
こんにちはコウカワシンです。
今回は、二神雅一(ふたがみ・まさかず)さんの著書『本物ケア』から学ばせていただきます。
『本物ケア』はどんな本?


『本物ケア』は、ズバリ!「日本の高齢化問題」をフォーカスした本です。
本書はこのような本
超高齢化社会と言われて久しい日本ですが、世界的に見ても高齢化のスピードが速いことが叫ばれています。特に2025年には、75歳以上の後期高齢者の人口が爆発的に増えるとされ注目されています。
超高齢社会とは、65歳以上の人口が全人口の21%を占める社会を指します。ちなみにこの高齢化率という割合の計算式は、以下の通りです。
高齢化率=老年人口(高齢者人口)÷総人口×100
1970年にはすでに「高齢化社会」に突入し、その後も高齢化率が上昇し、2007年に超高齢社会へ突入しました。今後も高齢化は進み、予測では2025年には約30%、2060年には40%に達すると見られています。
高齢化社会というと聞こえは悪いですが、割合的に先進国に多く、少子化が気にはなるけど、医療制度の充実や医療レベルの向上、健康的な食生活、治安の良さがあげられ、国としては安定しているという証拠ですね。
しかし、先ほどもあげましたが、少子化による人口の減少、若い人たちの結婚に対しての価値観の変化、核家族化などで、一人暮らしの高齢者はどんどん増え、今後、一人の高齢者に対する介護人材の確保が必然であることはまぎれもない事実です。
本書の著者・二神雅一(ふたがみ・まさかず)さんは、株式会社創心會の代表取締役で作業療法士。創心會では、「日本一不親切な親切で」をキャッチフレーズに、本当に高齢者に対して必要な介護とは「もっと自分でできることを知っていただく」ことだという普遍のポリシーをお持ちです。
その二神さんの「介護に対する考え方」や「介護業界の闇」、「介護の将来像」を学ばせていただこうと思います。
本書は誰におすすめか?
本書はこのような人におすすめです。
『本物ケア』がおすすめな人
- 高齢者介護の職にある人
- 高齢者を持つ家族
- 高齢者
『本物ケア』の要点は?





誰でもいつかは迎える老後。今回気になって手に取った本書の中から、少しだけ要点をあげてみたいと思います。もちろん独断と偏見ですが。
不親切にかくされた親切
まず、介護の環境について知る必要があります。現在の介護保険制度は2000年にスタートしました。
介護保険とは?
介護保険制度
介護保険制度とは「高齢者の介護を社会全体で支えあうしくみ」として1997年に国によって制定された制度(介護保険法)です。介護保険対象のサービスを利用する際に、費用の1割(一定以上の所得者は2~3割)を負担することで様々な介護サービスを受けることができます。
高齢者に対しての基本的な考え方として、
- 自立支援(身の回りの世話にとどまらず、できることは本人にまかせながら必要なサポートを提供することで、要介護者の生活能力の維持&向上をはかる)
- 利用者本位(様々な選択肢から利用者が必要なサービスを選択する)
- 社会保険式(一定の条件に該当する国民すべてが被保険者のとなって保険料を支払い、介護が必要となった場合は保険給付を受け取ることができる)
という3つの軸があります。
この介護保険制度がスタートする前には、「老人福祉制度」があり、この制度のもとでは、介護が必要になった人は市町村に申請を行い、調査されたうえで利用の可否を判断され、事業者を指定されます。
提供する事業者は、ただ要介護者を受け入れるだけで、良いサービスを提供して要介護者を集めるなどという努力をしなくていいのです。
その結果、要介護者を寝たきりにさせ、ただ単に生かしているだけというような、見よう見まねの専門性のない介護が横行していたというのです。(ひどい場合は拘束されたり、閉じ込められたりなどの非人道的な行為も行われていた)
本当なら、寝かせきりにせず、毎日体を動かし、リハビリの基本的なことさえ実践していればですが、このような状態では要介護者は筋力が衰え、自分で動くことができなります。
そんななか、2000年の介護保険制度はスタートしました。
そうなると多くの民間事業者が参入し、一転してサービス合戦になります。どの業者も手厚い介護に努め、利用者が「足が痛くて歩けない」と言えば、車椅子を用意し歩かさない、「足が上がらず、お風呂に入れない」となると、抱きかかえお風呂に入れるといった・・・いたせり尽くせりの介護がなされます。
たしかにそうすれば利用者は苦労せず用が足せることになり、利用者の家族にもウケがいいです。そうして介護する方も評価が高くなり、仕事も増えていくことになりました。
しかし、これには大きな弊害がありました。
それは、利用者のもつ残存能力の発揮機会は少しずつ失われ、機能回復のチャンスを奪われて、本人、家族の気づかぬうちに「つくられた」寝たきり状態となっていくのです。
二神さんは、介護保険制度前の「専門性のないほったらかしの介護」、施行後の「過度に親切な介護」により、悲惨な状態に陥る高齢者を数多く見てこられたそうです。
本物の介護とは?
