
こんにちはコウカワシンです。
今回は本多静六さんの著書『私の財産告白』から学ばせていただきます。
『私の財産告白』は、どんな本?


『私の財産告白』は、ズバリ!「日本版・バビロンの大富豪」です。
本書はこのような本



お金持ちになりた~い!



経済的自由がほしいわ~!
誰もが「お金持ちになりた~い!」とか「経済的自由を手に入れて好きなときに好きなことをできる生活が送りた~い!」って、思いますよね。
「経済的自由」があれば、やりたくない仕事はしなくてもいいし、生活の自由度がかなり違います。
お金持ちになりたいなら先人から学ぶのが一番です。
世界には「ユダヤ人大富豪の教え」とか「バビロンの大富豪」、「ユダヤ人の成功哲学「タルムード」」、「となりの億万長者」などのお金持ちになるための名著があります。
ん?日本にはそういうのないの??
と思っている人は、多いのではないですか?
実はあります!
「日本の公園の父」と言われた元東大教授でありながら巨万の富を手にした人。
その人が、『私の財産告白』の著者本多静六さんです。
本多さんは、貧農に生まれながら苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資して巨万の富を築かれました。
そしてその全財産を寄付して働学併進の簡素生活を実践されたのです。
この『私の財産告白』は、84歳という最晩年の本多さんが、略歴及び、お金持ちになるための錬金術、思考法、戒めの心得など、経験をもとに語られたものです。
これは時代を超えて響く普遍の真理ともいえる内容の一冊なのです。
『私の財産告白』は、誰におすすめか?
本書はこのような人におすすめです。
『私の財産告白』がおすすめな人
- お金持ちになりたい人
- お金の貯め方を知りたい人
- 人生を豊かにしたい人
amazonの書籍紹介より
誰でも豊かで幸福になれる!
日本人が書いた最高の人生哲学。
貧農に生まれながら苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資して巨万の富を築いた男、本多静六。
停年と同時に全財産を寄付して、働学併進の簡素生活に入った最晩年に語った普遍の真理は、現代を生きる我々に今なお新鮮に響く。
「人生即努力、努力即幸福」をモットーに生きた人生の達人による幻の名著!
『私の財産告白』は、現在(2022年3月21日時点)amazonの本読み放題サービス「キンドルアンリミテッド」の対象になっています。
キンドルアンリミテッドは、ビジネス書からマンガまで幅広いジャンルの本が読み放題です。ぜひこの機会にご検討ください。
そして、amazonの聴く読書「Audible(オーディブル)」で、聴くことができます。
通勤通学などのスキマ時間にぜひご活用ください。
『私の財産告白』の要点は?


