
こんにちはコウカワシンです。
今回は、岸見一郎(きしみ・いちろう)さん/古賀史健(こが・ふみたけ)さんの共著『嫌われる勇気』から学ばせていただきます。
『嫌われる勇気』はどんな本?


『嫌われる勇気』は、ズバリ!「自由な人生を送るためのスキル」を知るための本です。
本書の内容
本書は、フロイト、ユングと並ぶ心理学界の三大巨匠、アルフレッド・アドラーの「アドラー心理学」にスポットを当て、対人関係に悩み、人生に悩むすべての人に贈る、「まったくあたらしい古典」です。
本書では、簡単にアドラーの教えを伝えるため、「哲学者」と「青年」の対話篇形式によってその思想を解き明かされています。
「トラウマ」の存在を否定したうえで、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言し、対人関係を改善ていくための具体的な方策を提示していくアドラー心理学は、現代の日本にこそ必要な思想だといわれています。
本書のターゲット
『嫌われる勇気』のターゲット
- アドラー心理学を知りたい人
- 対人関係に悩む人
- 社会に自分の居場所がないと感じる人
『嫌われる勇気』の要点は?


本書では、哲人と呼ばれ「世界はどこまでもシンプルであり、人は誰でも幸せになれる」と説く哲学者とその意見に納得のいかない青年との対話形式で「アドラー心理学」について解説しています。
トラウマは存在しない
アドラー心理学において「過去の出来事においてトラウマは存在しない」
トラウマとは「心的外傷」のことで、外的内的要因による肉体的及び精神的な衝撃を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指すそうです。
ですが、アドラー心理学においてトラウマと思われるものは、過去の「原因」ではなく、今の「目的」がそうさせるということなのです。
本書で引きこもりを例にあげてますので沿って説明します。
何年も自室に引きこもっている男がいる。彼は外に出たいと願っている。つまり、今の自分を「変えたい」と思っている。しかし、部屋から出るのは恐ろしいし、一歩でも出ると動悸が始まり手足が震える。これは一種の神経病だ。だから変わりたくても変われない。なぜ出られないかの理由は学校職場でいじめられたとか親からの虐待などにより起こった「過去のトラウマ」に原因があるのかもしれない
アドラー心理学では、過去のトラウマによる原因ではなく、今の目的に拒否反応を示すと考えます。
どういうことかというとこの男は「過去の出来事」を原因トラウマという形で都合よく外出したくない目的のためにしているのです。
言いかえれば、「人はいろいろと不満はあったとしても「このままの自分」でいる方が楽であり、安心」と考えているのです。
そんな自分を「変えたい」のであれば「今のライフスタイルをやめる」しかありません。
「トラウマは否定せよ」のポイント
“過去に何があろうと、それは今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない、それは自分の意志が決めること。”
それをアドラー心理学における「目的論」と言います。
コンプレックスを排除せよ
アドラー心理学の概念「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」
本書ではこう説いてます。
「個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みというものは存在しない」
なぜなら、
「どんな種類の悩みであれ、そこにはかならず他者の影が介在している」
という理由からです。
それには他人との差、劣等感とか劣等コンプレックスが多いに関わっています。
劣等感とは、主観的な思い込み。
劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のこと。
われわれを苦しめている劣等感は「客観的な事実」ではなく、「人から見てどう見えるかなあ?」と自分自身で解釈してしまうことなのです。
言いかえると「勝手な思い込み」で他人から見たら何でもないことをひとりで苦しんでいるのです。
しかし、劣等感にも良いところはあります。
それは「優越性の追求」です。
「向上したいと願うこと」「理想の状態を願うこと」は優越性の追求です。
心配なのは劣等コンプレックスです。
それというのも「私は〇〇だから✕✕ができない」という思想を持ってます。裏を返せば「〇〇さえなければ、わたしは有能であり価値があるのだ」と言外に暗示しているのです。
その劣等コンプレックスが歪曲していきつくと優越コンプレックスになります。
優越コンプレックスとは、あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感にひたるのです。
例えば、「権威づけ」がそうです。
「有名人と知り合いである」とか「10本の指すべてに指輪をつけている」と人目に付く行為をしている人などは権威の力を借りて自らを大きく見せている可能性があり、その根底には劣等感があります。
もちろんそれは悪いことではありません。けど、権威の力を借りて自らを大きく見せている人は、結局・・・他者の価値観で生き、他者の人生を生きているのです。
優越コンプレックスでなく「優越の追求」をするにはどうしたら良いか?
それは、誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいのです。
なぜなら、健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるからです。
このことから劣等コンプレックスも優越コンプレックスも他人との比較で起こります。
対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができません。
いきつくは「復讐」です。
われわれは誰もが違っています。性別、年齢、知識、経験、外見、まったく同じ人などどこにもいません。他者との違いがあることは積極的に認めなければいけません。
しかし、我々は「同じではないけど対等」なのです。
「すべての悩みは対人関係」のポイント
- 健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれる。
- われわれは「同じではないけれど対等」
自分の課題にのみフォーカスする
われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」
ユダヤ教の教えにこのようなものがあります。
「自分が自分のために自分の人生を生きないのであれば、いったい誰が生きてくれるのだろうか」
他者から承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると他者の人生を生きることになります。
逆もあります。
他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」という事実です。
つまり、どういうことかというと「何か良いことをしたわたしを誰も褒めてくれない、認めてくれない」という状態です。
「良いことをした」充実感に喜びを感じるのではなく、「良いことをした自分を誰も見てない、褒めてくれない、認めてくれない」不満から悲しみ、苦しみを覚える状態・・・これを「承認欲求」というのですよね。
そこで必要なのが「課題の分離」です。
「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離する必要があります。
なぜそのような考えが必要なのかと言えば、およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと・・・あるいは自分の課題を他者に土足で踏み込まれることから引き起こされるからです。
それには「課題の分離」が必要であり、きちんと分離されているだけで対人関係は激変すると考えられます。つまり、キリの良いところで割り切れる考えが大事なのです。
そうすることにより、他者の目から「自由」になれるのです。
アドラー心理学では
「他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。
と説いています。
つまり「嫌われる勇気」ということで、本書のキモなのです。
「他者の課題を切り捨てる」のポイント
- 「承認欲求」を持つことは他者の人生を生きることである。
- 対人関係の悩みは「自分の課題」と「他者の課題」を分けること。
- 自分の生き方を貫くには他者から嫌われる覚悟を持つこと。
自分の居場所を確保せよ
前項で「課題の分離」を確認できました。
しかし対人関係というものはここからがスタートなのです。スタートにはゴールがあります。対人関係のゴールとは「共同体感覚」なのです。
「共同体感覚」とは、
他者を味方だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること
「共同体感覚」として近いところで思いつくのは、家庭、学校、職場、地域社会といった枠組みですよね。
アドラーではそれのみならず「国家や人類」「過去から未来」「動植物や無生物」まで含まれると説いています
これは社会全体ということですよね。では、どのようにして「共同体感覚」を得ればいいのでしょうか?
それには守るべき認識があります。
それは次の通り
- 自分は共同体の一部であって、中心ではないという自覚
- 共同体に対して自らが積極的にコミットする認識
- 対人関係において「縦の関係」ではなく「横の関係」を築く
対人関係において「縦の関係」ではなく「横の関係」を築くというのはとても大事なことで、そもそもの劣等感は「縦の関係」から生じる意識、あらゆる人に対して「同じものではないけど対等」という「横の関係」を築けば劣等コンプレックスが生まれる余地がなくなります。
居心地の良い「共同体感覚」はこのようにして得られるということなんですね。
「世界の中心はどこにあるか」のポイント
- 世界の中心は自分ではない
- 対人関係のゴールとは「共同体感覚」
- 対人関係において「縦の関係」ではなく「横の関係」を築く
「今」を充実させる思考
「大切なのは何が与えられているかではなく与えられたものをどう使うかである」
われわれは「自分」という容れ物を捨てることも交換することもできません。
大切なのは「与えられたものをどう使うか」です。
いわば「自分」の立ち位置でどのように行動するかです。
それには「自己の執着」を「他者への関心」に切り替え「共同体感覚」を持てるようになることです。
そこで必要になるのが「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」の3つです。
「自己受容」とは「自己肯定」のようにできもしないのに「わたしはできる」などと自らに嘘をつくことではなく、「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。
「他者信頼」とは他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことです。
「他者貢献」とは仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献することです。
「共同体感覚」において自分の立ち位置、すなわち「わたしは共同体にとって有益である」と感じれる感覚」が幸福であり、幸福とは貢献感なのです。
そして「いま、ここ」を真剣に生きるとはですが、
人生とは、連続する刹那であり、われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない
ということを自覚しなくてはいけません。
例え、人生をかけた目標があったとして「達成する・達成しない」に関わらず注力した時間と熱意は真剣だったはずです。
人生とは、今この瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです。
このように「いま、ここ」が充実したら人生の意味がわかりかけてくると思います。
それをできるのは結局「自分」なのです。
「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」
これを昇華した言葉がこれです。
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ、「わたし」によってしか変わりえない
「いま、ここ」を真剣に生きるのポイント
- 自分の立ち位置を認識するため「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」を意識する
- 「いま、ここ」を充実させる
- 人生の意味は自分自身が与える
『嫌われる勇気』の感想・まとめ