二神さんは、「ケアのし過ぎは一見理想の介護に見えて、実は介護の本質からずれている。利用者のやる気と根気、筋力や能力をそぎ、寝たきりへと一直線に進ませている」と感じました。
そして「利用者にできることは自分でしてもらい、リハビリに精を出してもらうことで自立した生活を取り戻してもらう。自立支援を基本に据えた介護を提供する」と考えました。
そこで「身体機能の専門的な分析により、その人にとって必要かつ十分な介護量とリハビリ量を明らかにすることが大切であり、リハビリの専門職である療法士こそが、これからの介護現場で大きな力を発揮しなければいけない」との思いを強くされたのです。
これが「本物ケア」と銘うった二神さんの「なんでもして差し上げることはない。日本一不親切な親切で、もっと自分でできることを知っていただこう」という不変のポリシーとなったのです。
不親切だが利用者はイキイキする
二神さんが、デイサービスを立ち上げた当初は利用者が集まらず経営が厳しいものでした。それは他の施設が大きく立派な建屋で「至れり尽くせり」のサービスを提供しているのに対し、自分の家と同じような民家で、動くトレーニングをさせられるからです。
それもこれも利用者のためなのですがなかなか理解してもらえずデイサービスの利用者が集まりませんでした。その時の利用者のニーズが「お世話型のリハビリ」だったからだということです。
けど、それはのちのち利用者の自立する機会を奪い、じわじわと寝たきり老人へと誘導する罠でもあるのです。ですので、二神さんは今までの方針を変えることなく「不親切リハビリ」をやり続けました。
けどその「不親切リハビリ」のおかげで今までは自分でお風呂に入れなかった人がお風呂に入れるようになったり、歩けるようになる人がどんどん出てくるようになりました。
これは「お世話型リハビリ」では到底無理です。自分でお風呂に入れるようになった人はなお意欲を持ち、「家族と温泉旅行に行きたい」とか「氷川きよしのコンサート」に行きたいというようになったとのことで、イキイキとした人生を取り戻したのです。
訪問リハビリと訪問看護リハビリ
二神さんは、介護とリハビリにおける問題意識や「本物ケア」を推進する一環として取り組んでこられた「訪問看護リハビリ」についても以下のような問題点があると言います。
それは、利用者からすると、療法士が家に来てリハビリの施術を行うという行為は、はたから見れば単純だけど、そのシステムが実に複雑だという点です。
そもそも訪問型のリハビリは、その設置者や設置要件によって二つに分けられます。それを以下の図でご覧ください。


一つは病院やクリニック、老人保健施設などの医療機関。これを運営するのは医師に限られています。医師の指示のもと療法士が利用者さんの自宅を訪問して施術を行います。この場合の事業種目は「訪問リハビリテーション」と言われます。
もう一つが、民間事業者が運営する「訪問看護ステーション」です。二神さんの創心會もこれに当たります。この施設は法律的に、医師が利用者さんを診断した指示書をもとに、看護師が施術するべきリハビリを、療法士が自宅に訪問して代行するという形になってます。
どちらにしても療法士さんってリハビリのスペシャリストであるにも関わらず「自分がリハビリを担当します」と利用者さんに堂々と伝えることができない立場だということなんですね。複雑です。
利用者さんのお役に立ちたいと、起業した療法士にとっては、民間リハビリ施設の経営者でありながら、「医師の指示が必要」とか「看護師の代行」という制度上の制約があるのです。
それでも二神さんは、この矛盾を抱えながら、「利用者の自立を叶える」という成果をあげ、社会に認知してもらい、結果的に制度を変える空気をつくりだそうと努力されたのです。
実際に、独立開業から10年経ち、「本物ケア」を提供する事業所は20にまで増え、売上は9億円を超えました。この数字が意味するのは、「利用者のニーズ」があるということなのです。
