
こんにちはコウカワシンです。
今回は、橘玲(たちばな・あきら)さんの『上級国民/下級国民』から学ばせていただきます。




『上級国民/下級国民』はどんな本?
本書の目次
『上級国民/下級国民』
まえがき
1. 「下級国民」の誕生
①平成で起きたこと
②令和で起きること
2. 「モテ」と「非モテ」の分析
③日本のアンダークラス
④「モテ」と「非モテ」の進化論
3. 世界を揺るがす「上級/下級」の分析
⑤リベラル化する世界
⑥「リバタニア」と「ドメスティックス」
エピローグ 知識社会の終わり
あとがき
著者の紹介
橘玲(たちばな・あきら)
1959年生まれ。 作家。
国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、 『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。
『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で、2017年新書大賞受賞。近著に『もっと言ってはいけない』『働き方2.0vs4.0』『人生は攻略できる』など。
本書の内容
本書の内容
本書は、平成という時代、社会の歪みから生まれた格差社会を最近、用いられるようになった造語「上級国民」「下級国民」に分け、「下級国民」に陥れば、共同体からも性愛からも排除されるという❝残酷な運命❞が待ち受け、一方でそれらを牛耳り幸福な人生を手に入れるのは一部の「上級国民」だけという現実を提示した内容です。
『上級国民/下級国民』は誰におすすめか?
本書がおすすめなのはこのような人です。
『上級国民/下級国民』は、このような人におすすめ!
- 下級国民になりたくない人
- 未来に希望が持てない人
- 野心家



池袋の交通死亡事故から生まれた感のある「上級国民」という言葉ですが、この「上級国民」、「下級国民」の差はずっと以前からあり、「ルールをつくる者とルールに従う者」「富める者と貧する者」の差はこれからも広がっていくと考えられます。
そのうえ、世界全体がリベラル化に向かい、今までの価値観では対応できなくなってきます。
つまり、現役世代はもちろんのこと現役を退いた方にもおすすめの一冊です。
『上級国民 /下級国民』の要点は?
「上級国民/下級国民」は、なにも日本に限ったことではなくて、アメリカやイギリスなどでも富裕層や支配下階級と労働者という構図が成り立ちました。
それが社会の歪みを大きくし、アメリカではトランプ大統領の誕生やイギリスのEU離脱に至ったのです。つまりこの流れは世界中で拡大しているというのが事実なのです。
この格差というのは残酷で、富や栄誉を独占し、社会のルールをつくるのは「上級国民」です。そのうえ恋愛チャンスが多いのも上級国民なのです。
一方、「下級国民」は、自分の居場所を確保するのも精一杯で、上級国民がつくったルールに従うしかなく、税金は容赦なく搾取され、おまけに恋愛チャンスも訪れない恐れもあるのです。
まず大事なことは、社会の動きを知り、これまでの流れを知り、これからの予測を立てるです。そのうえで自分の置かれた立場を認識し、将来の行動に役立たせなくてはいけません。



そういうことで、本書からヒントになる要点を独断と偏見で選ばせていただきました。
いままでとこれからの社会の動き
ここでのポイントはズバリ!「政治家の団塊世代へのご機嫌取り」ということです。
まずは平成で起こったことと令和で予想されることを取り上げてみます。
平成の30年が日本を貧乏くさくした
団塊世代の雇用を守る
平成の30年は、いろんなことがありました。「バブルの崩壊」や「阪神大震災」などの災害もひんぱつに起こり、経済的に苦しんだ時代でしたね。
そこで、労働市場では変化が起きました。
- 非正規雇用
- 就職氷河期
- 生産性の格差
雇用形態も変わり「非正規」と呼ばれる働き方をする人たちが増えてきました。ただ単に「正規」(正社員)の数が減ったのかと思ったら、そうではなかったそうです。
実は、この時の大きな勢力であった正社員「団塊の世代」の雇用を守ったからです。この団塊の世代の雇用を守ったから、新規の正社員採用は減り、就職氷河期となったのです。
この時のあおりを受けたのが、この団塊世代の子供である団塊ジュニアです。俗に「ロスジェネ」(ロストジェネレーション)とも呼ばれます。
生産性の格差も広がりました。
本書では、冒頭に平成の30年間をまとめるなら「日本がどんどん貧乏くさくなった」としています。国民の豊かさの指標は4一人当たりのGDP(国内総生産)で表します。
平成元年(1989年)から平成30年(2018年)までの日本の順位がかなり下がっています。


