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【要約】『反応しない練習』(あらゆる悩みが消えていく考え方を学ぶ)

コウカワシン

こんにちはコウカワシンです。

お聞きします。

あなたはポジティブ派ですか?
それともネガティブ派ですか?

なぜこのようなことをお聞きしたかというと、生きているといろんなことがあります。

「人生、ラクではないなあ」と実感することも一度や二度ではないのではありませんかね?

ポジティブ派だったら「何でも前向きに」考えられても、ネガティブ派だったら、なかなか立ち直れないですよね。

でも、そんな日頃の思いを上手に乗り越えていける「方法」があります。

実は、すべての悩みは❝たった一つのこと❞から始まっているのです。

そこさえわかれば、あとは「正しく考える」ことで、どんな悩みも解消できる。

そのような本があります。

それは『反応しない練習』です。

現役の僧侶である草薙龍瞬(くさなぎりゅうしゅん)氏が書かれた本で「あらゆる悩みが消えていくブッダの超合理的な考え方」という副題が付いてます。

つまり仏教の教えを基に書かれているということです。

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目次

『反応しない練習』の内容とは

そもそも、私たちが日頃抱える“悩み”とは何でしょうか?

  • いつも生活に追われていて、心に余裕がない。
  • 今の仕事に満足していない。先のことを考えると不安になる。
  • イヤなこと、不安なできごと、失敗が重なって、落ち込んでしまう。
  • 性格が合わない人が近くにいる。人間関係にストレスを感じる。

一般的にはこのようなことが悩みとして存在すると思います。
自分だけでは解決できないと感じてしまいますよね?

でもこの本ではそんなことはないと断言しています。


なぜなら、これらの悩みはすべて自分自身の❝心の反応❞からきてるからと明言しているんです。


例えば、朝の通勤ラッシュや満員電車に乗らなくてはならない時など気が滅入るという反応を起こす人は多いですよね?
これは「憂鬱の反応」。それから理不尽な仕打ちをされた時などにイラっとする「怒りの反応」。

物事がうまくいくか心配な「不安の反応」そして「緊張の反応」など人間は行動すればするほど心は反応しています。その結果として「悩み」につながっていくのです。

「心の反応」⇒「悩み」

という図式になっているのです。

では、どうすれば「悩み」を解消できる・・・いやいや最初から悩まなくてもいいのでしょうか?

それは❝ムダな反応❞をしなければいいのです!

「ブッダの教え」から学ぶこと

コウカワシン

それでは、わたしの独断と偏見でポイントを押さえていこうと思います。

反応する前に「まず、理解する」

悩みをなくそうとしない。「理解」する

「人生に悩みはつきもの」と世間ではよく言います。ブッダは私たち人間が生涯で体験する悩みを「八つの苦しみ」として表現しました。

人生の「八つの苦しみ」

  • 生きること
  • 老いること
  • 病にかかること
  • 厭わしい(不愉快で、いやである)者と出会うこと
  • 愛する人と別れなければならないこと
  • 求めるものを得られないこと
  • ままならない人間の心


ブッダの考え方として「人生に悩みはつきもの」という現実を最初に受け入れてしまうということにあるそうです。


日常的に感じている「満たされなさ、生きづらさ、憂鬱」といった負の思いを認めてしまう潔さが仏教にはあるのです。それを「受け入れる」のではなく「ある」ものは「ある」と理解するに留めてみたらどうでしょうか?

そのような「負の思い」は「ある」とし第三者的な目から「でも、きっと解決できる」と考える。これがどういうことかというと今までは漠然と悩んでいるだけだったのがそのような「負の思い」を理解し「では、どうすれば解決できるか」と、思考を一歩前に進めることができるのです。

解決への希望はそこから進めることが大事です。

まず「悩み」があることを理解しました。次に考えるのはこの「悩み」の正体です。ブッダに考え方として「悩みがあるという“現実”を見すえてその“原因”を理解して、解決への“方法”を実践しよう」ということなのです。

では、悩み・苦しみの“原因”は何でしょうか?


