん、自分がもともと持っている知恵もあるでしょうし、人から教わる知恵もあります。
その知恵を使って、リスクを避けることは可能です。
ですので、心のおもむくままに行動せずにその都度考え、知恵を使って乗り切りましょう。



どんな時も賢い選択をしたいものです。
賢い選択をするためには、知恵が必要です。
自分の知恵、他人の知恵などで、賢い選択をしていきましょう。
もちろん、その知恵には根拠があることが第一です。
目の前にあるものに感謝の念を持て
自分の生活で、足りないものに目を留めればきりがないし、自分が置かれている環境で、気に入らないことに目を留めればこれもまたきりがない。
テモテへの第1の手紙 6章6~8節
そういうマイナスなものに目を留めていると、喜びは失われ、否定的な思いばかりに心を支配されてしまう。
一方、どんな環境でも、それが神からの賜物であると考えれば、おのずと感謝の念もわいてくる。
そもそも私たちは、何一つこの世に持って生まれてこなかった。
何もないところから始めたではないか。
また、この世から去るとき、何一つ持って出ていくこともできない。
だから生活できるだけの衣食があればそれで満足すべきだ。
それそのものが、感謝に尽きないことなのだから。
国を滅ぼされ、流浪の民族となったユダヤ人ならではの言葉だと感じます。
世界中を転々とし、安住の地を求めたユダヤ人はないものねだりをする心を持たなかったのではないでしょうか。
そのことから、彼らが欲がなく、周りのものに感謝する意識が芽生えたのでしょう。
「何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいく」
人間として当たり前の営みがここにあると思います。



わたしたちには、欲にかられ、ないものねだりをする傾向が少なからずあります。
ですので、意識して「欲を排し、目の前のものに感謝する」ことが大事だと思います。
ミニマリストの感覚として、欲がなければ、心豊かに生きれると感じるのは、たぶんわたしだけではないでしょう。
言葉と行動について
正しい情報に基づいて行動せよ
賢い者は、正しい情報に基づき、行動する。
蔵言 13章16節
人からのまた聞きや噂話などによって動じることなく、正しい知識を得ているかを検証するまで、先走った判断もしない。
ところが、思慮深さを身につけていない愚か者は、確かでもない噂を鵜呑みにして、独善的な思い込みによって、軽率な行動を取る。
それは、自分の浅はかさを宣伝するに等しい。
しかし、それにさえ気づかないのだから、まさに愚か者である。
先ほどの「心のおもむくままにではなく知恵によって生きよ」のときと同じで、根拠のないものに惑わされ、行動すると手痛いしっぺ返しを食らう可能性があります。
うまい儲け話を持ち掛けられたとしたら、それが本当に確かなことか、それとも詐欺かを見極められる眼力が必要です。その眼力を磨くには、正しい情報から検証するしかありません。
「石橋を叩いて渡る」慎重さを持ち、常に正しい情報を調べる意識を持ちましょう。



この言葉は、まさに耳の痛い言葉です。
というのも、わたし自身、浅はかなところがあるからです。
この言葉を肝に銘じ、意識していきたいと思います。
忍耐強くなれ
事の終わりはその初めに勝り、忍耐はうぬぼれに勝る。
コレヘトの言葉 7章8節
物事というのは、その終わりにならなければ、本当の意味や価値がわかるものではない。
だから、それがどのように始まったとか、現状がどうなのかなどによって、軽々しく善し悪しを判断してはいけない。
また、今それがうまくいっていても、結末がどうなるかは誰にもわからないのだから、思い上がってもいけない。
よくも悪くも、そのことについて正しく評価するためには、あせって事を決めないという忍耐力が必要だ。
逆に、うまくいっているときには、この先どう転ぶかわからないという慎重さが必要だ。
これも大事なことですよね。
とくに野球などのスポーツで、どんなに点差が開いて負けていても「最後まであきらめない」という気持ちで、逆転勝ちした試合を見たことがないでしょうか?
勝ったと思っていても、この先どう転ぶかなんて誰にも予想がつきません。
つまり、忍耐強くなることで、状況を変えることができるということです。
あきらめたら負けなんです。
その反対で、勝っていても油断大敵なんです。
こういう意識も人生には重要だと思います。