(出典:『上級国民/下級国民』)
一時は2位にまで上がったことがありましたが、2018年では26位にまで低迷。おまけに労働生産性も下がり、OECD36ヵ国中21位で、先進国7か国中では最下位、アジアでも香港に抜かれ、韓国にも追いつき追い越されようとしています。
つまり、日本の生産性が他国に比べて低いということが明らかですね。でもこれは、決して日本人の能力が低いというわけではないと橘さんは言います。
他国に比べて生産性が低い理由は、日本人の働き方、日本の社会の仕組みそのものが低いからなのです。その仕組みというのが雇用対策(団塊世代を守る)を優先し、社員の仕事を減らすような業務のアウトソースができなかったからです。
つまり、社員にしてみたら生産性は上がらないのに長時間働かされる羽目になるという悪循環が生まれます。だからでしょうか・・・日本の会社員って、世界でいちばん会社を憎んでいるそうです。
おまけに正社員と非正規の雇用条件の差があることが、なおさら火をつけるのではないでしょうか。これが、平成30年によって日本に格差社会を生んだ要因と言えます。
令和の20年はまだまだ耐える時代
団塊世代の年金を守る
令和で起きること・・・それは「団塊世代の年金を守る」です。これはだいたい2040年頃までの20年は続くと橘さんは言われています。
やはり、団塊世代というのは、政治家にとって大票田であり、味方につけたい世代ということなんです。これは、自民党が政権を取ろうが、野党が政権を取ろうが変わることはありません。
団塊世代も雇用や年金といった既得権を守ることには必死ですし、それを守ってくれる政党にならどこにでも投票するでしょう。
けど、そのことが若い世代、つまり、自分の子供の雇用不安や年金負担をかけているというのを知っているのかなあ・・・という気になります。
たとえば、年金を守るために考えられるのは、
- 保険料の引き上げ
- 消費税の引き上げ
が考えられます。



こうした若い世代への経済的負担の増加は、今後も続いていくでしょうし、日本という国の衰退をも意味すると見るのはオーバーなのでしょうか?
恋愛事情にも「上級国民/下級国民」
恋愛事情もご多分に漏れず「上級国民」「下級国民」に分かれています。
というのも、現代日本社会は「大卒/非大卒」の学歴によって分断されていて、そのことがポジティブ感情(幸福度)を左右する原因の一部であります。
もっともポジティブ感情が低いのが、高卒・高校中退の壮年男性で、次に低いのが非大卒の壮年女性、その後は、非大卒の若い男性と続いていきます。
でも、ふつうならポジティブ感情の高いはずの大卒の若い男性も幸福度が低いということだそうです。
これはいったいどういうことでしょうか?
橘さんが言うには「モテ/非モテ」に分断されているからだとされています。
そもそも男性は女性よりも「不安定性」が大きく、
- 現在志向(将来のための節約や努力より、今を楽しむ)
- 競争不安(他人に追い越されそうな不安をいつも感じる)
- 喪失不安(うっかりするとこれまで獲得してきたものを失う不安)
この3つの「不安定性」が男性の幸福度を下げてしまうのです。
そして男性と女性とでは「モテ」の仕組みが違うことも大きな隔たりを生むきっかけになります。
男性は女性の姿かたちが好きになる要素ですが、女性は男性に「安心・安全・安定」を求めます。というのも女性は身ごもって9カ月、そしてその後の育児にたいへんな年数がかかり、その間、生活を守る経済活動をするには限界があります。
妊娠・出産・育児にかかっている間、男性からの支援が必ず必要です。ということは社会的にも経済的にも安定した地位にいる人でないと安心して身を任せることができないのです。
つまり、男性にとって「モテる」規準は「持てる」ことなのです。
現在の進化論において「男女の性戦略の対立から、人間社会は一夫多妻に近い一夫一妻になった」と見る考え方もあります。
つまり、経済力のある男性が何人もの女性を妻(愛人)にできますが、経済力がなければせいぜい1人。もしくは生涯独身で終える男性もこれからは増えるでしょうね。
このことから、女性がモテる要素は「若さ」で、男性の場合は「カネと権力」ということになります。つまり、強い男が勝つということです。まるで、動物の世界と変わりありませんね。
カネがある男性の特徴として「結婚と離婚を繰り返す」があります。離婚には金銭的にも精神的にもコストがかかります。トラブルを解決するために弁護士費用を出せるのもカネのある人です。
そして、カネのある人は、また違う女性と結婚します。つまり、一人の男性が複数の女性と結婚できるのです。これを日本版「一夫多妻制」といいます。
これが「上級国民/下級国民」=「モテ/非モテ」の実情ということなのです。