最初に本書を手に取った時はあまりにも過激な題名に恐れおののきましたが読んでみるとこれがすごく面白い!
哲人と青年との会話はまさに「静」と「動」。最初の意見の食い違い方なんていうのは「水」と「油」か?
なんて思いました。
日常、意見の食い違いなんてよくあることだけど、お互いのどちらかが相手のペースに乗らずに対話できれば、このような生産的な会話ができるのだと勉強になりました。
「相手のペースにはまる」・・・これだって立派に相手の人生を生きていることになるんです。
自分の人生の主導権は自分が握らなきゃ!
そんな感じで過ごしていきたいですね。
人は変われるんです。変われないのは「変わりたくない自分」がいるからです。
私は人に対して説明下手で商談とかはなるべく他の人に代わってもらい自分は実務に専念していました。
けど、「自分は説明下手である」という意識は都合よく避けるための「言い訳」及び「目的」であったなあと思いました。
少々、苦手意識があるとか対人関係でいろんな悩みがある方はぜひ読んでみてください。
『嫌われる勇気』の概要


本書の目次
『嫌われる勇気』
- トラウマはを否定せよ
- すべての悩みは対人関係
- 他者の課題を切り捨てる
- 世界の中心はどこにあるか
- 「いま、ここ」を真剣に生きる
著者の紹介
岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ。
京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。
専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。
日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。
古賀史健(こが・ふみたけ)
株式会社バトンズ代表。ライター。
1973年福岡生まれ。
書籍のライティング(聞き書きスタイルの執筆)を専門とし、ビジネス書やノンフィクションの分野で数多くのベストセラーを手掛ける。
2014年、「ビジネス書ライターという存在に光を当て、その地位を大きく向上させた」として、ビジネス書大賞2014・審査員特別賞受賞。




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