
こんにちはコウカワシンです。
今回は、みうらじゅんさんの著書『「ない仕事」の作り方』から学ばせていただきます。
「みうらじゅんってなにもの?」
「この人の本業って何?」
「どうやって食ってるんだ・・・・・?」
このように思われる方も多いのではないでしょうか。
みうらじゅんさんは、ジャンルとして成立していないものや大きな分類はあるけど区分けされていないものに着目し、ひとひねりして新しい名前をつけて、いろいろ仕掛けて、世の中に届けるといったことをされています。
つまり、元々は「ない仕事」を作り出し拡げていくといった発想力と発信力を駆使する「一人電通」戦略で数々のヒットを生んでこられました。
本書は、みうらさんの仕事術を知ることができる上に、みうらさんが尊敬する糸井重里さんとのスペシャル対談も読むことができます。
『「ない仕事」の作り方』 は誰におすすめか?
本書はこのような人におすすめです。
『「ない仕事」の作り方』はこのような人におすすめ
- クリエーター志望者
- 企画などの仕事をしている人
- ヒットメーカーになりたい人



これからの時代に生き残れるのは「ものごとを創造できる人」です。
本書は、みうらじゅん流の仕事術としてみうらさんならではのノウハウが満載ですが、立派なビジネス書でもあります。
ですので、「与えられた仕事」しかしたことがなく、毎日をたいくつに過ごしている人には、良い刺激になると思います。




『「ない仕事」の作り方』はどんな本?
本書の目次
『「ない仕事」の作り方』
まえがき すべては「マイブーム」から始まる
第1章 ゼロから始まる仕事~ゆるキャラ
第2章 「ない仕事」の仕事術
1.発見と「自分洗脳」
2.ネーミングの重要性
3.広めることと伝わること
第3章 仕事を作るセンスの育み方
1.少年時代の「素養」が形になるまで
2.たどり着いた仕事の流儀
第4章 子どもの趣味と大人の仕事~仏像
あとがき 本当の「ない仕事」~エロスクラップ
I don’t believe me.
みうらじゅんと糸井重里は、もともとなかった仕事をやっていた。
スペシャル対談 糸井重里×みうらじゅん
著者の紹介
みうらじゅん
1958年 京都市生まれ。
武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。以来、イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャンなどとして幅広く活躍。
1997年、造語「マイブーム」が新語・流行語大賞受賞語に。「ゆるキャラ」の命名者でもある。
2005年、日本映画批評家大賞功労賞受賞。
2018年、仏教伝道文化賞沼田奨励賞受賞。
著書に『アイデン&ティティ』、『マイ仏教』、『見仏記』シリーズ(いとうせいこうと共著)、『マイ遺品セレクション』など、音楽、映像作品も多数ある。
本書の内容
『「ない仕事」の作り方』は、ズバリ!「クリエーター育成マニュアル」です。
Amazonの書籍紹介より
デビューして今年で35年、「仏像ブーム」を牽引してきた第一人者であり、「マイブーム」や「ゆるキャラ」の名付け親としても知られるみうらじゅん。とはいえ、「テレビや雑誌で、そのサングラス&長髪姿を見かけるけれど、何が本業なのかわからない」「どうやって食っているんだろう?」と不思議に思っている人も多いのでは?
本書では、それまで世の中に「なかった仕事」を、企画、営業、接待も全部自分でやる「一人電通」という手法で作ってきた「みうらじゅんの仕事術」を、アイデアの閃き方から印象に残るネーミングのコツ、世の中に広める方法まで、過去の作品を例にあげながら丁寧に解説していきます。
「好きなことを仕事にしたい」、「会社という組織の中にいながらも、新しい何かを作り出したい」と願っている人たちに贈る、これまでに「ない」ビジネス書(?)です。



本書は「ない仕事」を生み出す先駆者であるみうらじゅんさんのノウハウが本書で得られる最適なビジネス書であります。
『「ない仕事」の作り方』 の要点は?
みうらじゅんさんは、「マイブーム」「ゆるキャラ」といった新語を生み出し、それまで世の中に「なかった仕事」を企画、営業、接待も全部自分でやる「一人電通」という手法で作り続けてこられました。
アイデアのひらめき方から印象に残るネーミングのコツ、世の中に広める方法まで、、、本書ではその仕事術を丁寧に解説してくれています。