仏教では「その原因は“執着”にある」とされています。執着=断ち切れない「思い」とでもいうのでしょう。この「執着」を作り出しているのが“心の反応”なのです。

人は悩みに直面したら、つい反応して闘おうとします。

例えば不愉快な相手に出会ってしまい、ままならない現実に真っ向から向き合って、反応して、何とか変えようともがいてる状況です。

でも、こういった場合「闘って勝てる」ことはないのではありませんかね?このようなことを「ムダな反応」といいます。では「ムダな反応」をしないためにやるべきこととは?

その問題の「理由」に着目する

すべての「悩み」は心が「ムダな反応」をしてしまうからというのは理解しました。

ではなぜ反応してしまうのでしょうか?

「イヤなことがあって腹が立った」というのであれば理由は簡単、「イヤなこと」に対しての反応なわけですが、「なぜ自分はこんな気持ちになるのだろう?」と自分が解らない悩ましさというのも人生にはありますよね。

このようなとらえどころのない悩みに対していえることは「それを作り出している真の理由」にまでさかのぼって考えないといけません。

ブッダは「苦しみをもたらしているのは快(喜び)を求めてやまない❝求める心❞だ」と諭されています。人間が生きていく上で手放せない❝求める心❞。それは「反応し続ける心のエネルギー」といえます。その❝求める心❞は現実的に言うと❝7つの欲求❞として表現されます。


7つの欲求❞をあげてみますと

「悩み」における❝7つの欲求❞

  1. 生存欲(生きたい)
  2. 睡眠欲(眠りたい)
  3. 食欲(食べたい)
  4. 性欲(交わりたい)
  5. 怠惰欲(ラクをしたい)
  6. 感楽欲(音楽や絵画、映像など感覚の快楽を味わいたい)
  7. 承認欲(認められたい)

まず、❝求める心❞があり❝7つの欲求❞を生み、その欲求に「心が反応」するということなのです。それは欲求を満たす場合もあるし、欲求が満たされずかなわないことで不満を生むこともある。


まあ、これが人生だと割り切れれば大したものです。でも大半の人はなかなかに難しいです。

では「満たされない心」とどう折り合えばよいのでしょうか?

そこで先ほどの“7つの欲求”から考えてみましょう。上から6つは満たされれば解決します。では7つ目の「承認欲」はどうでしょうか?「承認欲」は「認めて欲しい」という欲求です。


たとえば、子どものころは「親に愛されたい」という素朴な欲求がありますし、成長すれば「ほめられたい」「優等生でいたい」「人気者になりたい」という自意識が育ちます

大人になれば「人に尊敬されるような仕事や地位が欲しい」「スキルを磨いてキャリアアップしたい」といった上昇欲、「自分は他人より優れている」という優越感やプライドを求めます

そしてそれがかなわない人は「自分はダメな人間だ」と負い目に感じたり劣等感をいだくようになるのです。

ブッダの考え方の基本は「まず、理解する」ことです。

「満たされない承認欲がある」、「この不満は承認欲の不満である」こうすることで「自分には承認欲があるのだ」と素直に受け入れやすいし、「承認欲」が起こす「反応の原因」が見つけやすくなります。


心の状態を「きちんと見る」

反応せずに「悩み」を理解する・・・これが悩みを解決する秘訣です。特に「心の状態をきちんと見る」習慣は「ムダな反応」を抑える武器になります。

これには確認事項があります。

「心の状態を見る」うえでの確認事項

  1. 「心の状態」を言葉で確認できる
  2. 「体の感覚」を意識できる
  3. 「頭の中」を分類できる
①「心の状態」を言葉で確認できる

これは心の状態を言葉にできるか確認するという方法です。


例えば苦手な人の前で緊張してしまった時には「わたしは緊張している」と言葉にしてみます。そして心がざわついたなら「わたしは心がざわついている」と心の中身を言葉化して客観的に確認することで心が落ち着いてくるのが自覚できます。効果的なのは「目をつむって」確認することです。


仕事中でも、家族と要る時でも何時でも「今の自分の心はどんな状態なんだろう?」と意識することで客観的にみれる訓練ができます。

こうして、心の状態、体の状態を客観的に言葉で確かめる習慣が身に付くとその「反応から抜け出せる」ようにもなってきます。反応から抜けると心は落ち着きを取り戻せるのです。

