
こんにちはコウカワシンです。
今回は、新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)さんの著書『いま、拠って立つべき❝日本の精神❞武士道』から学ばせていただきます。
『いま、拠(よ)って立つべき❝日本の精神❞武士道』を世に出す理由として、新渡戸稲造さんはベルギーの著名な法学者ド・ラヴレー氏から、「日本の学校では宗教教育がない!それではあなたはどのように道徳教育を授けるのですか」と尋ねられたことをあげられています。
新渡戸稲造さんといえば、1984年から2004年まで 5000円札の表面に印刷された方ですね。それまで紙幣には国家元首とか政治家が載せられていましたが、新渡戸さんのような教育者、文化人が採用されたのは記憶に新しいところです。
その新渡戸さんが、日本の道徳教育の根幹は「武士道」にあると、本書で解説されています。
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『いま、拠って立つべき❝日本の精神❞武士道』は、誰におすすめか?
本書はこのような人におすすめです。
『いま、拠って立つべき❝日本の精神❞武士道』はこのような人におすすめ!
- 日本人の道徳観を知りたい人
- 礼儀作法について知りたい人
- 歴史が好きな人




『いま、拠って立つべき❝日本の精神❞武士道』はどんな本?
本書の目次
『いま、拠って立つべき❝日本の精神❞武士道』
第一版の序文
増訂第十版の序文
第一章 武士道とはなにか
第二章 武士道の源はどこにあるか
第三章 義~武士道の礎石
第四章 勇~勇気と忍耐
第五章 仁~慈悲の心
第六章 礼~仁・義を型として表す
第七章 誠~武士道に二言がない理由
第八章 名誉~命以上に大切な価値
第九章 忠義~武士は何のために生きるか
第十章 武士はどのように教育されたのか
第十一章 克己~自分に克つ
第十二章 切腹と敵討ち~命をかけた義の実践
第十三章 刀~武士の魂
第十四章 武家の女性に求められた理想
第十五章 武士道はいかにして「大和魂」となったか
第十六章 武士道はなお生き続けるか
第十七章 武士道が日本人に遺したもの
著者の紹介
新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)
教育者。思想家。農業経済学・農学の研究者。
1862年南部藩士の子として 盛岡に生まれる。
札幌農学校(現在の北海道大学)に学び、その後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。
帰国後は札幌農学校教授、京都帝大教授、第一高等学校校長、東京帝大教授、東京女子大学長を務め、青年の教育に情熱を注いだ。
一方、国際連盟事務次長を務めるなど、国際人としても活躍した。
1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校校長などを歴任。
1920年から26年まで国際連盟事務局次長を務め、国際平和に尽力。辞任後は貴族院議員などを務めた。
1933年、カナダのビクトリアで病没。
主な著書
- 修養 自分を磨く小さな習慣―――新渡戸稲造の不朽の名著(三笠書房 (2018/8/8)
- 逆境を越えてゆく者へ(実業之日本社 (2011/7/6)
- 武士道 (岩波文庫(1938/10/15)
- [新訳]一日一言 「武士道」を貫いて生きるための366の格言集( PHP研究所 (2008/10/28)
本書の内容
『いま、拠って立つべき❝日本の精神❞武士道』は、ズバリ!「武士道は日本の魂なり」です。
amazonの書籍紹介より
かつての日本には、わが国固有の伝統精神があった。武士道もそのひとつである。
それは、新渡戸稲造が1899年に英文で『武士道』を発表し、世界的な大反響を巻き起こしたことでもわかる。
当時の日本は、まさに文明開化の真っ只中であった。怒涛の如く押し寄せる西洋の新しい価値観によって、社会全体がことごとく西洋化していった。
その変わりゆく姿を見て、新渡戸稲造は「日本人とはなにか」を問い直そうと考え始めた。
そして彼は失われゆく日本の伝統精神を振り返ったとき、「武士道」こそが、日本人の精神的支柱であり、それを世界に広く紹介することが日本のためになると考えた。
本書はその現代語訳である。発刊当時の明治期と同様、現代の私たちは急速な国際化の中で、日本人のアイデンティティを見失いつつある。今こそ私たちはもう一度「日本人とはなにか」を問い直す時期にきているのではないか。
倫理観・道徳観を改めて考えることができる格好の書。



