
こんにちはコウカワシンです。
今回は岡本太郎(おかもと・たろう)さんの著書『自分の中に毒を持て』から学ばせていただきました。
『自分の中に毒を持て』はどんな本?


『自分の中に毒を持て』は、ズバリ!「自分の殻を破るためのマインド」を育てる本です。
本書の内容
“才能なんて勝手にしやがれだ”
“だめ人間なら、そのマイナスに賭けてみろ”
本書の著者であり大芸術家の岡本太郎(おかもと・たろう)さんの遺した作品と言葉は、今でもわたしたちに鋭く問いかけています。
そんな瞬間を生き抜く、岡本太郎のパッションは、強い力をもって今を生きるわたしたちの生命にズシンと響くのです。
岡本太郎さんの人生は、はた目から見れば常識人間のそれとは違っていると映りますが、それがいったい何なのでしょう?
岡本さんの歓喜と驚きに満ちた人生を、あらためてつかみとることは今のわたしたちに必要なことなのかもしれません。
本書のターゲット
『自分の中に毒を持て』のターゲット
- 新しい時代を切り開いてみたい人
- これまでの常識やしがらみで前に進めない人
- 何か自分に自信が欲しい人
『自分の中に毒を持て』の要点は?


第一章 意外な発想を持たないとあなたの価値は出ない
自分の大間違い
自分らしくある必要はない。むしろ“人間らしく”生きる道を考えてほしい。“忠実”という言葉の意味を考えたことがあるだろうか。忠実の“忠”とは〈まめやか、まごころを尽くす〉ということだ。自分に対してまごころを尽くすというのは、自分にきびしく、残酷に挑むことだ。
つまり自分自身の最大の敵は他人ではなく自分自身というわけだ。自分をとりまく状況に甘えて自分をごまかしてしまう、そういう誘惑はしょっちゅうある。だから自分をつっぱなして自分と闘えば、逆にほんとうの意味での生き方ができる。
“モノマネ”人間には何も見えない
食えなけりゃ食えなくても、と覚悟すればいいんだ。それが第一歩だ。その方が面白い。
みんな、やってみもしないで、最初から引っ込んでしまう。
それでいてオレは食うためにこんなことをしているが、ほんとうはもっと別の生き方があったはずだ、と悔いている。いつまでもそういう迷いを心の底に圧し殺している人がほとんどだ。
ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶようにしている。誰だって人間は弱いし、自分が大事だから、逃げたがる。頭で考えて、いい方を選ぼうなんて思っていたら、何とかかんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。
かまわないから、こっちに行ったら駄目だ、と思う方に賭ける。
一度死んだ人間になれ
何か、これと思ったら、まず、他人の目を気にしないことだ。また、他人の目ばかりではなく、自分の目をきにしないで、萎縮せずありのままに生きていけばいい。
これは、情熱を賭けられるものが見つからないときも大切だ。つまり、駄目なら駄目人間でいいと思って、駄目なりに自由に、制約を受けないで生きていく。
そうすれば、何か、見つけられるチャンスがおのずからひらけてくる。
“捨てる主義”のすすめ
計画性なんていうことにこだわらず平気で捨ててみて、つまらなかったらやめればいい。途中放棄しても、放棄してしまったことは余り考えない。
日記を書きたい、書こうと思ったら、つづくかつづかないか、よりも書こうと思ったことの方が大事で、それをつづけなければならないと義務に縛られて書く必要はない。
わが人生、他と比較して自分をきめるなどというような卑しいことはやらない。ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、わき目もふらず突き進むだけだ。
らくに生きる人間は何を考えているか
自信はない、でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。
意志を強くする方法なんてありはしない。そんな余計なことを考えるより、ほんとうにやりたいことに、全身全霊をぶつけて集中することだ。
第一章は岡本太郎節がさく裂!
「危険な方に賭ける」とは、常人ではとてもできないことです。
しかし、人と同じことをやってるだけではただのモノマネに過ぎないし、可能性があるならチャレンジしてみる価値がありますよね。そのために必要なのが「情熱」だということです。
皆様にお聞きしたいのですが、「情熱」を賭けて取り組んでいらっしゃることはありますか?「ある」とお答えになられる方はとても充実した毎日を送られているのではないでしょうか?
岡本氏がいうように「とにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。」は、なんだか熱い血潮が湧き上がる心持になります。