とにかく、忍耐強くいきましょう。
忍耐を鍛えるには、そういう状況をあえてつくることが大事です。
たとえば、スポーツや囲碁・将棋、ゲームなど人と競うものは、忍耐を鍛えるのにもってこいです。
逆に大幅に勝っていても油断大敵を意識することも忘れてはいけません。
発言に細心の注意を払え
私たちは、誰もがみな、さまざまな点で失敗するものだ。
ヤコブの手紙 3章2~5節
ところが、もし言葉で全く失敗しない人がいたら、その人は、その他すべてを完全に制御できるほど完璧な人だと言っても過言ではない。
多くの人が、言葉で失敗するものだ。
馬を御(ぎょ)するためには、馬の口にくつわをかけることは知っているだろう?
あの小さな道具が、馬の体全体を操ることができるわけだ。
また船を見てみよう。
大きな船でさえ、とても小さな舵によって、思いどおりの方向へと持っていかれる。
あるいは山火事のことを思い出してみればいい。
はじめは小さな火が、山全体を燃やしてしまうことがある。
同じように、舌は体の中では小さな器官なのにもかかわらず、不遜(ふそん)にも大きなことを言って誇ったりするのだ。
小さな器官が生み出す「尊大な発言」によって、結果的にその人自身が甚大な損害を受ける場合もある。
一人の人の人生が、たった一言の「失言」によって狂ってしまうことだってある。舌というのは本当にやっかいなものだ。
それほど舌を制することは難しいと言えるだろう。
今も昔も、「口は災いの元」です。
とくに影響力のある人の発言が生み出す災いは、計り知れない損失を生む恐れがあります。
たとえば、注目度の高い政治家や著名人が、メディアを通じて発言すると、経済や国際情勢に影響があるのは皆さまもご存知の通りです。
この情報社会ですから、瞬く間に世界中に広がり、それがもし失言であったなら、取り返しのつかない事態になることだってあるのです。
ですので、ちょっとした一言にも配慮があって当然なのです。
そして、わたしたちのような一般人でも、一言の重さは知るべきです。
言ってしまったが最後、相手の気持ちを踏みにじるにとどまらず、人生をも狂わせてしまう発言は、絶対慎むべきです。
発言する前に「これは言っていいことか?悪いことか?」をよく考えてみることが重要ですね。
人を傷つける発言、とくに差別をするなどは絶対してはいけないことですよね。
言った本人は、何気なく軽い気持ちで、ついつい言ってしまいがちです。
ですが、言われた本人にしてみれば、プライドをズタズタにされ、メンタル的にも耐えられない事だってあるのです。
日頃から、意識して言ってはいけないことを「言わない」努力をしなければいけません。