②「体の感覚」を意識できる

「感覚を意識する」・・・これはストレスや疲れが溜まった心をリフレッシュさせるのに効果があります。


まず目を閉じて、自分の手を見つめて見てください。暗闇の中に手の感覚がありますよね。その手を見つめながら上にあげてください。「動く感覚」があります。

このとき、「手の感覚がある」「手の感覚が動いている」と意識します。手を肩のあたりまで挙げて、元の場所にまで下ろします。その間、目は閉じたままで手の感覚を見つめます。


今度は、手のひらを上に向けた状態で、脚の上に置きます。そこで手を握ったり、開いたりしてみます。「手を握ると、このような感覚が生まれる」「手を開くと、このような感覚が生まれる」と確認します。これを繰り返します。


「体の感覚」を見つめるように心がけると「感覚を意識する」ことの意味が解るようになります。


①「心の状態」を言葉で確認できる、②「体の感覚」を意識できるは、心の状態をきちんと見ること、意識することで、無駄な反応は止まり心は静まり、深い落ち着きと集中が可能になります。


今でもこれは禅の世界で「念じる」、瞑想の世界では「マインドフルネス」と呼ばれています。

③「頭の中」を分類できる

人間の頭の中は心理的にいろんな種類に分類でき、貪欲、怒り、妄想などに分けられます。この貪欲、怒り、妄想は「人間の三大煩悩」とされています。

人がいつまでも悩みを抜けられない時、それは「自分の心が見えていない」からなのですが、その「心の状態を見る」という発想を持ち「貪欲」「怒り」「妄想」のどれにあたるか観察してみるとそれだけでも悩みが確認でき、悩みが晴れることもあります。


先ほどの「三大煩悩」の話に戻りますが、今に伝わる仏教ではこのような煩悩を「戒めなさい」と説きます。しかしブッダが生きていた時には、これらは「心の状態を“理解”するための方法」だったのです。ブッダとは「正しい理解を極めた人」という意味です。


そこで注意事項なのですが「正しい理解」とは「自分が正しいと考える」ことではないし「自分流の考え方で理解する」ことではありません。「正しい理解」とは物事をありのままに客観的に、主観抜きに見すえることなのです。

つまり、仏教=ブッダの教えとは「正しい理解によって、人間の苦悩から自由になれる方法ということです。

良し悪しを「判断」しない

「ムダに判断」しているか考えてみる

人が悩んでしまうの理由の一つに「判断しすぎる心」があるということです。


人間は生きていれば何万回も「判断」をします。「判断」の中には考えても仕方のないことも含まれます。そのような判断が引き起こすのが不満、憂鬱、心配事なのです。


いわば「ムダな判断」といえます。その判断をしなくなれば心がスッキリと軽くなるのは必然であります。


ではそうなるための仏教の考え方を覗いてみます。仏教は、人の抱える苦しみ・悩みというのをそのままに見ます。例えば誰かが間違ったことを言っていても「間違っている」と、最初から「判断」しないのです。

むしろ、その前にこの人の心にはどんな原因があるのだろう、どう考えればそのような解釈や悩みを取り除けるのだろうと理解しようとするのです。

人が苦しみを感じる時、その心には「執着」があります。本来の心はサラサラと流れ続ける小川のように苦しみを残してはいけないのです。執着があるがゆえに滞りさらに苦しみを生むのです。


「執着」を持たないためにも「ムダな判断」をしない意識を持つことが必要です。

「つい判断してしまう」からの卒業

「判断しない」という習慣はどのようにしたら身に付くのでしょうか?


「判断しない」習慣を身につけるために少し訓練が必要です。

「判断しない」を意識する訓練

  1. 「あ、判断した」という気づきの言葉
  2. 「自分は自分」と考える
  3. いっそのこと「素直になる」

こういうことを意識していればムダな判断から自由になれる割合が大きくなっていきます。

①「あ、判断した」という気づきの言葉

例えば「今日はついてない」、「失敗したかも」、「あの人は苦手、又は嫌い」、「自分はダメ人間」・・・こんな言葉がつい口から出たことはないですか?