わたしは「モテる」男より「持てる」男になりたいです(笑)
これからの世界は?
社会のリベラル化
世界的な動きとして、テクノロジー爆発による「知性社会」が到来し、人は共同体という囲いから離れ、一人ひとりの自由な意志で自己実現ができるようになります。
この場合の自己実現とは、人種や民族、国籍、性別、宗教による差別・制限を受けず、LGBTや人工中絶する自由を手に入れるというリベラル化の恩恵を受けるという権利を持つことです。
リベラル化の先進国であるオランダでは、売買春も、ドラッグ(大麻)も、安楽死も個人の自由となったそうです。そのうえカトリックの影響を受け、保守的で有名なアイルランドでさえ2018年人工中絶禁止法が撤廃になりました。
世界はどんどんとリベラル化していっているということで、日本においても女性の社会的地位向上が叫ばれ、女性の政治参加や夫婦別性議論も白熱化しています。
この根底にあるのは、「他者の自由を認めなければ自分の自由もない」という「自由社会の平等」という根本原理です。
リベラル社会では「私が自由に生きているのだから、私の利益を侵さないかぎり、あなたも同じように自由に生きる権利がある」という考えになり、他者の自己実現に干渉しないのです。
リベラル社会の弊害
自己実現を認め、個人の自由を最大化するリベラルな社会は、大昔の身分制度に苦しめられることもなく、性別や宗教、思想に縛られない素晴らしい社会ですが、反対にあらゆることはトレードオフ(あちらを立てればこちらが立たない)ということです。
つまり、リベラルの負は、自己実現と自己責任が表裏一体だということで、そのうえ個人の自由主義が共同体を解体します。
リベラルというものは、人種、出自、宗教、国籍、性別、年齢、性的思考、障害の有無などによるいっさいの差別を認めません。なぜならそれらは、本人の意思や努力ではどうにもならないことで自己実現をできなくするからです。
ですがその分、本人のやる気(意思)さえあれば、努力は正当に評価され、社会的な地位や経済的なゆたかさに反映されるのです。つまり、能力主義ということで、これがリベラル社会の本質なのです。
「自己実現=自己責任」は、世界的な流れであり、もう止めることはできないと言われています。
デンマークでは
失業保険の給付期間が7年間という失業者にとっては恵まれた給付制度がありましたが、2008年から給付条件が厳しくなりました。
失業手当を受給し始めたら3カ月後には「人材活性化プログラム」への参加が義務付けられ、それに加えてジョブセンターがあっせんする同一の職に6カ月間従事することが給付の要件になりました。つまり、ただ飯は食わせてくれないのです。
オランダでは
世界にさきがけフルタイム(正社員)とパートタイム(非正規)の差別をなくしましたが、2004年施行の「雇用・生活保護法」で、18歳以上65歳未満の生活保護受給者は原則として全員が就労義務を課せられ、「切迫した事情」が立証できないかぎりこの義務が免除されなくなりました。
自己責任とは?
世界的な福祉国家だった北欧(スウェーデン・デンマーク・オランダ)の国も、いまでは「ネオリベ型福祉国家」となったそうです。
「新自由主義」と呼ばれるネオリベ型は、どのようなものかというと、国家(社会)と国民(市民)の関係はギブ・アンド・テイクで、「社会に貢献している者だけが社会からの給付を受けることができる」という価値観です。
つまり、リベラルになればなるほど、何歳になっても働いて納税したり、リタイアしてからも健康の許すかぎり地域のボランティアに参加するなど、「自分はこうやって社会に貢献している」とアピールしなければいけないということです。
理想とするリベラル化は、ありとあらゆる差別がなくなり、完全に平等な資格で自己実現を目指すことができ、あらゆる障害は取り除かれます。
とても素晴らしいことですが、そうなると選択する結果はすべて本人のみが引き受けることになり、誰もが自己実現できるリベラルの理想社会というのは、❝究極の自己責任❞の世界という自覚が必要なのです。