このような感覚が唯一無二の作品の数々を創り出す原動力になったのでしょうね。
第二章 個性は出し方 薬になるか毒になるか
“爆発”発想法
ぼくはかつて、「出る釘になれ」と発言したことがある。誰でもが、あえて出る釘になる決意をしなければ、時代はひらかれない。
ぼく自身は前に言ったように、それを貫いて生きてきた。確かに辛い。が、その痛みこそが生きがいなのだ。
道は一本か、十本か
人間だれでもが身体障碍者なのだ。例え気取った格好をしてみても、八頭身であろうが、それをもし見えない鏡に映してみたら、それぞれの絶望的な形でひんまがっている。
しかし人間は、切実な人間こそは、自分のゆがみに残酷な対決をしながら、また撫でいたわりながら、人生の局面を貫いて生き、進んでいくのだ。
正義の裏・悪の裏
純粋に強烈に生きようとすればするほど、社会のはね返しは強く、危機感は瞬間瞬間に鋭く、目の前にたあらわれるのだ。
いつでも「出る杭は打たれる」。
だからといって気を遣って、頭を引っ込めてしまっては、人間精神は生きない。
逆に打たれなければ。「打ってみろ」と己をつき出す。打たれることによって、自他をひらくのである。ますます拡大して爆発できる存在になれるのだ。
成功は失敗のもと
俗に“失敗は成功のもと”という。そんな功利的な計算ではなく、イバラの道に傷つくことが、また生きるよろこびなのだ。通俗的な成功にいい気になってはならない。
むしろ“成功は失敗のもと”と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている。
世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。
一応世間体もよく、うまくはいくかもしれないが、ほんとうに生きているのではない。流されたままで生きているにすぎない。
激しく挑みつづけても、世の中は変わらない。しかし、世の中は変わらなくても自分自身は変わる。
世の中が変わらないからといって、それでガックリしちゃって、ダラッと妥協したら、これはもう絶望的になってしまう。そうなったら、この世の中がもっともっとつまらなく見えてくるだろう。
だから、闘わなければいけない。闘いつづけることが、生きがいなんだ。
第二章は熱い言葉の数々!
これは岡本氏から若い人たちへのメッセージだと思います。
というのもインドの古い石板に書かれた言葉に「近ごろの若いものはだらしがない、嘆かわしい限りだ」と書かれていた話を引用され、
大昔から、若者はいつもそういう疑わしい目で見られてきた。
若者はなんといっても純粋だ。ケガレない目で世界を発見し、己を主張してきたいのに通すにはどんなに障害があることだろう。大人の社会だって不純で複雑、タテマエと本音が交錯し、ねじれあい、奇経だ。だから若者が率直な意見を口に出せば「なんだ青二才が」とガツンとやられてしまう。
行動しようとしたら憎まれ、卑劣な妨害もされるだろう。その結果、若者は絶望して何も言えなくなってしまう。
と若者の立場になり熱意ある温かい言葉でエールを送られているとわたしは感じます。
第三章 相手の中から引き出す自分 それが愛
愛の伝え方を間違えると
初恋は一つの卒業なんだ。
誰でも初恋を経験して大人になる。さめてしまえば、なぜあんなに熱病みたいに悩んだのだろうと思う。それは大人になった嬉しいような悲しいような証拠でもあるんだ。
近頃の若者は、セックスも開放的だとも言われているが、スラっとなめらかに行くことが必ずしもいいとはかぎらない。
ギクシャクしたり、自分が引き裂かれたような、熱く、苦しい思い、そういう情熱の混沌を体験することは、かけがえのない青春のアカシと言ってもいい。
ぼくは、結婚という形式が好きじゃない
男と女の関係は、証明書を登録し、形式的にワクにはめられるものでは、ない。
一人の男性は、すべての女性にとって、友達であり、影響を与え合う存在であるし、一人の女性は、すべての男性にとって、つながりうる存在であるはずなのだ。
しかも、男の存在のしかた、女の存在のしかた、その双方がむすびついて、初めて、広がりのある“世界観”が形成されると思う。
形式的に結婚というかたちで、男と女がたがいに他をしばりあう。
2DK、3DKと、小さな境界線を立て、けちくさい空間、スペースに自らをとじ込める。
これは卑しい考えだ。
第三章は岡本氏の恋愛観
愛情というのは理屈ではないということなんですね。
すべては経験して、その経験途中にある心の動きそのものが「愛情」というのだと感じました。
岡本氏は「結婚」という縛りにも否定的です。この意見に賛否両論だと思いますが、わたしは岡本氏の「恋に落ちる男と女はしぜんの成り行き」的な考えに賛同します。