これはあきらかに「判断の言葉」です。反対に「あの人はいい人」、「今日はついてる」など肯定する判断もあるでしょう。けどそれも時と場合では否定の判断をすることがあるかもしれません。

そもそもわたしたちには、肯定や否定をする「資格」などありません。

ブッダは「それは必要のない判断である」と考えます。

②「自分は自分」と考える

判断は「心のクセ」で、世間では、較べること、評価すること、あれこれ詮索することが大好きな人がたくさんいます。まさに「判断」のオンパレードです。

それに乗っかってしまっては自分自身に「判断」することが増えてしまいます。ここで必要なことは線引きです。自分の意に沿わない「判断」から距離を置き境界線を引くのです。


つまり、「人は人。自分は自分」です。

③いっそのこと「素直になる」

「あなたは素直ですか?」と問われると何人の方が「自分は素直です」と言い切れるでしょうか?


ムダな判断の上に築ける「素直」などたぶんないと思います。ムダな判断をしてしまう苦しみの原因は「自分は正しい」という思い込みによることが大きいと考えます。

けど「自分が正しい」という意識はなかなか手放せません。

なぜなら自分を否定してしまうからです。このような時、仏教では「方向性を見よう」と教えます。「方向性を見る」とは「正しい思考」と呼ばれる仏教の教えの一要素です。


自分のこれからの方向を見ること。そして、自分は正しいと思い続けたいのか、正しさにこだわらない素直な自分を目指したいのか、・・・それを選択するのです。

自分の意志、意見を持ち、人の意見をよく聞き、ものわかりがよく、心を開いて話し合いができる人が、尊敬され自分が最もラクになれ、他者から見て魅力的に見えるのです。

マイナスの感情で「損しない」

感情を上げない、下げない、「無反応の勝利)

普通に生活していたら「感情」に関する悩みは避けられません。職場でも家庭でも、人は「感情」に悩まされます。ストレスや怒り、そのような感情をうまくコントロールできたらどんなにラクでしょうね。

「感情」も「心の反応」です。ブッダの教えは「ムダな反応」をしないことにあります。

つまり、ふつうなら腹が立つことを言われても「無反応」で返すことができたら相手に反応して心を失わずに済みます。つまり、反応しないことが最高の勝利であるといえるのです。

苦手な相手との関わり方

苦手な相手との関わり・・・これが「悩み」の一番の原因ではないですかね?

「関わり方」とは仏教で「相手にどのような心を向けるか」ということです。その苦手な相手に対しても「向ける心を確立」することで人間関係で苦しまない生き方が可能になるとのことです。

苦手な相手との関わり方の原理原則

  1. 相手のことを「判断」しない
  2. 過去は「忘れる」
  3. 相手を「新しい人」と考える
  4. 「理解しあう」ことを目的とする
  5. 「関わりのゴール」を見る
①相手のことを「判断」しない

人は他人をとかく「判断」したがります。

特にマイナスの感情が湧いた時など「なんてイヤな人だ」とか「まったく身勝手な人だ」とかの判断をします。確かに誰が見ても「愚かな人」は存在します。でもこの判断は自分自身の承認欲です。

相手に「ダメ出し」する。「ああ、困った」と嘆いてみせる。そのことで「自分は正しい」と確認したり、相手に対してマウントを取ったりします。


けど仏教の教えでは「しなくていい判断は、しない方がいい」のです。それが、「心に苦悩を溜めない」ことにつながります。

②過去は「忘れる」

心に「苦悩」を溜めないためには「過去は忘れる」ことも大事です。

とはいえ、人は過去の嫌な事はいつまでも覚えていて相手に対しても、その記憶を通して付き合ってしまいます。その記憶が「またか」という反応とともに新たな怒りを誘発します。

「過去を引きずる」というのは「記憶に反応している」状態です。もし仏教を実践して「反応しない達人」になれたなら、相手の仕打ちに対して怒りが消えるようになるかもしれません。


「反応しない」=「感情の起伏がない」

これは大きな武器です。「これはただの記憶」「反応している(相手は関係ない)」と冷静に理解して、感情を静めるように心がけましょう。

③相手を「新しい人」と考える

相手を「新しい人」とする考え方は、少々無理があるように感じます。けど仏教では人も心も❝無常❞(うつろいゆくもの)」ととらえます。


考えてもみれば自分自身でさえも、心はコロコロと変わり続けます。相手は変わらないということはないのです。人は互いにコロコロと変わり続ける心で、いつも新しく向き合います。