自由を謳歌するにも責任なき社会はありえないということですね。
これからを生き残る上で大事だと思う点を2つ
流動化する世界、二極化する日本・・・生き残るためには「下級国民」にならないことです。
橘さんはそのヒントとして2つのトレンドを示してくれています。それは、高度化する知識社会に最適化した人的資本を形成する戦略とフェイスブックやツイッター、インスタグラムなどで多くのフォロワーを集め、その「評判資本」をマネタイズ(収益化)していく戦略です。
高度化する知識社会に最適化した人的資本を形成する戦略
エンジニアやデータサイエンティストなどの専門職は今やアスリートと同じ。10代でも才能を発揮し、シリコンバレーのIT企業などに高給で採用され、若くして巨万の富を手に入れるのが当然とされるようになったとのこと。
このような生き方は、大学でのんびり一般教養を学んでいる暇はありません。いまではオンライン大学で高度なプログラミング技術を習い「ナノディグリー」という学位を取った人がテック業界で争奪戦になっているそうです。
いわゆる「知識経済」の申し子といわれる人たちです。
フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどで多くのフォロワーを集め、その「評判資本」をマネタイズしていく戦略
SNSのインフルエンサーやユーチューバーなどがその典型です。高度化する知識社会では、テクノロジーが提供するプラットフォームを利用して、会社の組織に所属することなくフリーエージェントとして自由な働き方をすることが可能になりました。
今、子供たちのなりたい職業の上位にゲームクリエイターやプログラマー、ユーチューバーがあります。やはり、自分で創造できる人が勝ち残っていくというのは少なからず理解していると言えますね。
とにかく、今後も「知識経済」と「評判経済」は、一体となって進化し、地球を覆う巨大な経済圏を形成し、それに乗っかっていかないとふつうに上級国民の仲間入りはできないのです。



そして今後、学校でもプログラミング教育がさかんになり、どのような職業でもプログラミングの知識なくしては将来性がないとまで言われています。
気になる方は、プログラミングを今からでも勉強してみてはいかがでしょうか。
『上級国民/下級国民』の感想・まとめ
中間でいよう
「上級国民/下級国民」を読み感じたことは、「とにかく中間でいよう」ということでした。それには頭の中も常に中間でいないといけません。
なぜなら、これからの世の中は、リベラル化が進み、今まで少数派だった人たちの考えも尊重されるようになるからです。つまりどのような考え方も受け入れる柔軟さが必要ということです。
日本もこれからグローバル化・リベラル化が進んでいくことでしょう。そんなときに下級国民のままではただ不平不満しか言わず、自分はマジョリティ(多数派)だからと、ただわめくだけだからです。
とにかく、思うのは「自分は❝日本人❞であるという以外に誇れるものはない」という状況から脱し、いろんな意見も尊重するという柔軟さを持ち、どのような社会になろうと立ち向かえる能力を持つべきだと思いました。
そんな意味も込め、今の社会の本当のところを知る意味で本書をぜひ一読していただきものです。




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