こうなると、療法士という立場が医師や看護師の下に置かれる状況から抜け出し、リハビリ専門職として療法士による「訪問リハビリステーション」をつくることが夢ではないと思えるようになってきます。
ですが、厚生労働省から2006年に訪問リハビリの制度改正という横槍が入ってしまいました。つまり、規制の強化です。「訪問看護7制限」と呼ばれるこの制度改正の中身は、「訪問看護ステーションが行うリハビリの回数に、制限をかけようとした」のです。
当時のマスコミもこの問題を取り上げ「現場の混乱や訪問看護ステーションの経営を危惧する」と報じました。二神さんも記事の中で取材を受け、「利用者のニーズ」に応じてきたことを踏まえ、サービスを心待ちにする利用者の心情も取り上げない制度改正に納得がいかないと訴えました。
そして、規制が実施されたら、療法士自身も多数の失業者を出すことになります。二神さんは「日本における医療制度」に含まれた数々の矛盾点が問題だとして立ち上がりました。
利用者ファーストをめぐって、国と対立
国の容赦ない圧力
二神さんは、霞が関の官僚や永田町の政治家、そして関係団体を巻き込んで、「訪問リハビリ」という利用者にとっての生命線を維持すべく闘いました。
目的ははっきりしています。
- 民間事業者が良質な訪問リハビリサービスが提供可能な制度と環境をつくりだすこと
- 「訪問リハビリステーション」を創設すること
二神さんは宣言文内で「不退転の決意でこれに臨む」と記したのです。ここから3年間にわたる死に物狂いの闘いがはじまったのです。
勝算はあると踏んでいました。なぜなら、看護よりもリハビリの方がニーズが圧倒的に多いことが分かり、結果的にリハビリの数が多くなっていたからです。
看護は重度者のケースで行い、軽度者がそれ以上悪くならないためのサポートはリハビリが担当する。つまり、看護師と療法士の間には、利用者のニーズを踏まえながら、ちゃんと住み分けが利いていたのです。
ですが、制度改正の裏側も知る必要があります。それは「医師、薬剤師、歯科医師、看護師」の既得権です。これらの組織は巨大で絶大な権力を持ち国会議員も輩出しています。つまり、国に向いて顔が利くのです。
それに対して療法士の団体は、そのような力を持っていません。政策立案に対して何も言えないし、審議会で議論することもできないのです。ですので医師・看護師主導の制度改正のしわ寄せが療法士にかかってくるというわけです。
これに対抗するには、療法士も業界団体を作り、業界全体で臨まなくてはいけません。理学療法士協会・作業療法士協会・言語聴覚士協会の3者で集まって協議し厚生労働省に要望書を提出しました。
当初は政治家に頼めば官僚を抑えてくれると思っていたものの、それは霞が関のセオリーに合っていなかったからか、局長クラスの人間は取り合ってくれず、難航しました。
ここで、官僚らを説得するだけの論理と材料が不足していたことにも気づき、厚生労働省という大きな存在に対してあまりにも準備がないまま立ち向かったことを反省しました。
そして思ってもみなかった国税庁からの査察、労働基準監督署からの査察と立て続けに入られ、管轄指導監査課からも指導が入りと三重苦四重苦の日々を送ることにもなりました。まさに国に歯向かうとこうなるの典型といえるでしょうね。
しかもこのときは追徴金だけでなく、重加算税まで取られるという悪夢を見たのです。本当に国家とは怖いものですね。この制度を認めないならさらに締め上げるぞ~と言わんばかりです。
二神さんは、あのときの恐怖をこう語ります。
このときは母親の家や、妻の実家も担当官に張られていました。「スリル満点でしたよ」などと今だから言えますが、生きた心地がしなかった。
母は当時交通事故で脳挫傷を負い、親せきを頼って淡路島で療養中でした。査察官はそんな療養中の家にまで踏み込んできたのです。当時の母は、事故の後遺症で記憶がはっきりしていなかった。そんな母に証言を強要し責め立てました。