みうらじゅんさんのノウハウの中から、気になったものを私の独断と偏見であげさせていただきます。
マイブームを「一人電通」戦略で。
みうらさんが作った新語「マイブーム」は、ふつうの意味に取れば「ここ最近、個人的に夢中になっているもの」ですが、そもそもブームとは多数の人が同じことに夢中になる現象です。
みうらさんは、自分が「これは面白い!」と思ったものやことがらに着目し、原稿を書き、発言したりしましたが、世の中の話題にならないことのほうが多かったと言われています。
そこで、「流行るかどうかをただ待つのではなく、こちらから仕掛けていこう」という発想で「マイブーム」を広げるための戦略「一人電通」を発動されるということです。
電通とは、日本を代表する広告代理店ですが、その電通で行っていることを、全部一人でやってしまうということです。
たとえば、「ネタ作り、ネーミング、デザイン、雑誌やテレビで発表」といったことに加えて、編集者やイベンターを接待し、なるべくネタが見えるように、多くの人の目に触れるようにしていくなどを自分一人でこなすのです。
その一つの例としてあげられるのが「ゆるキャラ」です。
ゆるキャラの「マイブーム」から「大ブーム」への道
「ゆるキャラ」誕生
「ゆるキャラ」と今では、認知された存在ですが20年ほど前は「妙な着ぐるみ」として物産展やイベントのマスコットとするのが一般的でした。しかも多く客がひしめく中においても所在なさげに立っているだけの存在だったとされています。
当時は見向きもされない感じで佇んでいた彼らにみうらさんは「哀愁」を感じたそうです。というのも地方の名産品を無理矢理マスコット化したいびつなものが多く、そのいびつさの根底にあるものは「郷土愛」であると感じたからです。
そのいびつなマスコットのことをいつのまにか四六時中考えるようになり、「マイブーム」となっていってのです。
まずそのようないびつなマスコットに名前をつけなければいけません。思いついたのが「ゆるキャラ」!
ゆるいキャラクターということですが、本当ならキャラクターはゆるくては困りますし、わざとゆるいキャラクターを作ろうとする人や団体はいません。
しかし、ちゃんとしたものを作ろうとした結果、なんとも微妙な、というか中途半端な、いびつなものが多く、そこで「ゆるい」と「キャラクター」を合わせた「ゆるキャラ」が誕生したということです。
このようなキャラクターは全国にたくさんあり、みうらさんは集められるだけ「ゆるキャラ」を集めたそうです。
雑誌に売り込む
名づけた「ゆるキャラ」を売り出さねばいけません。
そうです。「発表」です。
なかったジャンルのものに名前をつけ、それが好きだと自分に思い込ませ、大量に集める。ただ集めただけではただのコレクターです。これを書籍やイベントにしてこそ、初めて「仕事」となります。
もともとが「ない仕事」ですが、「こんな企画があるのですが、どうでしょう?」と雑誌やテレビ局に持ち込みます。
「ゆるキャラ」をタイトルにつけた連載を始めたのが、徳間書店の「ハイパーホビー」というフィギュアの月刊誌だったそうです。
けど、「ゆるキャラは全国にたくさんあるため月刊誌では追いつかない」ということで週刊誌にも目を向けます。扶桑社の「週刊SPA!」に持ち込むも最初は怪訝そうにされました。
そこで、「接待」を敢行!編集者を酒の席に招き、ごちそうをし、酔っていい調子になったころを見計らってプレゼンをします。
イベントを仕掛ける
なかなか雑誌の連載が決まらないならイベントを仕掛けるという戦略も用いました。
1996年から作家のいとうせいこうさんんと「ザ・スライドショー」というイベントを開催してきたみうらさんは、「ゆるキャラ」のイベントを立案。「第一回みうらじゅんのゆるキャラショー」が開催されました。
当時はまだ「ゆるキャラ」の認知度も低く、野外イベントで当日は雨でしたが、「なんだかおもしろそうだぞ」と、ピンときた観客で会場はいっぱいになり、最後はみうらさん作詞の「ゆるキャラ音頭」を皆で熱唱するという大盛況で終わりました。
その後、「週刊SPA!」編集部から「ゆるキャラ」を紹介する「ゆるキャラだヨ!全員集合」の連載オファーがきたとのことです。
こうした地道な活動が、花開き、2004年6月に東京ドームで、昼は「ゆるキャラ」が堂々と会場をうろつく地方物産展、夜は「ゆるキャラ」総出演というイベント「郷土愛(LOVE)2004」を2日間に渡り開催されました。