こうした理解に立つと相手はつねに「新しい人」になります。

「過去の仕打ちをいつまでも忘れない」のは自分の「執着。それを「まったく新しい人として向き合う」意識を持つと反応しない」自分を演出できるようになります。

④「理解しあう」ことを目的とする

「相手と理解しあう」 それは大変素晴らしいことです。ぜひこれを最終目標にしたいものです。


それには「相手との対話」が必要です。対話の中で「理解しあうこと、理解を共有すること」が大事なのです。

ですが理解しあうのは時間がかかります。焦らずにいくのが肝心です。相手への感情は理解しあえた時にリセットされ、そのときには関係も変わることでしょう。

⑤「関わりのゴール」を見る

相手と関わるに対しての方向性は「苦しめ合うこと」「憎しみ合うこと」であってはいけません。このような関係を人生の目的にしてもいけません。

そのようなことは「過去の関係が災いしてる」のが大半ではないでしょうか? その結果「正しいのは自分で、間違っているのは相手」という「執着」を生んでます。


ブッダが語った「執着こそが苦しみを生んでいる」という理解に立ち戻れば、それがお互いを「苦しめ合っている」という事実に気づくのです。

そう気づいたのなら「苦しめ合うために関わっているのではない。理解い合うために、お互いの幸せのために、関わっているのだ」と考えることです。

他人の目から「自由になる」

承認欲を捨てる

他人からの目が気になることは日常よくあります。少しでも「他人から好かれたい」とか「他人からよく思われたい」という気持ちはふつうの人ならあると思います。この他人からの目を気にする心理の正体はやはり「承認欲」です。

「承認欲」はあって当たり前なのですが、「他人の目を気にしてしまう」理由を考えたことはありませんよね。それは「自分への評価」と「妄想」なのです。

他人がどのように考えているのかなんて図りようがないのに勝手に想像を膨らませ、ありもしない妄想をしてしまうことにとらわれているのです。

特に「妄想」は❝脳のデタラメ❞で、いろんなものを作り出してでも想像を大げさにふくらませる恐れがあります。そのような「妄想」は確かめようにも確かめることは不可能です。

確かめようのないことは放っておくしかありません。言葉は悪いですが割り切りが必要です。

「妄想」への向き合い方として

  • 「妄想は妄想にしかすぎない」
  • 「妄想には際限がないし、根拠もない」
  • 「わたしはこれ以上、妄想を追いかけない」

と唱えれば他人の目から「自由になる」ことができます。

苦手な相手から「距離を置く」

「他人の目が気になってしようがない」という心理に「特定の人間」、つまり「苦手な人物」が関わってくることがあります。
「苦手な人物」にも色々あって

  • 嫌いな人
  • 嫌いではないがうっとおしい人

などがあげられます。
嫌いな人はさておき、嫌いではないけどうっとおしく感じる人との関りは厄介です。物事のもめ事の多くは対人関係。ちょっとしたことでも積み重なると大きなストレスとなって自分を苦しめます。

対人関係の解消法

  • 「よく気づいて、反応しない」
  • 「感覚を意識する」
  • 「反応の源を断つ」


嫌いではないけどうっとおしい人というのは、たぶん日頃からの付き合いのある人だと思います。

その人との関わり方はもめ事が起こりそうになる予感に素早く気づいて反応しないのがベターだと思います。それか、その人から少し距離を取るか・・・それは考える余地がありそうですね。

較べることをやめる。自分のモノゴトに集中

「自分と比べてあの人は・・・」なんてよく口から出ないでしょうか? 良い意味でも悪い意味でも他人と比べることは口にこそ出さなくても頭で考えてしまいがちです。


他人と比べた上で自分の事に改善・集中・納得できるなら意味があるんです。けど、不満やひがみやあきらめなどの悩みは「考えても無駄」といえることではないですかね?そうです、「ムダな反応」なのです。


自分のモノゴトに集中する意識を持ちましょう。

考える「基準」を持つ

正しい心に「戻る」

人間は「苦」の生き物です。それは「苦」を望んでいるわけではなく満たされない「心を求めた結果」によるものが大半です。

それには心が常に「反応」しています。その「心」にたしかな“よりどころ”を持たせてやるのです。心の支えといいますか、「心の土台」となるたしかな生き方・考え方を据えてやることで「正しい心」が育ちます。