母は恐怖で震えていたといいます。父親からはこんな状態を招いてどうするつもりだと、こっぴどく叱られました。私はそのことを聞いて、悔しくて、申し訳なくて涙が止まりませんでした。
本当に、怖いですね。ふつうなら自分の意思を曲げ、腑抜けになってもしかたがないところでありますが、二神さんは踏ん張りました。なぜなら、彼の「本物ケア」を望む利用者さんがいたからです。
けがの功名
いろいろとすったもんだあったけど、この騒動で生まれた「けがの功名」があったといいます。
それは「利用者の増加」です。二神さんは国からにらまれ、万が一「訪問看護リハビリ」が本当に規制されても療法士が仕事を続けられるように、デイサービス施設を集中的につくっていました。
どんなに苦しい状況でも利用者に対し「苦境だ」とひと言も言わず、スタッフには「大丈夫だ」と言い続け、目の前にいる利用者さんを大切にしサービスをしっかり提供するようにと説き続けたそうです。
本来、リハビリの専門職として向き合うべきは行政ではなく利用者です。介護保険制度が始まる前から、地域の在宅ケアを支えてきたプライドがあったからですね。
施設を複数開設した莫大な借金は最大で20億円にまで達したそうですが、背中を押してくれた奥様に励まされ、逆境にあってもリスクを恐れずに立ち上げていき、療法士たちの仕事を守ったのです。
そんな努力が報われる時が来ました。
制度改正の撤回
2009年、二神さんが開いたセミナーでのこと。厚生労働省の担当課長補佐が壇上で「私たちのやり方が間違っていました。取り組んできた制度改正は撤回させていただきます」と切り出したのです。
この瞬間、セミナー会場は喜びの声で沸き返りました。二神さんの長い間かけて政治家や官僚、関係団体の長と折衝してきた苦労が報われたのでした。
このことは、全国で訪問看護リハビリを受けていて、今後自分はどうなるのかを不安を抱えていた利用者さんにとっても喜ばしいことなのです。
経営者としては利用者の要望を変わりなく受けることができ、目の前のスタッフの雇用を守ることができ安心したけれど、同時に対霞が関、対永田町という目標もできたのだから、その対応も始めないといけないと気を引き締められたのでした。
そして残念なのは、「制度改正の見送り」を勝ち取るまでに、厚生労働省に目をつけられていた14業者のうち5業者が脱落してしいきました。
そして「全国PT(理学療法士)・OT(作業療法士)・ST(言語聴覚士)民間業者連絡協議会」は、50社ほどありましたが、その中から1割は廃業してしまい、二神さんにとって相当にショックなことだったということです。
もっと広い視点で利用者を支える
二神さんは、制度と向き合うことは大事だけど、これからの高齢者のあり方を踏まえ、在宅インフラを強化するしくみを整えなければならないと考えています。
日本には、「2040年問題」と言われる社会課題があります。2040年には、後期高齢者が高齢人口の3割近くになり、この高齢世代には就職氷河期に安定した収入を得られていない人も多く困窮化孤立化も予想されるのです。
しかも現役世代の人口減も重なり、予想では1.5人の現役世代で1人の高齢者を支えなければならない予測も出ています。そのうえ2040年の社会保障給付費の総額が190兆円で、これは2018年の1.6倍になると試算されています。
これでは、現役世代に負担が大きくなり、とても支えきれないのではないでしょうか。
2040年問題は「高齢者と現役世代の均等の限界」だけでなく「東京圏と地方の人口不均衡」の問題もはらみます。つまり地方から現役世代の流出が一層進むということです。
ここで、二神さんが考える「本物ケア」が真価を発揮するのです。増大する社会保障給付費を抑えるためには、医療依存度の高い患者も在宅医療に移行していく必要があります。
「包括ケアステーション」構想!