本多静六さんの経歴をお知りになりたい人はまずこちらをどうぞ!
両学長の記事でも詳しく解説されています。





それでは、本書で印象に強い点をわたしの独断と偏見で取り上げてみます。
本多式「四分の一」貯金
本多式「四分の一」貯金とは、「あらゆる通常収入をまず、1/4天引きし貯金する。さらに臨時収入は全部貯金して、通常収入増加の基に繰り込む」というやり方です。
「これって、ちょっと厳しくない?」って思いますよね(笑)
でも本多さんはこう言います。
全く、私のこのやり方は無理のようで無理ではない。
給料四十円もらったら、三十円しかもらわなかったと思って十円天引きすればよろしい。米が四俵獲れたら、三俵しか獲れなかったと思って一俵分を別にすればよろしい。
米のほうは今年より来年が殖えるというわけにはいかぬが、給料のほうならまず順当にいけば必ず殖える。
辛抱しさえすればだんだん天引き残余が増してくるのである。
「四分の一貯金法」は、本多さんが明治25年、東京農科大学(現在の東大農学部)の助教授に任官した25歳のときから始めた貯金法です。
当時、本多家では9人も養わなければならず、「これでは貧乏なままじゃん」ということで、始められたのです。
苦しいうえにもさらに苦しさを求めたものだから、家計をやりくりする奥様は大変な苦労をされたと思います。毎月末ごろにはごま塩だけの食事が毎日続いたそうです。
これは本多さんがドイツ留学のときに師事したブレンタノ博士の影響がありました。そしてさらにブレンタノ博士は、こう言いました。
「財産をつくる事の根幹は、やはり勤倹貯蓄だ。これなしには、どんなに小さくとも、財産と名のつくほどのものはこしらえられない。
さて、貯金がある程度の額に達したら、他の有利な事業に投資するがよい。貯金を貯金のままにしておいては知れたものである。
それには、いまの日本では(明治20年代)第一に幹線鉄道と安い土地や山林に投資するがよい。
幹線鉄道は将来支線の伸びるごとに利益を増すことになろうし、また交通不便な山奥にある山林は、世の進歩と共に、鉄道や国道県道が拓けて、都会地に近い山林と同じ価格になるに相違ない。
現にドイツの富豪貴族の多くは、決して勤倹貯蓄ばかりでその富を得たものではない。こうした投資法によって国家社会の発展の大勢を利用したものである」
本多さんはブレンタノ博士の利殖論から、投資による蓄財に励んでいかれたのです。
天引き貯金でまとまった資金で最初にまず日本鉄道株(上野青森間/私鉄時代)を30株です。それがまもなく300株に増え、払い込みの二倍半で政府の買い上げとなったのです。
30株を12円50銭で買ったものが、年々一割の配当を受けつつ3万7500円となったそうで・・・これは驚きですね。
つづいて、その資金で今度は秩父の山奥の山林買収をされました。ブレンタノ博士の教えと本多さんの専門分野である山林はベストマッチだったということです。
山林といえば当時は安かったそうですが、本多さんは片っ端から買い入れていきました。三井や三菱という有力な競争者がいたものの、約一万町歩(約100ヘクタール)の山林を手に入れたのです。
そこへ、日露戦争後の好景気がやってきて木材の思わぬ大値上げ、立木だけを一町歩280円ずつで一部を売ることにしました。これはまさに買い値の70倍だったそうで大もうけ。
ある年は年収28万円で、当時における淀橋税務署管内のナンバーワンになったそうです。



当時のお金の価値ってどれくらいかが気になりますよね。
本書では、本多さんが「まず1000円貯めましょう。いまでいえば10万円といったところです」といわれてます。
当時の1円がいまの100円として計算しますと、年収2800万円ということで~スゴイのひと言ですね。
大切な雪だるまの芯
25歳から始めた本多式貯金法で、15年後の40歳になったころには大学の俸給よりは、貯金の利子や株式配当のほうがずっと多くなり、30年が過ぎた60歳が間近になったときには、自分が予想した以上にはるかに大きな財産を所有することになったそうです。
その財産とは、数百万円の貯金、株式、家屋の他に、田畑、山林一万町歩、別荘地住宅六カ所などなどです。
すごいですね!うらやましい・・・。
というところで、どうやってここまでの財産を築いたかです。
本多さんは、大学で教鞭をとるかたわら、アルバイトをやっていました。いまでいう副業です。
それが、
- 「一日一頁」の文章執筆
- 早稲田大学その他学校講師
- 民間実業家の財務や事業上の相談
です。
しかし、本業とアルバイトの収入を合算したところでたかが知れています。それを本多流貯金法において運用し、莫大な財産を築いたのです。
いわば、貯金とアルバイトの集積が雪だるまの芯となって次第次第に大きくなっていったのです。
とにかく、金というものは雪達磨(だるま)のようなもので、初めはホンの小さな玉でも、その中心になる球ができると、あとは面白いように大きくなってくる。
少なくとも、四分の一天引き貯金で始めた私の場合はそうであった。
これはおそらくだれがやっても同じことであろう。
さらに
どんなに辛い思いをしても、まず千円をお貯めなさい。千円貯まれば、たちまち五千円貯まり、五千円貯まれば間もなく一万円にはいとやすいことである。
ここまでくれば金が金を生み、金がある処にはまたいろいろいい智慧も出てきて、いよいよ面白い投資口も考えられてくる。
こうなるともう、すべては独りでに動き出し、やたらに金が殖えてきて、殖えてきて、われながら驚くものである。
こういうのを「不労所得」といいますよね。「お金に仕事をしてもらう」という状況ができるわけです。
そして本多さんはこう警告します。
断じて「投機」ではいけない。「思惑」ではいかんと。あくまでも堅実な「投資」でなければいけないということです。そして、投資の成功は、何事にも「時節を待つ」ということが大切です。
焦らず、怠らず、時の来るのを待つということです。