『武士道』の中で、ヨーロッパ人と日本人の違いを花に例えています。
「ヨーロッパ人はバラを好む。華やかな色彩と濃厚な香り。バラは甘美さの陰にトゲを隠ししつように生命にしがみつく。まるで死を恐れるがごとく、散り果てるよりも、枝についたまま朽ちることを好むかのようである。」
一方、日本人が好むのは桜の花です。
「私たちの愛する桜花は、その美しい装いの陰に、トゲや毒を隠し持ってはいない。自然のなすがままいつでもその生命を捨てる覚悟がある。その色はけっして派手さを誇らず・・・あたりに漂う芳香には揮発性があり、あたかも生命の息吹のように、はかなく天に昇る」
武士道は、「死の哲学」とも表されこの桜の花のように散り際の潔さが、武士道の精神そのもので、日本の心なのだということが本書で込められた内容です。
『いま、拠って立つべき❝日本の精神❞武士道』の要点は?
われわれが子どものころから、教育される道徳というのは、間違いなくこの「武士道」が基になっているものです。
たしかに個人主義が台頭してきた現代社会からみれば時代遅れなものもあるかもしれません。ですが、根本的な考え方や姿勢はこれからも変わることはないと思います。
この「武士道」は、100年以上前に書かれたものですが、今もなお、錆びることなく日本人の品格形成のためのバイブルとして君臨しています。



その中から、わたしの独断と偏見でポイントを取り上げてみたいと思います。
武士道とは
高き身分の者に伴う義務
新渡戸さんが本書に武士道とは、「武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道」であり、文章で表現されている法律(成文法)とは違い、各々の心に刻まれている掟(おきて)であると記されています。
そもそも武士というのは、農・工・商の三民の上に立ち封建制度の時代において、支配階級の一員としての名誉と特権と、そしてそれらに伴う義務や責任を持たなくてはいけませんでした。
勇猛果敢なフェア・プレイの精神
武士の元々は、戦闘を職業とした猛々しい素性で、長い年月にわたって続けられた戦乱の時代を生き抜いてきました。
そして、それぞれが棟梁(とうりょう)と呼ばれる首領にそれぞれ所属し、戦闘を繰り返していたので、なにかフェア・プレイをうながすようなルールや道徳が必要だったのです。
武士道の源
武士道は日本古来の神道、大陸から伝わった仏教、儒教の影響を受けて形成されたとされています。
仏教では、「運命に逆らえない(悟り)」「運命との調和(服従)」「世俗的なことからの超越(死を恐れない)」を説き、神道では、「主君に対する忠誠」「祖先や親に対する尊敬、孝心」などの考え方で仏教の教えの足りないところを補いました。
そして儒教では、もともと日本人が持つ民族的本能とマッチして君臣、親子、夫婦、長幼、朋友などの「五倫」が、武士道の道徳的な部分に最も大きく影響したとされています。
こうして武士道の精神は、武士の中だけにとどまることなく民衆に広く伝播し、国民全体の道徳観念をかたちづくったといわれています。