「包括ケアステーション」とは、療法士、看護師、ケアスタッフなどあらゆる専門職が在籍し、地域のかかりつけ医たちと連携し、その医師の包括的な支持のもと、必要な専門職が必要とする利用者に対しサービスを提供するというものです。
その領域は、従来の看護や訪問リハビリの提供にとどまらず、地域の他事業所の多職種と協働することで、就労、教育、社会的リハビリなどの幅広いニーズにも対応するというしくみです。
かかりつけ医、看護職と療法士が綿密に連携して訪問できる資源が地域に存在することで、医療機関側も安心して在宅への移行を促進できるという考えです。



この考え方を見て思ったのですが、現在のコロナ禍で病床がひっ迫していますし、このような介護・看護・リハビリのスタッフがいつでも駆けつけるというしくみができると長患いの患者さんも安心できるし、医療スタッフの負担がかなり軽くなるのではないでしょうか?
これは、訪問看護ステーション、訪問介護ステーション、栄養ステーションなど、今までは分かれていたしくみを作り変えることで、地域生活における複合的な課題が解決し、地域共生社会が実現できる第一歩になるということですね。
そして、自立支援を基本とする「本物ケア」をより高い次元で提供できるしくみと二神さんは自負しています。そしてこの構想を制度化しようと2009年以降精力的に活動されてきました。
ところが2017年の給付費分科会におけるヒアリングで、日本作業療法士協会の会長を通じて、国に案を投げかけたのですが、見事に医師を頂とする団体に潰されてしまったのです。
2020年には、また制度改定の波が襲ってきたのです。2006年に続き療法士業界が狙い撃ちになりました。介護保険の開始以降、療法士の存在はある意味では医療業界で認められていたのですが、そこから徐々に医師会や看護協会からの巻き返しが起きたからでした。
せっかく10年ほど前に療法士出身の政治家を二人出したのに前回の選挙でどちらも落選。問題の根である制度の歪みにメスを入れられなかったのです。
つまり、2006年時点からあった療法士の地位の向上を成し得なかったということになります。
そこで攻撃されたのが「リハビリ専門職が多くを占める訪問看護ステーション」。本来の訪問看護ステーションに期待される役割(医療ニーズのある重度の要介護者の在宅医療を支える)とは逆の方向に動いていると問題視されたということでした。
2006年のときは「リハビリと看護の利用回数」、今度は「看護師の比率に対して療法士の比率を下げろ」と締め付けてきたのです。「人員比率適正化」とは聞こえはいいですが、誰にとっての適正化なのでしょうね。
しかし実際、利用者の立場から考えたら、自分のなじみのかかりつけ医の直接指示で療法士が動いてくれた方がメリットが大きいはずです。これが二神さんがこれまでやってきた「訪問看護ステーション」のしくみなのです。
これに対し、医療機関で訪問リハビリを受けようとしたら、まずかかりつけ医から訪問リハビリを提供する医療機関の医師に情報提供書を発行し、それを受けた医師から所属する療法士に対してリハビリの支持を出すのです。
でも、訪問リハビリを提供する医療機関の医師も情報提供書のみで指示を出すのは不安ですから、自身でも診察をしなければいけません。ですので、元々身体が動かなくて訪問リハビリを受けなければいけないような利用者でも、その先生のところまで診察を受けに行かなくてはいけないのです。
これは大変な負担ですし、面倒な手間や余計な診療費もかかります。また、かかりつけ医は、他の医師に自分の患者を取られるのではないかという不安があるため情報提供書を発行したがらないのです。
このあたりのことはあまり表には出ませんが、医療界のブラックボックスとして存在すると言います。だから、厚生労働省のおす「訪問リハビリ」より、二神さんらが行っている「訪問看護ステーション」の方が現実的で利用者の負担も軽いし、実際提供している訪問数としても圧倒的に多いのです。