これはつみたてNISA、iDeCo(個人型確定拠出年金)などの毎月定額積み立てるのと同じ感覚に思えました。とにかくコツコツと積み上げていくことですね。
そして、「一日一頁」の執筆活動も素晴らしい。この執筆活動が生涯370冊という著作を生み出したのですよね。
わたしも本こそ出せないかもしれないけど、ブログ執筆を頑張りたいと改めて思いました。
二杯の天丼はうまく食えぬ
私が学生時代に、生まれて初めて一杯の天丼にありついたとき、全く世の中には、こんなにもウマイものがあるのかと驚嘆した。
処は上野広小路の梅月、御馳走してくれたのは金子の叔父であった。
《中略》
後年、海外留学から帰ってきて、さっそくこの宿願の「天丼二杯」を試みた。ところが、とても食い尽くせもしなかったし、またそれほどにウマクもなかった。
この現実暴露の悲哀はなんについても同じことがいえる。
たとえ、いくら美味しいものでも満足いく量というものがあるということですよね。これはぜいたくな生活の欲望や財政蓄積の希望についてもそうだと本多さんはいいます。
つまり、年収500万円の人が年収1000万円になったところで幸福は二倍にはならないし、1億円の財産を持てたとしても、ただそれだけでは幸福倍化にはならないとしているのです。
人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである。
つまりは、現在ある地位の高下によるのではなく、動きつつある方向の如何にあるのである。
したがって、大金持ちに生まれた人や、すでに大金持ちになった人はすでに坂の頂上にいるので、それより上に向かうのは容易ではなく、ともすれば転げ落ちそうになり、そこにいつも心配が絶えぬが、
坂の下や中途にあるものは、それ以下に落ちることもなく、また少しの努力で上へ登る一方なのだから、かえって幸福に感ずる機会が多いことになる。



現在では税制上、「年収1000万円の壁」というものがあるそうで、物理的に年収が上がったからと喜べない事情もあるそうです。
まあ、それは置いておいて、
「何事に対しても、“満足する”という意識を持つ」ことを❝足るを知る❞といいますが、このことで、精神的に豊かになり、幸せで生きていけるというものです。
上を見ればキリがない!
ということですね。
儲けるには儲けさせよ
世の中には、おのれの欲せざる処を人に及ぼし、おのれの欲する処を人に施さず、自分だけは少しでも多く儲けたいが、人に儲けさせるのは一文でもイヤといった類の者をみかけるが、そんなのに限って大成した例はほとんどないようである。
徳(得)は孤ならず、必ず隣有りで、金儲けもまた必ず相見互いでなければならない。
儲けようと思えば人にも儲けさせ、人に儲けさせれば自然に自分も儲かってくるという寸法である。
何事にも限らず、自分だけがウマイことをしようとか、、、自分ばかりが「イイ子」になろうと思ってはいけないということですね。
自分の成果というものは、たしかに自分自身の努力によるところが大きいといえますが、周りの仲間や社会、時勢のおかげによるところもあることを忘れてはいけませんね。
渋沢栄一さんの『論語と算盤』は、「利潤と道徳を調和させる」という経営哲学を語ったものですが、この影響を色濃く受けているのがこの「儲けるには儲けさせよ」だと思いますね。
「事業というものは、儲かるものでなければ成り立たない。儲からなくてただ有意義だというのでは、結局長つづきしないで、せっかくの有意義が有意義でなくなる。
儲かる上に有意義ならなおさら結構だが、なんとしてもまず事業は儲かることが先決問題だ。
しかし、この儲けを一人占めにしようなどと企てては結局失敗である。
儲けるのはみんなで儲けなければならぬ。
またみんなで儲かるものでなければ、いい事業、いい会社にはならない」
渋沢さんはいろいろな事業を立ち上げられ「日本資本主義の父」と呼ばれています。
自分で立ち上げたものもあれば、担がれて参加したのもあったそうです。しかし、いずれに対しても、いったん関係をつけたものは最後までよく面倒をみられたそうです。
なかには渋沢さんの持株が、いつの間にかみんなに持っていかれたり、芳しくない事業の株は渋沢さんの元に残ったりがあったそうです。
「株の奪い合いが出てくるなら会社のためにはいいことだ。わしが儲けなければ、それだけほかの人が儲けてくれる。誰が儲けても事業の功績、会社の孝徳と申すものだ」とされたのです。