武士道は、武士の価値観や行動規範をひっくるめたものです。
神道・仏教・儒教が基になり形作られていき、それが一般民衆にも下りてきて現在の日本における道徳観になり人格形成に必要不可欠ということですね。
渋沢栄一氏の「士魂商才」にもサムライの魂で商才を発揮することが成功の近道とされています。
人格が伴わなければ信用を得ることができないということです。
これは今後も変わらない価値観だといえるでしょうね。
武士道精神
「義」
義は人の道
「義」は武士の掟の中で、もっとも厳格な徳目です。武士にとって卑劣なる行動、不正なふるまいほど忌まわしいものはないとされています。
「義理」という言葉がありますが、これは「正義の道理」ということであり、人間が果たすべき世論や世論が期待する義務感を意味することでした。
つまり、社会においてみんなが守るべき義務ということですね。
それは人間関係を良好に維持するにも役立ちました。なぜならたとえ、相手に愛情がなかったとしても「義理」をもって、人の理性に訴えるからです。
そしてその理性が、ただちに人に正しく行動することを訴えるのです。
「勇」
義を見てせざるは勇なきなり
「勇」とは、勇気のことです。勇ましさが武士のシンボルのような感じですが、勇気は義のために行われるものでなければ、徳の中に数えられる価値はないともされています。
しかし、死に値しないもののために死ぬことは「犬死(いぬじに)」とされました。
「水戸黄門」徳川光圀(とくがわみつくに)公は、「戦場に飛び込み、討ち死にするのはいともたやすきことにて、身分のいやしき者にでもできる。生きるべきときは生き、死ぬべきときに死ぬことこそ、真の勇気である」とされました。
つまり、「義」のため、正しいことのために行われる勇気こそが徳ある行動とされたのです。
「仁」
「武士の情け」はまさに「仁」の心
「仁」と「義」は対照的な性質があります。柔和で女性的な慈悲の優しさを持つ「仁」に対し、高潔で厳しく男性的な「義」といったところです。
伊達政宗(だてまさむね)公の「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる」の言葉のように、武士は正義や公正さを持つことなしに、むやみに慈悲におぼれることを戒められました。
しかし、武士とはいえ慈悲の心がないわけではなく「もっとも勇気のある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である」ということが普遍的な心理とされていたのです。
だから「武士の情け」という言葉には、盲目的な衝動にかられた優しさではなく、常に正義に対する適切な配慮を含んでの慈悲という意味が込められているのです。
もっと踏み込んでいうなら、武士ならではの厳しい生殺与奪(せいさつよだつ)の権力をもった慈悲とも取れるのです。それは受け手の利益や損害をもたらす力も備えられていたともいえます。
命のやり取りを生業にしていた武士の「さじ加減」・・・度量の大きさも関係しているといえますね。
「礼」
仁義を型として表す
「礼」とは、人間関係を円滑にすすめ社会秩序を維持するための道徳的な規範を見える形で表したものです。そして「仁」に対しても「義」に対しても関わりあう徳ということなのです。
他人の気持ちへの思いやりを持つことこそが「礼」であり、「礼」の最高の形態は、ほとんど愛に近づく、とされています。また、「礼」は物事の道理を正当に尊重し社会的地位に対する敬意を払うという意味も込められています。
でも、うわべだけの礼儀作法ではダメで心がこもっていないと意味をなさないともいわれています。
このように培われてきた、わが国の礼儀作法も「そのようなしつけが柔軟な思考力をうばい、あまりにも厳格な礼儀作法はばかげて見える」とヨーロッパ人に批判をされたりもしました。
でも新渡戸さんは、「何ごとであれ、もし何かをしようとすればそれをなすための最善の方法があり、それは無駄がなくもっとも優美なやり方」とし礼儀作法の有効性を説いたとしています。
「誠」
武士の約束には証文はいらない
時代劇などで「武士に二言はない」というセリフを聞いたことがありますよね。真実と誠実こそが武士の性根だということです。
武士は「義」を重んじますので、うそをついたり、ごまかしたりすることは、ひきょうものとみなされたのです。特に支配者階級にもあるため、そのことを商人や農民よりも厳しく求められました。
それほどの重みをもつ言葉なので、武士の約束は通常、証文なしに決められ、実行されたのです。しかも証文を書くことは武士のメンツを汚されることでもあったそうです。
「二言」、つまりうそをついたという二枚舌のために、死をもってあがなわれた逸話は日本には多いといいます。つまり、武士は「誠」を命よりも重くみていたということです。
「刀にかけて誓う」というのも、その言葉をたわむれの形式や不敬虔な祈りにならないように、文字通り「血判を押す」という行為もとられたのです。
うそは「心の弱さ」である
日本の歴史では、江戸時代末期に外国貿易のために開港してから、わずか数年後に封建制度が廃止されました。
武士の身分も消え、その代償として公債が発行され、その資金で商取引に投資する自由をあたえられたものの、不慣れな商工業の分野で、ずるがしこく狡猾な駆け引きをする商人たちと競争するには武士はあまりにも高潔で清廉すぎました。
その結果、❝士族の商法❞で手を染めた武士のうち100人に1人しか成功しなかったそうです。富の道が名誉の道ではないということですね。
そんな中でも商取引で「うそをつく」ことがいけないとされる制度があります。それは「約束手形」です。約束手形は、「借金の返済を怠ったら、公衆の面前で嘲笑されてもなにも申せません」ということです。
そもそも「うそ」をついても罪としてはとがめられない場合が多いし、むしろ心の弱さとして蔑まされ、不名誉なことでした。その反対に正直というのは名誉と密接に関係しているということです。
これぞ、武士の武士たる意識の高さといえるのでしょうね。
「名誉」
「名誉」こそが命以上に大切な価値観
「名誉」という言葉を調べてみると、「よい評判を得ること」であり、能力や行為について、「すぐれた評価を得ていること」を指すとされています。
つまり、「名誉」という言葉には、人格の尊厳と明白なる価値の自覚が含まれているということです。
もともとが武士階級の義務や特権を重んずるように、小さなころから教え込まれ、これが武士の特質となしてきたのです。
名誉は「高名」とか「名声」に言い換えることができ、「人として最も大切なもの、これがなければ野獣に等しい」として、高潔さに対する屈辱を「恥」とする感受性を育てていったといえます。
「笑われるぞ」とか「名を汚すなよ」とか「恥ずかしくはないのか」といった言葉は、武士とはいえ過ちを犯した少年の振る舞いを正す言葉として用いられきたということです。
というのも、名誉は家柄を尊ぶ強い家族意識と深く結びついていたので、幼い頃から名誉で養われたごとく子どもながら、人の心の奥に秘められている真情を刺激したのです。
「忠義」
「忠義」とは武士の美徳
封建道徳のど真ん中にあるのが「忠義」という概念ですね。主君に対する服従や忠誠の義務は、他の武士道精神とは独立した特色を示しています。
日本では、儒教を基に「忠義」という観念が他のいかなる国も到達できなかった高さにまで発達させたといわれています。
主君のためならわが子も犠牲に
平安の時代、菅原道真公が大宰府に左遷となったときに、道真公の敵たちは、その一族を根絶やしにしようと道真公の子どもを厳しく探索しました。
子どもは道真公の家臣であった竹部源蔵がかくまっていました。なんとか身代わりを探し、その子を身代わりに差し出すのですが、その身代わりになった子の一家も道真公の恩顧を受けていた家系だったのです。
その子も、その母親も身代わりになることを心得ていて、しかも道真公の子どもかどうかの首実検をした人物はなんとその子の父親でした。
父親は、上に道真公の子どもで間違いないと報告し、家に帰るやいなや妻(身代わりになった子の母親)に「喜べ!われらが愛しき息子は立派にお役に立ったぞ!」と言いました。
現代では、ちょっと理解できないことですが、このような話は他にもけっこうあるみたいです。武士道においては、一族や家族の利害は一体不可分(一体であること。分けて考えることができないこと)ということなのです。
この話は「菅原伝授手習鑑」として歌舞伎の演目にもあります。
機会があったら見てみたいものです。