(出典:笑いのグランド「「みうらじゅんin 東京ドーム」 郷土LOVEってやつ。20時間ドームにいた。」より)
イベントでは、80体以上もの「ゆるキャラ」を1体1体紹介してステージに上げていくのですが、それだけでも大苦労で1時間半も時間がかかりました。
そんなショーを見て「お客さんは喜んでいるのか?」と心配になったものの、そんなときにみうらさんが必ず唱える呪文があるそうです。
「そこがいいんじゃない!」
ポジティブシンキングですよね!
人はよく分からないものに対し、すぐに「つまらない」と反応しがちですが、「そこがいいんじゃない!」と全肯定して「つまらない」という自分を否定してみる。
そうすることで、より面白く感じられ、自信にもなっていくということです。



マイブーム、つまり自分が 「これは面白い!」と思ったものやことがらに着目し、 立案、企画、営業までやり、最後には大きなブームにまでしてしまう。
これって、誰でも憧れますよね!
そして自分自身の思考力に行動力が試されます。
シビアですが、やりがいはあると感じますね。
「ない仕事」の仕事術
それでは、みうらさんの仕事術でこれは大事と思えるものを本書から拾ってみました。
ないものから探す
まず、今までにない仕事を見つけなくてはいけません。
みうらさんは、インターネットで「出てこない言葉を探す」をよくされています。ふつうなら世に出ているものを探すのですが、みうらさんはこれから世に出したいもの、ネーミングなどが、まだ誰も出していないものかどうかを確認するために検索するのです。
たとえば、日本人形のことを「フィギュア」と「和風」を掛け合わせて「フィギュ和」と呼ぶことを思いつき、「フィギュ和」で検索してみると、ヒット数はゼロということで、「フィギュ和」を晴れて自分の言葉として使うといったような感じです。
もともと日本人形の収集家だったみうらさんは、自身の人形をグラビアアイドルのように撮影した『みうらじゅんマガジンvol.3フィギュ和』という写真集を出版されました。
「フィギュア」も「和風」もすでにある言葉ですが、「フィギュ和」という土俵には、まだ誰もいないということ。つまり「自分で新たな土俵=ジャンルを生み出さば、自分以外の誰も博士になれない」状態をつくり出せるというわけです。
母親に向けて仕事をする
みうらさんは仕事をする際に「大人数にウケよう」という気持ちでは動いていないそうです。
では、誰に対して「ウケたい」かですが、「あの雑誌の連載は、あの後輩が笑ってくれるように書こう」とか「このイベントはいつも来てくれるあのファンにウケたい」と、自分に近い一人や二人に向けてやっているそうです。
最初から不特定多数の人に向けて仕事をするというのはスーパーマンでもできません。顔が見えない人に向けては何も発信できないし、発信したところで、きっと伝えたいことがぼやけてしまいます。
誰でも自分に近い人を喜ばせたいと思ってますが、その最高峰は「自分の母親」という人が多いのではないでしょうか?
みうらさんは、「母親を喜ばすことができないのに、どうして他の女性を喜ばすことができるか?」と、デビュー以来ずっと、母親に褒められたくて仕事を続けてきたと言います。
しかし、近年「週刊文春」で「人生エロエロ」というエロエッセイの連載を母親に見られたくなかったそうです。でも、そんなみうらさんにお母さんから「あれ、おもしろいなあ」と連絡があったときにはびっくりもしたし、励みにもなったと言います。
みうらさんの仕事のモチベーションの根源はここにあり、友達の話を勝手に書いて友達が怒っても、面白いエロ話を書いて元カノが「あれ、私の話?」と問い詰めに来ても、母親さえ許してくれればいいという基準を持っているのです。
逆に言えば「母親が嫌がりそうなことだけをやらなければいい」ということになります。
そんなみうらさんですが、『親孝行プレイ』という本を出したときには、必死に言い訳したそうです。しかしお母さまからは「いつだって私はあんたの味方やし、またおもろいネタがあったら電話するわ」と許してくれたそうです。
いい親子関係を築かれている賜物ですね。
チームを組む
みうらさんの持論に「ない仕事」を成立させるためには、「好きな才能と広める才能、収集癖と発表癖」が必要だとされています。
もしどちらかが、自分ではうまくいかなかったときはどうしたらいいかですが、そんなときは「誰か得意な人とチームを組んでしまえばいい」とされています。
どんな仕事でも、大きなことを成し遂げるとき、同じ才能を持った者が集まるより、それぞれ得意分野が違う者が集まったほうが、きっとうまくいくとし、「異能戦士が横並びで集まる」それが成功の秘訣とされています。
「最終的に面白いことが完成するなら、すべてを自分でやる必要はない」
たとえば、みうらさんは作家のいとうせいこうさんと「ザ・スライドショー」というイベントを20年近く開催しています。
このショーは、みうらさんが日本全国を回って写真に撮った「ネタ」をいとうさんに見せながらしゃべるという構成になっています。
本来なら、ネタ提供者のみうらさんが「笑いのポイント」や「落としどころ」を知っているのですが、ときどきいとうさんがネタと関係のない写真の撮影日を取り上げて「あんた終戦記念日にどこ行ってるんだよ!」と、思いもよらないツッコミをいれるのだそうです。
観客はいとうさんのツッコミやみうらさんがおどろいて返答にしどろもどろになる姿に爆笑するといった具合です。
まさにキャラクターが違う者同士が組むことで面白さが倍増するということですね。チームで仕事をする場合は、自分と似たタイプでない人とあえて組んでみるが、相乗効果となって表れることってあるでしょうね。