失言や配慮が足りない発言は、誰もがやってしまう恐れがあります。
ここで有効なのは、常に相手の立場になって、考えることかなと思います。
たとえば、「この人は、柑橘系が嫌いだから、特産ではあるけどミカンの話は、やめておこう」とか「大の幽霊嫌いの人に心霊スポットの話はNGだな」とか、ちょっとした気遣いです。
相手を思いやる気持ちを常に持ち、相手の気にする発言を控える努力をしていきたいものですね。
『超訳聖書 生きる知恵』の感想・まとめ
「生きる知恵160から9選」
本書では、160もの生きる知恵を教えてくれています。
それは、人間として守るべきことは、もちろんうまく人生を乗り切るための処世術、人なかにいるときの身の置き方やリーダーになる人の考え方、目標に向かって努力する極意、異性とのつきあい方など、多岐にわたります。
この記事では、「人間として守るべきこと」に焦点を当てました。
なぜなら、まず人間として大事なことは「自分を律すること」だからです。
「自分を律すること」ができる人は、対人関係も多く人が集まる場所でも、リーダーや指導者になっても、十分にやっていくことができると思います。
「聖書」は、人として大事なことを守るために神様が授けられたバイブルです。
その聖書が、取っつきにくいと感じたなら、ぜひこの『超訳聖書 生きる知恵』を手に取って読んでみてください。
何か心に響くものがあるはずです。
『超訳聖書 生きる知恵』は、現在(2022年5月27日時点)amazonの本読み放題サービス「キンドルアンリミテッド」の対象になっています。
キンドルアンリミテッドは、ビジネス書からマンガまで幅広いジャンルの本が読み放題です。ぜひこの機会にご検討ください。
『超訳聖書 生きる知恵』の概要
本書の目次
『超訳聖書 生きる知恵』
プロローグ
序 聖書とは、より良く生きるための知恵である
⒈ 自分自身について
⒉ 生きる姿勢について
⒊ 人の心について
⒋ 言葉と行動について
⒌ 人間関係について
⒍ 働くことについて
⒎ リーダーシップについて
⒏ 成功について
⒐ 人生について
⒑ 愛と結婚について
⒒ 信仰について
訳者の紹介
石井希尚(いしい・まれひさ)
東京都出身。通称マレ。
牧師。カウンセラー。作家、ミュージシャン。
(株)コミティッド代表。プリマリタル・カウンセリング協会理事長。
10代の頃、既存の教育体制に疑問を抱き、日本初のフリースクール「寺子屋学園」を設立し注目を集める。
91年、ポリドール系のレーベルよりデビュー。
93年渡米し、一般カウンセリング、プリマリタル・カウンセリング、聖書学などを学び、てインターンを経て牧師に。
現在、自身の経営するライヴカフェ「KICK BACK CAFE」にて、結婚・恋愛問題を中心にカウンセリングを行う。
その厳しくもあたたかいアドバイスは多くの信頼を得て、相談に訪れる人はあとを絶たない。
2000年に出版した処女作『この人と結婚していいの?』(新潮社)が20万部を超えるロングセラーに。
ミュージシャンとしては、「日本精神を世界に発信する」というコンセプトで結成されたエンターテイメント一座「Heavenese」を率い日本国内のみならず海外でも活動を展開。
妻・久美子と共に夫婦二人三脚で多方面にわたり精力的に活躍中。
著書
『古代ユダヤ賢人の言葉 超訳聖書』ディスカヴァー・トゥエンティワン (2012/4/13)
『明けない夜はない』ディスカヴァー・トゥエンティワン (2009/7/7)
『大好きな彼と別れて世界で一番悲しいときに読む本』青春出版社 (2017/9/1)
『結婚に遅いということはない』さくら舎 (2014/6/3)
『あなたを苦しめる母から自由になる本』SBクリエイティブ (2015/8/20)
『あなたを苦しめる過去から自由になる本』すばる舎 (2011/8/20)
『運命の人と出会う日までにしておく大切なこと』すばる舎 (2007/7/18)
『大好きな彼にいつでもいっぱい愛される! 会話ルール』すばる舎 (2006/7/19)
『本当に好きな人と世界でいちばん幸せになる!』PHP研究所 (2009/9/1)
『ほんのちょっとでも結婚が気になるあなたへ』KADOKAWA (2014/10/25)
『Happy Wedding Diary: 幸せな結婚のための253問 』河出書房新社 (2014/7/15)
『ホントに、この人と結婚していいの?』主婦の友社 (2004/4/30)
『この人と結婚していいの?』新潮社 (2002/12/1)
『「彼とはもうダメ!」とあきらめる前に』主婦と生活社 (2003/10/1)
『逢瀬―横浜に咲いた絶世の花魁喜遊』徳間書店 (2019/8/30)
『聖書がわかれば世界が読める』 岳陽舎 (2002/1/1)




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