武士道は個人よりも公を重んじる
武士道では、個人より国家が先に存在すると考えられていました。つまり個人は国家を担うための構成員として生まれてくるのです。
だからこそ、個人は国家のため、あるいはその合法的権威(主君)のために生き、かつ死ななければならないと考えられたのです。
「忠臣蔵」の話もそうですが、明治から昭和20年の終戦までの間にあった軍国主義的な考えは、武士道をそのまま継承したといえるのではないでしょうか。



武士道の精神「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」、これらがひとつにまとまり武士の高潔なる人格形成をしたのです。
それが桜の花にたとえられる潔さにもつながり、「切腹」や「敵討ち」などのふつうでは理解しがたいが、人間としての尊厳を表す気高さの証として連想させるものになりました。
自殺とか人殺しが正当化されないにしても名誉や忠義を重んじる行為は人の心を打つものだなと感じますね。
『いま、拠って立つべき❝日本の精神❞武士道』の感想・まとめ
武士道が日本人に遺したものは果てしなく大きい
日本には「武士道」、ヨーロッパには「騎士道」がありました。この二つはよく比較されますが、似てはいるものの先ほどの花の例えのように違うものです。
武士道は名誉や意地、騎士道は正しさを重んじるという差があり、戦いにおいての武士道では敵への降伏を拒否し自殺をすることがありますが、騎士道では自殺はなく死ぬまで戦うことを選ぶとあります。
主に対する忠誠についても違いがあり、武士は主人に対して主従を結ぶのに対して、騎士の誓いは神との契約であり帰依するのはあくまでも神の教えであるとしています。
したがって主が神の教えに背く理不尽な命令をした場合、自分の心の中に聞こえる声を聞くことでそれを拒否しても良いとされるということだそうです。
このことの流れが、現代における日本人と欧米人の道徳上、精神上の違いとなっているのだと思いますね。
人間ですので、誰にでも競争本能はあります。でも、やみくもに競争だけあおったのでは「勝つためならどんなことでもやる」というような仁義なき戦いになってしまいます。
渋沢栄一氏は、近代日本の資本主義の父と呼ばれ、著書の『論語と算盤』では、「利潤と道徳を調和させる」という経営哲学が盛り込まれています。
「士魂商才」の言葉のごとく、武士の精神でものごとに当たるというのは今もこれからも大事な要素になるとわたしは思います。
新渡戸稲造さんの考えも交えた「武士道」は、人間の誇りを大事にしてきた武士の総決算とも言える本です。もし興味がございましたらぜひご一読ください。




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