「正しい心」が備わると「何度でも踏み出し、戻る、歩き続ける」が可能になります。長い人生は、戻っては踏み出すの繰り返しです。悩んだり迷ったなら「正しい心」に戻ればいいのです。

いつでも“正しい方向”を忘れない

人はつねに何かを追いかけます。手に入らない現実に苦しみます。失われる現実に悩みます。そうした「現実」の中でのみ込まれない心を持つことが大事です。


ブッダが教えるのは、現実を「変える」ことではなく、「闘う」ことでもなく、「納得できる人生を送ろう」と考えることなのです。「納得できる人生」にたどり着くためには正しい方向を忘れてはいけません。

それは現実の世界に、この人生に、「どう向き合えばいいか?」という内面的なテーマです。その主体的な問いに立った時、現実を超えてゆく生き方が可能になるということです。

自分の人生を「信頼する」

心によりどころを持つこと。正しい方向性を見すえること。生きていく上で何より大切なのはこうした「生き方」を確立することです。


人はなぜ、悩みに支配されてしまうのでしょう。思い通りにいかない現実はたしかにあるし、苦手な相手も存在するし、自分の内面にも弱さはあります。それが苦しみの原因なのでしょうか?

 それはつい、反応してしまう心」しか持ってないからです。

冷静に、反応を見て、よく気づき、ムダな反応をせず、反応を解消できるようになれば、必ず「苦しみ」から自由になれます。

人間が抱える、どんな悩み・苦しみも、きっと解決できる。必要なのはその「方法」である。これがブッダのメッセージです。

こうした生き方ができるようになると「希望」に向かう道も見えてきて、その道に立った時には、自分の人生を信頼できるのではないでしょうか。

著者の紹介

草薙龍瞬(くさなぎりゅうしゅん)


僧侶、興道の里代表。
1969年 奈良県生まれ
中学中退後、16歳で家出・上京。
放浪ののち、大検を経て東大法学部卒業。
政策シンクタンクなどで働きながら「生き方」を探求し続け、インド仏教指導僧・佐々井秀嶺師のもとで得度出家。
ミャンマー国立仏教大学、タイの僧院4に留学。
現在、インド仏教徒とともに社会改善NGOと幼稚園を運営するほか、日本では宗派に属さず、実用的な仏教の「本質」を、仕事や人間関係、生き方全般にわたって伝える活動をしている。
毎年夏の残酷行脚や、経典の現代語訳の朗読と法話を採り入れた葬儀・法事を行うなど、「もっと人の幸福に役立つ合理的な仏教」を展開中。
著書に『これも修行のうち。実践あらゆる悩みに「反応しない」生活
大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』がある。

まとめ

とにかく悩みのいろんな原因は自分自身にあるんです。

「心が反応」するって、この本を読むまではよく分からなかったのですが、自分の心が「ムダな反応」をしている、問題は「整理」して考える、と知れば「納得」の言葉しか出てきません。


そもそもものごとに「執着」すのは仕方がないことと考えていましたがこのように合理的な考えがあるということに目からうろこが取れる思いです。


これからの長い人生も「反応しない心」を心がけ、過ごしていこうと思います。

【要約】して書いた記事ですが、間違った解釈でしたらお詫びを申し上げます。
ぜひコメントかお問い合わせの方にご連絡ください。

最後までお読みいただきありがとうございます。

『反応しない練習』を聴こう!

「聴く読書」ってご存知な方もいらっしゃいますよね。
1日何時間も存在する「耳のスキマ時間」が読書時間に変わります。

音楽を聴くように気軽に人気のビジネス書を楽しめます。語学や資格試験の勉強にも最適です。

文芸作品は、朗読からドラマ形式の作品まで、幅広い形式で楽しめる人気のジャンルとなっています。

『反応しない練習』はAudible (オーディブル) で聴くことができます。

コウカワシン

最後までお読みいただきありがとうございます。

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この記事を書いた人

四国在住。
ミニマリスト。趣味は映画観賞と音楽鑑賞、読書、野球観戦。
映画は特に好き嫌いなくほとんどのジャンルーを観ます。音楽はジャズとクラシックが大好きです。読書は歴史書が好きでよく読みます。

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