さすがは渋沢栄一さん!
だから後世まで名が残り、しかもお札の顔にも選ばれたのですね。
渋沢さんのこのようなエピソードを知るたびに胸キュンしてしまいます。
勉強の先まわり
本多さんは、第11代内閣総理大臣の桂太郎(かつら・たろう)氏が、まだ陸軍の大将だったころにこのような話を聞いたそうです。
「自分は陸軍に身を投じて、常に次から次へと勉強の先まわりをやってきた。
大尉に任ぜられたときは、少佐に昇進する年限を三年と考え、その半分の一年半に、大尉としての仕事を充分に勉強しつくした。
そうしてのちの一年半に、少佐に昇進したときに必要な事柄について一所懸命勉強した。
だから、予定の年限がきて少佐になると、大尉時代に早くも準備を積んでおいたために少佐の任務は安々と勤まって、他の者にくらべて綽々(しゃくしゃく)たる余裕を残した。
そこでただちに次の中佐時代に必要な勉強を始めたのであるが、中佐になれば大佐の、大佐になれば少将のと、次々に一段階ずつ上のことがスッカリ身についたのだから、勤務もすこぶる楽であったし、成績も意外に上がった。
したがって、だれよりも最右翼で昇進することができたのである」
いまにも通じる、処世術ですよね。
常に先々を考えて、勉強しておくということは必ず血となり肉となって自分を助けてくれます。
本多さんも、「人生の最大幸福とは職業の道楽化にある」と言われています。
職業の道楽化とは、「その職業その仕事に、全身全力を打ち込んでかかり、日々のつとめが面白くてたまらぬ」という状態です。
その仕事の結果として、金も、名誉も、地位も、生活も、知らず識らずのうちにめぐまれてくるということです。
桂太郎氏の「勉強の先まわり」は、職業道楽化のための典型的な模範方法ということです。



仕事の面白みって、やはり「理解」にあると思います。
「理解」するためには、勉強は必要。
これから新しい技術や情報がドンドンと出てきます。わからないままでは仕事は面白くありません。
ですので、貪欲に知識を得ていこうと思います。
身のほどを知る
私を可愛がってくれた祖父(折原友右衛門)は、不二道孝心講といった富士参りの大先達で、その講中巡回の際などは、いつも稼ぎ貯めた小遣いでの手弁当で、「信心は余徳でやれ」、「信心は商売にすべからず」としばしば語っていたが、
有志的活動も、政治的活躍もまた同様で、これをハッキリ本業から区別してかかることが必要である。
その間に一片の私をさしはさむことなく、どこまでも余暇、余徳の社会奉仕でいくべきである。
それができないようであれば、まだまだそうしたことに手を出すのは早いのだ。
退いていっそう大事な本業にせいを出すべきである。
志をもって、社会活動や政治運動に取り組むことは、とても素晴らしいことです。
しかしそれは、平凡人が行くべき道ではないと本多さんは言います。
それは天才の道であり、特殊の道なのです。
あくまでも必要な金と力を自分自身の働きでつくり、それからの社会奉仕であり、政治運動でなければいけないということです。
つまり、「まず地盤固めをせよ」ということですね。
要するに、平凡人はいついかなる場合も本業第一たるべきこと。本業専一たるべきこと。一つのことに全力を集中して押しすすむべきこと。
これが平凡人にして、非凡人にも負けず、天才にも負けず、それらに伍してよく成功をかち得る唯一の道である。
しかも職業上の成功こそは、他のいかなる成功にも増して、働くその人自身にも、またその周囲の人々にも人生の最大幸福をもたらすものである。