障害者や精神疾患の人にも対応
「訪問看護ステーション」からの訪問看護リハビリは、素晴らしい要素がたくさんあり、リハビリの対象は、高齢者だけではなく精神疾患を持つ人やALSなどの難病の人、脳性麻痺の人、子どもの障害者も含まれるということです。
このような利用者にも訪問できるのは、介護保険ではなく医療保険です。訪問看護リハビリは、介護保険だけでなく医療保険の診療報酬からも訪問できるというハイブリッドなのです。だから使いやすく広がっているのです。
さらに作業療法士は、精神の機能の回復に長けていて精神障害者の在宅支援や社会復帰には大きな強みがあるといいます。ですので、そこに医師会や看護協会からの圧力で、療法士の人数制限をかけてしまうと、高齢者のみならず障害者や難病の人たちのケアもできなくなってしまいます。
そして、精神疾患、難病、小児領域のリハビリに対応できる医療機関はごく限られているため、訪問リハビリが実施できる事業所はさらに少なくなるのです。
つまり、利用者の立場に立つと医療機関の訪問リハビリは使いにくいということなんです。これにより訪問看護リハビリへのニーズが圧倒的に多いのです。だからこのような実態を把握せず勝手に制限をかけるのは必ず弊害が出ます。
問われる療法士の意義
医療機関からの訪問リハビリが普及しないのは、先ほどの地域のかかりつけ医と医療機関の構造上の問題があるからです。それでも制度改正の流れは、医療機関からの訪問リハビリをおしすすめる方向に向かっているそうです。
このようなことしても先がないのは見えているのですが、厚生労働省では「生活期のリハビリは、介護職に機能訓練をやらせる」という信じられない言葉を発しました。
つまり、リハビリを介護職の一つとして集約化するということなのです。ということはリハビリの専門職である療法士を介護職としても扱おうということを意味します。
この背景には、医療費削減政策のため病院での入院日数がどんどん短くなっていることがあります。つまり患者は、自立度の低い、何とか立ったり歩いたりできるような状態で早々と退院させられるのです。
しかし、多くの高齢者は退院し自宅に帰っても、今後の人生を自立して送れるかどうかを左右する岐路に立っていることに気づきません。これまで病院で受けていた❝してもらう❞リハビリを自宅でも受けたいという「リハビリ依存」の状況にあるのです。
だからこそ在宅に関わる療法士が、急性期・回復期から連続してリハビリを受ける流れを認識したうえで、生活期のリハビリへと、患者をソフトランディングさせていくサポートが欠かせない、つまり療法士に依存した状態から自立を促していくのです。
顔を洗う、歯を磨く、服を着る、トイレに行く。利用者自身に自宅の中で生活を組み立ててもらい、その動作機能を一緒にリハビリしていくのです。そうして自宅の中での生活が安定すれば、次に家庭や地域の中に自分の居場所や役割を見出していくようにするのです。
制度改定の議論で問われるのは、生活におけるリハビリのあり方なのです。二神さんたちは、その目的を明確にし、リハビリ全体のグランドデザインのなかでしっかり意見をしなくてはいけないとしています。
トータルケアサービスを目指して
2006年、2021年における制度改定問題は、創心會に大きな契機をもたらしたそうです。「本物ケア」の果たせる役割を介護というフィールドを超えて見つめ直し、多方面へとその可能性の種をまかせたと言います。
今後、創心會が目指すのは、高齢者だけでなく障害者も含めて、「子どもから高齢者まで」のトータルケアなのです。2015年に障害を持つ児童対象の「児童発達支援」の4デイサービスをつくりました。
これは知的障碍者の兄弟姉妹がいる若手スタッフが「児童を対象としたリハビリをやりたい」と企画申請して実現しました。午前中は未就学の子が通い、午後は学校を終えた子たちが集まります。発達に応じた療育を行い、進学や就労の支援を目的にしているのです。