「ないものから探す」「母親に向けて仕事をする」「チームを組む」・・・つまり、ブルーオーシャンを探し求め、対象や基準を定め、より良いものを作るために自分とは違う才を持つ人に協力を求める。
このことは、どのような仕事においても大事なことであると思いますね。
「私が」で考えない
みうらさんは、何かやるときの主語を「私が」で、考えないそうです。
つまり、自己主張をしないということであります。何かをプロデュースする場合、自分のアイデアはその対象物にあり、その対象物の前では、自分をなくしていくことが大切だということです。
たとえば、仏像が対象物の場合、自分という存在をなくし、「仏像がもっとヤング層にウケればいいな」と考えるのです。
もともとみうらさんは子どものころから仏像が大好きでお寺のパンフレットから仏像を切り抜き「仏像スクラップ」を作っていたそうです。
当時は仏像のカッコよさを伝えたくて「ウルトラマンと弥勒菩薩(みろくぼさつ)は似ている」とか「ウルトラサインは梵字(ぼんじ)と一緒だよ」と熱心に語っていたけど、友達にはウケなかったと言います。
友達にしてみればテレビやマンガなど流行しているものにしか興味がないのだから当然ですよね。しかし、それは今も同じです。流行っているものは、いずれ流行らなくなります。
でも、仏像は「まだヤングの間では流行っていない=これからブームになるかもしれない」とし、わくわくされたそうです。そんな中、いとうせいこうさんと生み出したのが『見仏記』です。
そして、みうらさんの考え方として、「ない仕事」をつくり出すことについて、自己主張をしてしまうと、世の中からすぐに「必要のない」「欲しくない」と気づかれてしまうというのです。
そこで、あたかも「なかったもの」が流行っているかのように、主語を変えてプレゼンしてみる。すると、人々は、「流行っているのかな?」と、ようやく目を向けてくれるようになるということです。



「ない仕事」探しに限らず、利他の心がないと、ただの独りよがりになってしまいますよね。
主語から「自分」を除く・・・良い教訓だなと感じました。
『「ない仕事」の作り方』 の感想・まとめ
「一人電通」を取り入れよう。
本書を読み、みうらじゅんさんって見かけによらずバイタリティーの塊だなあと感じました(笑)
「ない仕事」の着想から始まり、立案してプレゼンして売り込み、イベントまで立ち上げるなんてことは、みうらさんだからできることです。
みうらさんほどのプロデュース力があれば、世話ありません。しかし、思考力・プレゼン力・売り込み方など、われわれでも参考になる部分はたくさんありました。
「他人と同じことをしていてはダメ」
なぜなら、つまらないし、人気職種を目指し、同じ地位を目指すのは競争率も高いし、しんどいから。それよりも人がやっていないことを見つけて達成するほうが楽しい!
このような、みうらじゅんさんの思考や心に触れたければぜひ読んでみてください。




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