たしかに本多さんは、本業もアルバイト、投資も含めて、自分のわかる範囲以外のことには手をつけていません。
一度、若い時に代議士を志したことはありましたが、「お金の問題」があり、断念しました。
力があることと「自惚れ」とは違うということですが、「道楽の発端を有志と称す」とならないための心得として留めおきたいものですね。
『私の財産告白』の感想・まとめ


虚栄心を取り除こう
「仕事をしてお金を稼ぐ」ということは、自分の生活をより豊かにするために必要なことです。
ですが、「生活を豊かにする」という目的を、見栄などの虚栄心にとらわれ、自分の見てくれだけをピカピカに磨き、そのために苦労して稼いだ大事なお金を次々に投入していたのでは、いつまでたっても「経済的自由」は、手に入りません。
自分のネウチが銀もしくは銅でしかないのに、暮らしのほうは金にしたい。金メッキでいいから金に見せかけたい。
こういった虚栄心から多くの人が節倹できないのである。
銀はどうせ銀、銀なりに暮らせばいいのであるが、さらに人生をより安全にし、生活をより健全にしようとするならば、むしろ一歩を退いて
事実は一歩を進めて
実力以下の銅なり、鉄なりの生活から出発していくべきだろうではないか。
戦後の何もかも新規蒔き直しの生活には、とくにこの決心と勇気が必要であると思う。
お金の持つ価値というのは、人それぞれ考えがあると思います。
実際にお金は、使うためにあるものですが、本気で蓄財を考えるのであれば、お金の使い方というものを一度見つめ直すことが大事ではないでしょうか。
そういった点で、本多静六さんの『私の財産告白』は、インパクトある一冊だと思います。ぜひ、お手に取って読んでみてください。
『私の財産告白』の概要


本書の目次
『私の財産告白』
私の財産告白
私の略歴
自序
一、貧乏征伐と本多式貯金法
二、金の貯め方・殖やし方
三、最も難しい財産の処分法
四、金と世渡り
五、これからの投資鉄則
私の体験社会学
一、儲かるとき・儲からぬとき
二、儲ける人・儲けさせる人
三、人間的サラリーマン訓
四、人を使うには・人に使われるには
五、平凡人の成功法
私の体験社会学~最終結論
著者の紹介
本多 静六(ほんだ・せいろく)
1866(慶応2)年、埼玉県生まれ。
苦学の末、1884(明治17)年に東京山林学校に入学。
一度は落第するも猛勉強して首席で卒業。その後、ドイツに私費留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を得る。
1892(明治25)年、東京農科大学(現在の東大農学部)の助教授となり、「月給4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。
研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍、日比谷公園の設計や明治神宮の造林など大きな業績を残すだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。
1927(昭和2)年の停年退官を期に、全財産を匿名で寄付。
その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。
1952(昭和27)年1月、85歳で逝去。
主な著書
『私の生活流儀』実業之日本社 (2013/5/25)
『人生計画の立て方』実業之日本社 (2013/5/25)
『本多静六の努力論』幸福の科学出版 (2014/2/17)
『本多静六 人生を豊かにする言葉』イースト・プレス (2006/5/1)
『人生成功のヒント366 本多静六一日一話』PHP研究所 (2006/11/13)
『新版 本多静六自伝 体験八十五年』実業之日本社 (2016/12/27)
『本多静六が語る成功法則: 成功の秘訣七条』Kindle版(2015/10/2)
『本多静六自伝 体験八十五年』実業之日本社 (2006/1/31)
『お金・仕事に満足し、人の信頼を得る法』三笠書房 (2005/9/1)
『本多静六 成功するために必要なシンプルな話をしよう』三笠書房 (2010/9/21)
『自分を生かす人生』三笠書房 (1992/10/1)
『人生と財産―私の財産告白』日本経営合理化協会出版局 (2000/1/1)
『本多静六のようになりたいなら、その秘訣を公開しよう』三笠書房 (2006/9/1)
『わが処世の秘訣―人生最大の幸福を勝ちとる』三笠書房 (1985/7/1)


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