子どもたちには、年齢の発達に合わせたプログラムにより社会性を獲得してもらうのです。障害を持つ子供は学校へ行っても集団活動になじめなかったりするので、医学知識を持ったスタッフがしっかりとサポートしていく必要があります。
子どもの中には肢体不自由な子であったり、心身に重い障害を抱えている子であったりするケースがあります。その場合は早い段階から保護者、学校と連携を図っています。
そして、障害ある子どもを持つ親が心配なのが、「自分がいなくなったら、この子はどうなるだろうか?」です。そうした不安を解消するための構想を創心會は作っていきたいとしています。


『本物ケア』の感想・まとめ


老後も自立した生活を送りたいなら心得ておきたい大事なこと。
わたしの個人的な感想と考えですが、二神さんの「本物ケア」のあり方に強く共感させられました。高齢者でも自分のことは自分でやりたいと考えている方は多く、わたしの親もそのように毎日を過ごしています。
本書の中で、「手厚い介護が寝たきりをつくる」というなんとも皮肉な結果に驚く方もいるとは思いますが、この考えはかなり昔からあった考え方だとしています。
たとえば、バリアフリーな家に住みたいと、老後を機に自宅をリフォームする人が多いですが、かえって体の老化を早めてしまうと近年いわれています。
ここで興味深い表をお見せします。


この表は、寝たきり高齢者の比較図で圧倒的に日本が多いことが分かります。日本は国民皆保険による長期入院が可能な国です。他国では社旗保証制度が充実していないので医療費は全額自己負担となります。それにより病院などでの治療期間は極力短くし在宅療養するのです。
先ほどのバリアフリーな家に長期入院となると体の負担という点では何も負担ではありませんが、だんだんと体の基本動作でさえも運動能力が落ちていくのです。
こうなる前に多少の運動をしていつでも動ける体にならなければいけないとわたしも思いますし、そういう世の中になっていかなければ、日本の医療費にかかる負担はこれからも増え続け、せっかくの世界に誇れる「国民皆保険制度」が破綻してしまうかもしれないのです。
このあたりで医療制度も大幅に見直さなきゃいけないだろうと思いますが、医師会、看護師協会は既得権を守るにとどめるのなら、ちょっと残念な気持ちになりますね。
今ここでこのようなことを言ったところで焼け石に水だろうと思いますが、やはり言わなきゃ何も動かない気がしますので、このような声をもっともっと大にすべきだと思いました。
とにかく、医療介護の現場は大変です。利用者・医師(看護師)・療法士が三方よしとなれる制度になりますようにと願うばかりです。
『本物ケア』の概要


本書の目次
『本物ケア』
はじめに
第1章 不親切こそ親切なり
第2章 徒手空拳
第3章 VS偽物ケア
第4章 理不尽な制度改革との闘い
第5章 制度改革のなかでも貫く
おわりに
著者の紹介
二神雅一(ふたがみ・まさかず)
株式会社創心會 代表取締役。作業療法士、介護支援専門員。
1965 年生まれ、愛媛県出身。
作業療法士養成専門学校を卒業し、精神科病院で作業療法士として勤務。
その後、リハビリは病院などの医療機関で行うことが当たり前だった時代に、民間企業で訪問リハビリの取り組みを始める。
1996 年に創心会在宅ケアサービス(現:株式会社創心會)を創業。
退院後のリハビリが十分に行き届かず次第に悪くなっていく寝たきり高齢者が多くいることに問題意識をもち、介護とリハビリを融合させた「本物ケア」を確立。
現在は、訪問・通所・入所サービスを展開し、岡山県を中心に36 拠点75 事業所(2021 年4 月時点) をもつ。
さらに日本の在宅医療・介護の在り方を見据え、農福連携による就労支援や、障害児の発達支援をはじめ、常に新たな取り組みに挑戦し続けている。


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