ただ、私は「常識人間」なので「結婚」を否定はしません(笑)
第四章 あなたは常識人間を捨てられるか
きれいになんて生きてはいけない
感じうるセンシーブルな人にとって、芸術はまさに血みどろなのだ。
最も人間的な表情を、激しく、深く、豊かに打ち出す。その激しさが美しいのである。高貴なのだ。美は人間の生き方の最も緊張した瞬間に、戦慄的にたちあらわれる。
頭を遊ばせて世の中を見てみよう
芸術と言っても、何も絵を描いたり、楽器を奏でたり、文章をひねくったりすることではない。
そんなことはまったくしなくても、素っ裸で、豊かに、無条件に生きること。失った人間の原点をとりもどし、強烈に、ふくらんで生きている人間が芸術家なのだ。
“爆発”の秘密
ところで一般に「爆発」というと、ドカンと大きな音が響いて、物が飛び散り、周囲を破壊して、人々を血みどろにさせたり、イメージは不吉でおどろおどろしい。が、私の言う「爆発」は全く違う。音もしない。物も飛び散らない。
全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。
自分を笑ってごらん
ぼくはエキスポ70にさいして、中心の広場に「太陽の塔」をつくった。およそ気取った近代主義ではないし、また日本調とよばれる伝統主義のパターンとも無縁である。逆にそれらを告発する気配を負って、高々とそびえ立たせた。
孤独であると同時に、ある時点でのぎりぎりの絶対感を打ち出したつもりだ。それは皮相な、いわゆるコミュニケーションをけとばした姿勢、そのオリジナリティこそ、一般を強烈にひきつける呪力があったのだ。
むなしさの生みの親
先日、岐阜県中津川市の知人から「風流踊り」を復活した話を聞いた。何百年も絶えた祭りをたった一枚の古絵図をたよりに復元しようと町ぐるみで燃えた。
衣装も道具も楽器も、みんな手作りで揃え、三百人をこす人々が躍った。大成功、壮観だったそうだが、その人は祭りの当日より、実はみんなで知恵と労力と情熱を持ちより、苦労して手さぐりで準備しているとき、つくりあげていく過程がほんとうに生きがいだったと目を輝かせて話していた。
そうなんだ。それが祭りだ。無償の爆発。
あなたは何に燃えたいか
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。
死ぬもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。
一人ひとり、になう運命が栄光に輝くことも、また惨めであることも、ともに巨大なドラマとして終わるのだ。人類全体の運命もそれと同じようにいつかは消える。
それでよいのだ。無目的にふくらみ、輝いて、最後に爆発する。平然と人類がこの世から去るとしたら、それがぼくには栄光だと思える。
第四章は「自分の中に毒を持て」の本音
これは岡本氏から私たちへの問いであり、私たちへ「変革」をうながすためのメッセージだと感じました。考えてみれば「人間の一生」なんてほんの数十年です。
その短い一生のうち、どれだけ「爆発」したか?
そもそも「常識」なんて今現在の価値観でしかありません。「常識」という小さな殻の中でおとなしくしているか・・・。それとも「自分の思うまま」・・・心の叫びとともに瞬間瞬間を全身全霊で注力するか。
もし失敗だったとしても、それが「自分の思うまま」に従った結果なら、結果が失敗でも自分の心の中に盛り上がりができるに違いありません。
それが生きる「パッション」です。
『自分の中に毒を持て』の感想・まとめ


本書を読むのは2回目です。
今回読み返してみて前回では気づかなかった部分も理解できたと思います。そして印象も変わるものですね。それまで私が知る岡本太郎氏はやはり「普通の人」ではないなあといった感じでした。
ちょっと風変わりなおじさん、って思っていて、芸術家とはこういう人なんだなと。けど、本書に触れ、まったくといっていいほど岡本太郎像なるものが変わりました。
岡本氏は「芸術とは人間」とおっしゃられています。そうなんですよ。人間の営みそのものが「芸術」なのであって、みんな「美しい」のです。
どんなことでも全身全霊傾けられる人は「美しい」のです。その部分に意識をすれば、私もまた「美しい」人生を歩めそうな気がしました。
題名の「自分の中に毒を持て」とか副題の「あなたは“常識人間”を捨てられるか」だけを見ると、危ない本かと変な想像をしてしまいます。
本書は「自立した人間」を目指す人にとって強力なバイブルだと感じます。自立した人間とは、自分の信念を曲げず、真剣に自身に向き合い、取り組むべきことに全身全霊を賭ける人物です。これにより自分が本当に生きていると手ごたえを持つことができるのではないでしょうか。
長い人生、迷うことはたくさんあります。岡本氏のように「危険な道」を選ぶ・・・常識ではできないことですが、できないことをやることにより、違った景色を見れるということもあるでしょうね。
たとえ、他人にバカにされようが、けなされようが、笑われようが、かまわない。自分自身の生きるスジは誰にも渡さない!こんな気持ちになりたいなら読む価値のある一冊です。
『自分の中に毒を持て』の概要


本書の目次
『自分の中に毒を持て』
第一章 意外な発想を持たないとあなたの価値は出ない
第二章 個性は出し方 薬になるか毒になるか
第三章 相手の中から引き出す自分 それが愛
第四章 あなたは常識人間を捨てられるか
著者の紹介
岡本太郎(おかもと・たろう)
芸術家。
1911年生まれ。
1929年に渡仏し、30年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参画。
パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。
1940年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。
1951年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。70年大阪万博で『太陽の塔』を制作し、国民的存在になる。
1996年没


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